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偶然と必然、あるべき答えは?
- 偶然と必然の違いについて考えてみます。偶然とは何か、必然とは何か、その定義や意味を探ります。
- 偶然と必然を分ける要素は、因果関係の有無と予測可能性の有無だと言われています。しかし、現実世界には因果関係の複雑さや情報の不足により、予測ができない現象が存在する可能性もあります。
- 人間が感じる世界の現象には偶然が存在するのか、それとも偶然と感じているだけなのか、疑問を持ちながらも答えは明確ではありません。私たちはまだ知識や情報が限られており、完全な予測ができないため、偶然と感じることが多いのかもしれません。
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回答が多すぎてすべて把握できていないのですが、自分の勝手な意見を述べます。 まず第一に、我々は物事の「因果関係」を判断するうえで「時間軸」というのもを避け実測することが不可能という点があります。ただ、残念ながらこの時間というものの様々な解釈はされていますが、結局のこところ実態ははっきりとはわかっていません。あえて言うなら多次元ワールドだとか、重ね合わせで存在するとか色々な例がありますが、いずれにせよすべての条件を全く同じ状態である現象を再現することは不可能である以上、極論を言えばすべての現象に関するすべての要素の影響が皆無として必然性を示すことは不可能、ということになります。ゆえに必然といえる現象はすべて「偶然」であるとしか言えません。これが最も顕著な例を挙げれば人間の発生とか生命現象の基本原理の有無とかそういうものになるでしょう。だから、一般的には、還元的にAというものとBというものが起こればCが言える、というこが一定回数似たような条件下(すくなくとも”無視”できるとする条件下で)、それが統計学的な”偶然性”をも超えた意義があときにその因果関係が結ばれるわけです。と、当然それに対して常に観測さえればそれはAとBがある状態ではCがおこる”ハズ”となります。が、これはあくまで「思考上」の存在定義ですので、完全な直角とか、完全な球が存在するかしないかという議論と同程度の議論になるでしょう。 因果関係を議論するうえで、必然を問うのに重要になるのは基本的な物理学的な原理、たとえばエネルギー保存則とあ、あるいは情報理論などの情報量の概念にもなると思います。どんなに複雑な変化であってもはじめとその後の変化が境界において満たされるはずというのは、”概念”ですが、それをさかのぼればこういう変化が「必然的に起こる」としてもよいといえるでしょう。同様にいえば、生物が受精卵から個体までを形成するのだって、明らかな異常が起きない限り多くの場合は体が自己組織化していく様子は今の地球の環境下では「必然」の変化と言っていいかもしれませんが、その構成要素のなにが必然なのかというのを定義するのは難しいですし、それまでには多くのノイズが含まれています。ただ、情報量の考え方をするならば個体が大人になるまでに「情報」というものが規定できるはずで、それを具体的には言わなくてもある一定の範囲の環境要因が満たされればその個体はある一定の範囲内での個体までを形成する「必然性」を持っているということが言えるでしょうし、偶然とは言い切れないでしょう。 >この世に因果関係と無縁に存在するものはあるのだろうか? ある現象が発生するための因果関係があまりに複雑で、また、同時に、我々の得られる情報があまりに少な く、その現象の発生を予見できないものを、 単に偶然と呼んでいるのに過ぎないのではないか? 世の中におこるすべてのものは因果関係があるはずということが真であるとして、偶然であっても予測可能かどうかを議論することはいわゆる「複雑系」という分野として一部取り上げられています。ただし、現実的にこれが何か大発見につながったのかどうかというと、まだ未発達な部分も多いので、結局限定された”何か”を一定の範囲内で示唆させるようなデータをとったに過ぎないような分野とも思います。が、コンピュータの技術が上昇すればより複雑なことができて、あらゆるノイジーな影響というものがひょうか可能かもしれませんね。
