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女性のブッダは存在することが可能か?
- パーリ語のbuddhāですが、これを女性名詞の単数形あるいは複数形の主格と考えて、ブッダを女性にすることは可能ですか?
- ブッダを女性にする発想が私にはまったくなかったので、驚いて質問しました。
- sutta nipāta 1.5のCundasuttaによると、ブッダは女性形であっても存在するとされています。
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文法上は、形容詞の女性複数主格の名詞化とみることもできるのでせう。 (この用例では、動詞が複数形ですから、女性単数形は無理です。) その場合でも、英語の「they」と同様に、男女の区別なしとするのが妥当ではないでせうか。 個人的には、女性であつたほうが、信心します。
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- kurinal
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kazamidori365様、こんばんは。 (何事につけても) そんなに、驚かないでね。
お礼
回答ありがとうございます。 驚きました。
文法から、女性が第2の悟り・解脱を達成出来るか出来 ないかを尋ねるってどうだろう? ゾクチェンの最終段階に到達できるのは、つまり光の身 (虹の身)を成就できるのは、多くが女性であろう、と パドマサンヴァバは言ったとか 女性達が悟り・解脱に関心・興味を持つかどうかは別に して、私の拙い経験から、第2の悟り・解脱は女性が圧 倒的に優位だろうと
お礼
回答ありがとうございます。 女性が成仏できても、女性のブッダがいなければ女性は男性になるしかないわけです。 今回は言葉の問題ですから特に仏教に限らなくてもいいのですが、 複数いるブッダに女性が含まれるかどうかは仏教観が変わります。
- NemurinekoNya
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仏教の教義上、女性は仏陀になれないんですよ。 その理由は、女性だとお妃さまを持てないから(笑い)。 転輪聖王と仏陀はともに32相を持っているカッパ(仏陀の正体はカッパです。カッパである証拠に水掻きがある!!)だから、 可能性としてお妃を持てなきゃマズいんですよ。 転輪聖王の七宝の一つに ───────── 女宝(イッティラタナ itthiratana):美貌と芳香を持つ従順かつ貞節な王妃。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8B ───────── があるんで、 仏陀は男でないとマズいんです。 さらに、 32相の一つに馬陰蔵♂があるんで、男ということになってしまう。 この話は、『スッタニパータ』の第3章、セーラにも出てきます。 ゴータマさんは神通力(?)をもって、その様子♂を見せた(ニコニコ)。 (馬)陰蔵 http://labo.wikidharma.org/index.php/%E9%99%B0%E8%94%B5 チベットの交合仏には、お妃(女神)が描かれているでしょ。 それに、ブッダの時代、女性の出家者は仏教以外ではあり得ないので、 buddhaに女性がいたということは、時代的に考えられないですね。
お礼
女性のブッダがいないと 女性は男性になるしかないということになってしまうのがなんとも。 32相はバラモン教由来だと思います。 セーラもバラモンですから。 バラモンとかムニとか片っ端から女性がいないのかと考えたくなってしまいましたが それだけ男性社会だったのでしょうね。 スッタニパータのセーラ経は557の詩句で 557 師が答えた、「セーラよ。わたしがまわした輪、すなわち無上の<真理の輪>(法輪)を、サーリプッタがまわす。かれは<全き人>につづいて出現した人です。 ゴータマ・ブッダのいわば後継者がサーリプッタになっていますから これはこれで後で話題にしたい経です。
回答番号2の「お礼」拝見しました。パーリ語関連のネット情報にお詳しいのですね。私はいまだに紙の本が頼りです。パーリ語については、特には勉強してゐません。サンスクリット語からの類推です。今後とも御教授くださいませ。
お礼
いわゆる原始仏教を調べるのにパーリ語のテキストが必要なのに誰も教えてくれなかったので ネットで調べていた頃の名残です。私は語学が苦手です。
『ダンマパダ』とか『テーラガーター』などで、buddhāの使用例を調べてみたのですが、女性に限定されたものは見あたりませんでした。丁寧に見ていつたわけではありませんので、どこかに用例があるかもしれません。女性のブッダが存在しても不思議はないやうな気がします。なんともいへません。 http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-529.htm
お礼
少し調べてみましたが、どうやら女性に限定された箇所はなさそうですね。 あればとっくに話題になっているかと思ったり。あれば興味深いのに。 女性のブッダがいないのも奇妙な気はするんですが。
- NemurinekoNya
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辞書にない以上、無理じゃない。 韻律の関係で長音化していると考えるべきなんじゃない。
お礼
回答ありがとうございます。 女性のブッダがいることになると、かなり考えが変わりそうです。 ~~~~~~~~~~~ buddhaパーリ語辞典 水野弘元著 buddha:a.m.[bujjhati の pp.] 覚った,目覚めたる,覚知せる; 覚者,仏陀,仏.- http://palidictionary.appspot.com/#/browse/b/buddha ~~~~~~~~~~~ 名詞・形容詞の変化(-a)/演習のやり方 http://www.manduuka.net/pali/basic/index.cgi?no=5 ~~~~~~~~~~~~ 85 鍛冶工チュンダはいった、「目ざめた人々は誰を<道による勝者>と呼ばれるのですか? また<道を習い覚える人>はどうして無比なのですか? またおたずねしますが、<道によって生きる>ということを説いてください。また<道を汚す者>をわたくしに説き明かしてください。」 86 「疑いを超え、苦悩を離れ、安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ、貪る執念をもたず、神々と世間とを導く人、──そのような人を<道による勝者>であると目ざめた人々は説く。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ここで、目ざめた人々(buddhā)が複数形であることに注意せよ。 次の詩でもbuddhāと複数になっている。つまり、ここの教えをシャーキャ・ムニ(釈尊)が説いているのではない。 「わたしが説くのだ!」とは言わない。そういう傲り高ぶった気持ちをかれはもっていなかった。 ブッダたち(ジャイナ教やそのほかの当時の諸々の聖者たちを含めて)が説くのである。 当時の聖者たちの説いていること、真理を、釈尊はただ伝えただけにすぎないのである。かれには<仏教>という意識がなかったのである。 ワイド版岩波文庫 ブッダのことば スッタニパータ 詩句85の註 270ページ ~~~~~~~~~~~~~~~ You searched: buddhā http://suttacentral.net/search?query=buddh%C4%81&target=texts&lang=pi&limit=25&offset=0
お礼
回答ありがとうございます。 動詞のことに気がつきませんでした。 指摘ありがとうございます。 文法上は女性のブッダも存在できるのですね。 男女の区別無しだとしても十分衝撃的でした。 驚きのあまり考えが変わります。 You searched: buddhā http://suttacentral.net/search?query=buddh%C4%81&target=texts&lang=pi&limit=25&offset=0 他にもbuddhāが出て来る箇所があるようです。