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三國志
魏呉蜀で一番義を重んじたあるいは道徳心があったのはどこでしょうか?
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当時の道徳心と言うと、儒教的価値観および古来からの五行思想になるので、 現代の道徳観念とはかなり違うことを念頭に置かねばなりません。 「もっとも道義的な国はどれか」というのは、それぞれの建国理由にかかることなので、 一概にどれとは言えません。 各国の建国の建前は 魏:漢から正式な手続きを経て禅譲を受けたので、魏が最も道義的に正当な国家である 蜀:漢の皇族の末裔である劉備が建国をしたので、こちらが正当な国家である 呉:漢の天命は尽き、また魏は正当な国家ではないので、呉を建国したのである というものです。 当然それらには反論があります。 魏:女子供を利用して国を奪った曹操、司馬懿などはとても道義的に正当とは言えない(後趙の始祖・石勒の評) 蜀:劉備が皇族であるというのは非常に胡散臭い。単なる傭兵隊長が成り上がったに過ぎない。 呉:単に混乱に乗じて独立しただけ。袁術とさほどかわらない。(袁術の娘を妃に迎えてもいる) 実際の統治において道義的だったのは、まぁ、蜀とはいえるかもしれませんね。 魏や呉のように内乱が(ほとんど)なく、重臣を殺害することもなく、政治的にも(一応は)安定はしていましたから。 とはいえ、蜀は実質劉禅一人の治世なので、欠点は表出しなかったとも言えます。 それに、国を運営するにあたっては義や道徳心ではどうにもならない部分が多いですから、 あまりそこにこだわるのも短絡的かな、と思います。
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- 0_asuka
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当時はなによりも漢王朝を存続させ続けることが道徳的と考えられていて、その価値観は西晋による三国統一の後もしばらく残りました。 禅譲による後漢滅亡より88年も後、蜀漢滅亡より45年も後だというのに、自らを漢王朝の後継と位置付けて漢王朝復興を大義名分に独立する者(五胡十六国の漢の高祖劉淵)がいて、その大義名分がそれなりに受け入れられていたことから、その価値観が相当強固なものだったことが判ります。 そういう視点で考えると、魏への禅譲により失われた漢王朝を自らがその後継となることで存続させ続けた蜀が最も道徳的と考えられます。
お礼
なるほど、そういういみでは蜀ですね。 詳しくありがとうございました。
- 0fool0
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演義と正史で書かれた立場が違うので、どちらがどうとは正確には言えないと思います。 どの国にも其れなりの策略が有り、其れなりの道義があったから、国を起せたのでしょうし。 史実としては何処も大差は無いと考えます。
- at9_am
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正史か演義かで大分違ってくるとは思います。 演義ベースなら蜀ですね。なぜか蜀は優遇されていますから。 正史なら魏かな?
- chiha2525
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どこも無かった。 http://zapzapjp.com/40778815.html そう考える日本人が9割超え
お礼
なかなかないものなのですね。 詳しくありがとうございました。