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#17です。 >・・・これを解けた、予想できたと言えるのか、と詰め寄られると、死んだふりをする以外ない(ポリポリ)。 という訳で、防戦一方のコメントをいたします。 ・計算可能性(必然性,決定論性)と、予測可能性と、事前予測可能性を明確に分離しましょう。 (1) 例え事後解析であっても、結果を見て初期条件を逆に特定し、その初期条件に想定される法則を適用して、眼前の結果を出せたのなら、必然性,決定論性はあったと言える(太陽系形成問題など)。 ↑ ※卑怯だ(^^;)。 (2) 従って初期条件を調べ尽くす手段さえ持っていれば(持ってませんが)、原理的に予測は可能だった。初期条件を調べ尽くす手段とは、けっきょく技術的な問題だ。いつかは解決できる(かも知れない)。もしくは、あんたが正しい初期条件をくれなかったからだよ!。 ↑ ※岩盤斜面のCT画像を持ってこ~い!(^^;)。 (3) よって事前予測可能性とは、計算可能性とも予測可能性とも別の問題だ。それは物理や技術原理の埒外で、人間心理と実用性の問題だ。 ↑ ※とてもとても卑怯だ(^^;)。 従ってこの世は、おしなべて必然なのだ・・・。ほんとか?。 たぶん原子のスケールくらいまでなら99.9%の確かさでニュートン力学と古典電磁気学は成り立つ。という事は、ビッグバンの少し後に、宇宙に原子・分子が形成され出した頃に、我々の全履歴は未来永劫、ビッグランチの少し前まで決定されちゃった訳だ。ここで発言する事まで含めて。人間に自由意志はない。 それならそれで構わない。世の中はわからない事だらけだ。意外な事はいっぱい起こる。それは調べ尽くす手段を持ってないという技術的な理由なのかも知れないが、それは自分自身に対してすらそうだ。人間は自分で自分を意識してモニターする生物なので、技術不足により、自分が次に何を考えつくのかさえ事前予想できない。 だからこそ必然性に基づき、結果を事前予想して予想が当たった時には「嬉しい」。そんな日常感覚を言葉にしてみると、(1),(2),(3)になりました。 ところでホーキングの共同研究者として有名なペンローズは(←ほんとに有名なの?(^^;))、某本で面白い事を言ってます。 ・人間の脳は量子コンピュータである。 ・しかし現行の量子コンピュータではない。 ・現行の量子コンピュータはノイマン型汎用モデルを、超並列化で実行するに過ぎない。 ・従ってそれは、不完全性定理の限界を超えられない。 ・人間の意識の本質は、不完全性定理の限界を突破する非計算性にある。 ・人間の脳は量子コンピュータだが、現行のものを超える「何か」だ。 つまりホーキングの「奇説」によれば、人脳を何らかの方法でPC化できたなら、不完全性定理に縛られた従来のアルゴリズムやプログラムは全て御破算というか、補助手段に過ぎなくなります。ニューロコンピューターやチューリング的アプローチも無意味とは言わないが、ほとんど御破算です。 そして人間は、量子跳躍に基づく不完全性定理と古典的決定論の限界を突破する。「閃きを持っている」事になります。 夢は見ましょう(^^)。
お礼
こんばんはです。 ☆ここで発言する事まで含めて。人間に自由意志はない。 ◇程度の差はあれ、多くの理系人は、心の奥底でそう信じているし、そう願っている(笑い)。 ~~~~~ ・人間の脳は量子コンピュータである。 ・しかし現行の量子コンピュータではない。 ・現行の量子コンピュータはノイマン型汎用モデルを、超並列化で実行するに過ぎない。 ・従ってそれは、不完全性定理の限界を超えられない。 ・人間の意識の本質は、不完全性定理の限界を突破する非計算性にある。 ・人間の脳は量子コンピュータだが、現行のものを超える「何か」だ。 ~~~~~ これはまた大胆なことを。 でも、私も大差ないかもしれないですね。 「人工知能にいつの日か人間の心のようなもの、感情が芽生えたらいいな」と思っていますから。 理系人は夢を見つづけないと駄目ですよ。 200年前、人類が地球を抜け出し、宇宙に本当に出られるとは、誰も信じていなかったのですから。 回答、ありがとうございました。
- sssv
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お礼ありがとうございます、『ログ・ホライズン』TSUTAYA等で借りて、見ようと思います、そして、スウェーデンの歌手スマイル.dkの、代表曲《バタフライ》を捧げます、自分がこの曲に出会ったのは偶然ではなく、必然かもしれないと思うようにします。
お礼
こんばんはです。 Youtubeにアニメ『ログ・ホライズン』が何話か登録されていますので、まずはこれをご覧になってみてはいかがですか。 全25話、全部揃っているみたいですね。 原作の小説がネットで公開されているので、これを少し読んでみて、自分に合うか判断するのもありなのだと思います。(結構、長いです) http://ncode.syosetu.com/n8725k/ 第二シリーズは、教育テレビで土曜、午後5:30~5:55で放送しています。 第一シリーズは、台詞を全部言えるくらい、何度も何度も繰り返し見ました。 ☆自分がこの曲に出会ったのは偶然ではなく、必然かもしれないと思うようにします。 ◇日本のことわざに「袖振り合うも、多少の縁」というのがあるじゃないですか。 一見、偶然に思える出会いも、その背景には色々な縁がある。 私は、この言葉、すごく好きです。 回答、ありがとうございました。
#8です。 カオス!、バタフライ効果!・・・、そうか、そっちを突っ込めば良かったのか!。・・・忘れていた(^^)。 [三体問題] 2体問題の惑星運行は綺麗に解けます。そして安定な周期軌道が得られる。実際ニュートンも綺麗に解いた。微積の記号も整備されていなかった時代に、よくもまぁ~とは思いますが。しかも彼は新技術「微積」の欠陥をつかれるのを恐れて(彼はかなり臆病だった)、アルキメデスちっくな幾何学的取り尽くし法の体裁でそれらを発表した(プリンピキア)。やっぱりニュートンは、超弩級のマニアです。 その超弩級の計算屋でもあったニュートンでさえ、三体問題はお手上げだった(一体増えただけなのに)。最後には「ほら見ろ。神が常々手を加えなければ、太陽系は安定しないのだ。だから神はいるのだ!」と言い出す始末。もっとも彼は、そういう神学的信条の持ち主だったから、三体問題が解けない事は、逆に喜びだったのかも知れない。 三体以上の多体問題は決定論的カオスを導くとわかっています。少なくとも8個の惑星と1個の恒星と、星の数ほどの小惑星を抱える現在の太陽系は、安定と不安定(カオス)との紙一重の地点にいるらしいです。 でも決定論的カオスって、なんか変だなぁ~。計算できるのできないの?。事前予想可能なの不可能なの?。 [しちゃった人達がいる] 朦々とした塵とガス雲から、「重力相互作用(万有引力の法則)のみに従って」惑星と太陽は形成された。これは少なくとも19世紀以降の民衆の常識で、18世紀啓蒙主義時代の知識人達もそう思っていたし、ニュートンも似たような事を夢想はしていた(神様付きで)。しかし誰一人として3世紀以上もの間、太陽系生成問題を実証した人はどこにもいなかった。 それは塵やガスの一粒を微惑星と呼べば、太陽系生成問題は超弩級の多体問題だったからです。誰も手をつけられなかった。 ところが1980年代に、吉田春夫先生などを含む日本の天文学者グループが、技術的に若干の省略はあったものの、塵とガス雲から始まる太陽系形成の超長時間非線形時間積分(億年単位)を実行してしまう。3世紀余りの懸案事項は、そこで数値的に実証されます。 そんな計算が可能になった最大の原因は、スパコンの性能アップとふんだんな普及でした。とは言うものの、30年前のスパコンなんて、並列処理機能なんかを除けば、現行の市販PCとそんなに変わらなかったりするのだから恐ろしい。 現在NHKなんかで、小惑星と小惑星が衝突する豪快なアニメーションが見られるのは、上記のような計算がさらに手軽になってきたからです。 決定論的カオスは計算可能です。やってやれない事はない。だから予想も可能だ。しかし事前予想は事実上不可能。計算終了時点まで、基本的に結果は予想もつかない(^^;)。 それとやっぱり、スパコンですかね?。それとも量子CPU?。 でも港や道路も、どうかよろしく。・・・自分の専門なので・・・(^^;)。
お礼
こんにちは。 ご指摘の「三体問題(多体問題)」で困ってしまう。 これは解析解が得られないことが証明されている。その意味では厳密に解くことができず、近似的で解くしかない。 しかも、これは初期条件に対して非常に繊細…。 ある初期条件を仮定して解いみたら、現実と一致しない、とんでもない答えが出てくることだってあります。 これを解けた、予想できたと言えるのか、 と詰め寄られると、死んだふりをする以外ない(ポリポリ)。 マクロ系で、決定論的現象であったとしても、解が一つしか存在しないことを証明できたとしても、人間にはその正しい解が得られるないことがあるのかもしれない。大きな誤差を含む近似解しか得られないということもあるかもしれない。 この点をつかれると、死んだふりをするしかないんですよ。 ☆実際ニュートンも綺麗に解いた。 ◇ニュートンはホント偉大だよな~♪ 巷ではよく、アインシュタインと並び称されますけれど、はっきり言って「月とスッポン」くらいの差がある。 ☆彼はかなり臆病だった ◇科学史の本などでは「非常に慎重であった」と書いてありますね。 そして、非常に猜疑心の強い男であった。 ☆ところが1980年代に、吉田春夫先生などを含む日本の天文学者グループが、技術的に若干の省略はあったものの、塵とガス雲から始まる太陽系形成の超長時間非線形時間積分(億年単位)を実行してしまう。3世紀余りの懸案事項は、そこで数値的に実証されます。 ◇最近では、宇宙で最初に生まれた星・ファーストスターまでシミュレーションできちゃうんですから、いやはや驚きです。 コンピュータの中に宇宙を作っちゃったんだから…。 http://member.ipmu.jp/naoki.yoshida/kagaku_first.pdf ☆ そんな計算が可能になった最大の原因は、スパコンの性能アップとふんだんな普及でした。とは言うものの、30年前のスパコンなんて、並列処理機能なんかを除けば、現行の市販PCとそんなに変わらなかったりするのだから恐ろしい。 ◇「Pentium3くらいで、PCのCPUは限界を向かえたかな」と思ったんですが、どうしてどうして。 一体、どこまで速くなるんだろう、PC。 最新のPCは20年前のスパコンより速いという話もあるようですね。 ☆ 決定論的カオスは計算可能です。やってやれない事はない。だから予想も可能だ。しかし事前予想は事実上不可能。計算終了時点まで、基本的に結果は予想もつかない(^^;)。 ◇この手の計算は、かなりリスクが高いらしいですね。 下手をすると、学者・研究者生命がそこで終わってしまう。 回答、ありがとうございました。
- pikaruche
- ベストアンサー率35% (6/17)
>私たちが実際に生きている世界はマクロ系であり、この世界は古典物理学が支配する決定論的世界です。 これを仮定すれば、偶然がないのは当然になってしまうので、仮定ははずしましょう。 量子の確率現象は人間に観察可能な現象であって、しかも量子コンピューターなど実用化に向かっているのですから、マクロか否かで区別して我々の日常世界がマクロ、とはいえなくなるからです。 起きる事象は、確率過程をふくめて確率法則で記述できるとしても、確率を認める段階で(確率という形式をとる限り)、不確実な現象が入ってきますので、人間にとって偶然としてしかとらえられないことはつきまといます。 >ラプラスの魔 量子力学や不確定原理は、人間の認識にとって成立するものですから、人間の認識をとらない存在(それが実際にあるにしろないにしろ)についてはあてはまらない可能性があります。だから、量子力学や不確定原理はラプラスの魔を「論理的に」否定できるものではありません。
お礼
こんにちは。 ☆これを仮定すれば、偶然がないのは当然になってしまうので、仮定ははずしましょう。 ◇素朴な認識論的な視点からの《必然・偶然》についての質問なので、確率的決定論の部分をあえて排除しました。 私たちは、量子力学の産物である電子機器に取り囲まれ、これらと無縁に生活できない。 そして、我々では達し得ない未来予想をコンピュータにさせようというのだから、その意味においても、矛盾した話ではあるんですよ。 ☆起きる事象は、確率過程をふくめて確率法則で記述できるとしても、確率を認める段階で(確率という形式をとる限り)、不確実な現象が入ってきますので、人間にとって偶然としてしかとらえられないことはつきまといます。 ◇はい、厳密なことを言えば、そうなります。 しかし、我々の感覚はかなり粗雑であり、そうした揺らぎを感知できないのもまた事実。 そして、こうした情報を元にした我々の認識はさらにアバウトなものになります。 ですから、この許容範囲の中で予想できれば、我々の日常的な認識として予想できたと考えていいのだろう、と思います。 回答、ありがとうございました。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
ねこさん、こんばんは。 面白い質問ですね。 質問を読ませてもらって、確かにそうだなと思いました。 しかし、答えが出ません。 で、何時間か考えてみました。 質問に書いてある通り、偶然も因果関係はありますよね。 結論から申しますと、条件の数だと言うことになりました。 因果の条件の数が少なければ偶然になり、条件が数多く重なれば必然になる。 サイコロも一度振って1が出る確率は1/6ですが、これは振る条件が一度です。 これを100回振る、つまり条件が増えた場合必然と言えます。 100回振って1が出ることが一度でもあるとすれば必然。 いろいろ当てはめてみた結果、必然が出るくらい条件が重なれば どの事象においても共通だと思います。 未来のほとんどが予測できるかは別にして、私的にも面白い結果が出ました。 質問ありがとうございました。
お礼
☆結論から申しますと、条件の数だと言うことになりました。 因果の条件の数が少なければ偶然になり、条件が数多く重なれば必然になる。 ◇たとえば、その現象が(微分)方程式の形で完全に記述できるとしても、条件が不足していると、実際に解けない、 ということはよく起こります。 支配方程式は分かっているけれど、それを解くための条件が分からない、という場合はあります。 天気予報が当たらないのは、この条件が正確に分からない、与えられないことが、その大きな原因の一つ。 そして、この条件が十分に与えられても、その条件が現実のそれとわずかに違っているだけで、まったく異なる結果が出てくるということもあります。 回答、ありがとうございました。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
故に、 偶然は必然。
お礼
なるほどね。 回答、ありがとうございました。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
回答?し直しです。 皆様の思考のヒントになれば、との思いからなので“内容”などありませんが。 『偶然とは感性の産物であり、必然とは理的な現象である』 ・・・・・と、してみました。 結局、この世の現象は「因果」をベースにすれば必然である、と思えますがこの“必然”は必然として捉えられない複雑さ故に、感性がそれを“偶然”と捉えるのだと思います。
お礼
☆『偶然とは感性の産物であり、必然とは理的な現象である』 ◇これはおもしろい考え方ですね。 こういう発想はまったく思いつかなかったです。 なるほど、こういう解釈、捉え方もできますね。 ですが、 「理的」よりは、「理性的」のほうがいいのでしょうかね。 回答、ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
決定論的な世界像は、百年前に量子論によって否定されました。 決定論的な立場に立てば、物事の未来は本質的には決まって いて、情報不足や分析力の不完全さによって、未来は不確定 になっているとされます。 しかし量子力学の不確定性原理において、そうした確定性こそ 二次的なものであり、存在の本質は確率的なものである事が 明らかとなりました。 ある粒子の未来の位置を決定するには、その現在の位置と 運動量を把握せねばなりませんが、その2つの値の不確定性が 相補的=一方を確定しようとするともう一方が無限不確定性 (=無)に発散してしまう、というのが不確定性原理です。 その不確かさを、冒頭のような観察手段の不完全さに由来する ものと批判する一派もありましたが、たとえば2本のスリットを 通して、向こうのスクリーンに電子を飛ばすと、1個ずつ電子を 飛ばしても、痕跡の集まりが次第にスクリーンに描くのは、2本 の帯ではなく干渉縞模様である事により、決定論は息の根を 止められました。 即ち、1個の電子(の不確定性)が、2つのスリットを同時に 通った確率同士が干渉しているのでなければ、スクリーンに 1つずつ消えていく電子が、それ以前に消えていった電子の 場所を覚えていて、皆で協力している事になるから。 そうした現象的なものだけでなく、素粒子の相互作用におい ては、経路積分として知られています。 物理学的な状態Aが、Bに変化する確率は、そのAがBになる 複数のプロセスの全てを足したものとなる=可能な複数の プロセス全ての経路を経て事象は起きているのです。 決定論の根底にあるのは、「認識とは結果的に生まれたもので 観察とは無縁に外部に有限な性質を持った存在がある」という ものです。 量子論では、その根本にある不確定性原理において、そうした 外的存在性が否定され、「位置(S)を確定すると、(その変化で ある)運動量(St)が無限不確定化」し、「時点(T)を確定すると、 (時間的な相対運動だと言える)質量(Ts)が無限不確定化」する、 とされ、存在的確定性とは、それを原理的に確定化せずに、 階層現象の表面的に(いい加減に)捉える事で、仮象的に派生 する=本質的には無に還元される事が明らかとなったのです。 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に 詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」の闇の潜在(認識可能性)として、 認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化= 物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、 認識体はその光の向うに、自我仮説の補完としての時空仮説を 認識するのです(相補分化)。
お礼
物理における決定論的な考え方は、現在もなお生きていますよ。 古典的物理学的な因果的決定論から確率論的決定論に変わっただけですよ。 別に量子力学的な期待値で議論したって構わないと思っています。 私たちが自身の五感で感得でき、私たちが実際に生きている世界は、量子的な揺らぎの世界ではなく、量子的平均、統計的平均値の世界なので。 回答、ありがとうございました。
- sssv
- ベストアンサー率14% (7/49)
ごめんなさい、質問内容が難しいので、回答出来ないのですが、かわりにジャズの名曲《イン・ザ・ムード》を捧げます、この曲を聞いてテンションが上がったら嬉しいです。
お礼
お久しぶりでございます。 な~に、難しく考える必要はありません。 ツバサクロニクル・第二話に登場する次元の魔女・侑子さんの 「あなたたちの願いがかなうのは運次第。 けれど、世の中に偶然はない。 あるのは必然だけ。 あなたたちが出会ったのもまた必然。」 でもいいのよ。 これも立派な回答でございます。 数理的な世界観だけが世界観だとは思っていません。 世界の解釈は無限(夢幻?)にあり、その語り口は神話的なものであったもいいと考えております。 ツバサクロニクルは、パラレル・ワールドであり、多元世界なので、この質問にピッタリの話である♪♪ 運命の赤い糸でもOK!! ☆☆☆☆☆☆ わたしの現在の元気づけの曲は、 Database / Man wit a Mission ft. Takuma https://www.youtube.com/watch?v=eW6sEkTGbUc でございます♪ なお、ご紹介していただいた曲は、曲はよく知っていたのですが、曲名をまったく知りませんでした。 イン・ザ・ムードというのですね。 勉強になりました。 少しだけ賢くなりました。 回答、ありがとうございました。 ps わたしは現在、アニメ『ログ・ホライズン』にハマっております。 よろしかったら、ご覧になってください。
補足
この疑問を持ち始めたのは、 アニメ『ツバサクロニクル』の侑子さんのこの言葉なんですよ。 このアニメをTVで見てから、ずっと心の奥底で抱えていた疑問。 ですが、 あえてこの問題については考えることを避けてきた。 これには色々な理由があるのですが、いい機会なので、質問してみました。
- asisai888
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>人間が実際に五感で感じ、生きる世界の現象に偶然などありうるのだろうか? >ただ、我々の知識と情報の欠如のために、そして、計算能力の低さのために、偶然と >感じるだけなのではないか? そもそも必然と偶然は相反する言葉ではないです というのも仮に知識や情報が十分で、計算能力も高く あらゆる事柄に対して精度100%で何かの予測ができたとしましょう つまりこの世は必然性で成り立ってることが分かったとしても 偶然が存在することは否定できません なぜなら我々が知る必然性が、必然的に成立したかどうかが分からないからです 例を挙げるなら質量を持つ物体の間には引力が働くので物体同士が引き合うことには 必然性がありますが、引力が働くという必然性は必然によって生じたのかどうかはわかりません つまり偶然によって引力の必然性が生まれた可能性もあるのです また、仮にある必然性が必然によって生まれたとして、その必然はさらに必然によって生まれたのか? どこまで必然性を求めていっても偶然の疑問は差し挟めてしまうのです 面白いことに偶然によって必然が生まれたらその必然は必然であるにも関わらず偶然だという 結論になってしまうのです
お礼
こんばんは。 ☆つまり偶然によって引力の必然性が生まれた可能性もあるのです。 ◇なぜそうなったのか分からないという意味でならば、偶然ということになるのでしょうね。 たまたま(四つの力が)生まれた、と言うしかないのだろうと思います。 ☆面白いことに偶然によって必然が生まれたらその必然は必然であるにも関わらず偶然だという結論になってしまうのです。 ◇これは計算の始点をどこにとるかだと考えます。 観測したデータを元に初期状態を設定して計算すればいいじゃないでしょうか。 回答、ありがとうございました。
お礼
こんにちは。 自然科学は因果律を前提として構成されていますので、宿命的にこの因果律から抜け出せない。 そういう理論構成ですから。 回答、ありがとうございました。