• ベストアンサー

ウイルスが宿主を殺すことの利点

自然界で流行るウイルスには致死性の高い物がいくつかありますよね、 例えばいま西アフリカで流行っているザイール型のエボラウイルスも致死率90%と言われてますよね。 しかし大切な増殖場である宿主を殺してしまうことに利点はあるのでしょうか? いまいちわかりません よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#212313
noname#212313
回答No.3

 ウイルスに限らず、生物内で繁殖する細菌、寄生虫なども同様の問題がありますね。抗ウイルス薬、抗生物質など、人工的に排除するものは除外して考えてみます。  例えば、あるウイルスがヒトの体内だけで繁殖できるとします。そのウイルスが増殖しやすく、かつ致死性が高いとすると、ヒトが絶滅するか、ヒトの免疫系によりウイルスが根絶されてしまうか、どちらかになります。ヒトが絶滅すれば(全地球とは限らず、ウイルスが到達可能な範囲にいるヒト)、ウイルスも死滅せざるを得ません。  ただ、もしそのウイルスがヒト以外でも繁殖できる、例えば別の動物がもともとの主な宿主で、ヒトも宿主とすることがあるに過ぎないなら、ヒトが絶滅しても、ウイルスは生き残ります。  数千年、数万年前からヒトの居住地域にいるようなウイルスなら、ヒトはそうしたウイルスに対する免疫系が充分に働き、何らかのきっかけで流行があったりすると、ある程度の被害はありますが、絶滅に至るほどではありません。  逆にいえば、そうしたウイルスに免疫系が対応できていない、つまり耐性のないヒトは淘汰されたということでもあります。非常に危険なウイルスは、いつも未知のものです。人類が今まで居住してこなかった場所に、未知の危険なウイルスがいたという事例は、未知の原野の開発が急進行すると、急に増えました。  あるいは、人類が世界中を行き来するようになる前は、ごく一部の人類居住地域に存在し、そこに住む人々は耐性があるけれど、他から入り込んでウイルスの害を受けるという事例も発生しています。媒介する蚊などが飛行機にまで入り込み、短時間で遠くまで運ばれてしまい、遠い国で感染、流行を引き起こすこともあります。  世界規模でパンデミックが心配されたりするのは、そうした事情からです。しかし、あるウイルスで人類絶滅が起こるのかということを考えると、実はあまり起こりそうにありません。  ウイルスが抗ウイルス薬に対し、細菌が抗生物質に対して耐性を持つようになることはよく知られています。ウイルスや細菌とて体質(と呼んでいいのかな?)が違うものがあったり、あるいは突然変異を起こしやすくて、耐性を持つものが必ず少数はいるからです。そして、抗ウイルス薬でほとんどのウイルスが死滅しても、残った少数のウイルスが再び繁殖します。  耐性を持っていたウイルスは、耐性のないウイルスと同等か、もしかすると劣る繁殖力しかなかったかもしれません。しかし、抗ウイルス薬がある環境では、遺伝的な強者となります。抗ウイルス薬が淘汰圧として働かず、しかも同族の競争相手はいなくなっています。耐性のあるウイルスにとっては増えたい放題の環境です。  多細胞生物であるヒトは突然変異で簡単に変わることはできません。しかし、遺伝的多様性は膨大なものがあります。未知で危険なウイルスであっても、生まれながらに耐性を持つヒトが必ずいます。危険なウイルスがある環境では、耐性があるヒトが多く子孫を残せます。代を重ねていくと、そのウイルスのある地域では耐性のあるヒトばかりになります。  さらに、ヒトにも微視的な進化があります。はっきり分かっているものは、例えば免疫系で重要なT細胞です。T細胞は自分のDNAを自ら改変できます(一部を切り離して、つなぎ直す)。そのため、新種を含む多種多様の微生物に対応できます。まだ分かっていないものも含め、ヒトは見た目は同じようでも、微視的には微生物への対応という点で、どんどん進化していると考えてよさそうです。  そのことを説明する進化論の概念に、「進化の軍拡競争」「赤の女王説」というものがあります。  進化の軍拡競争とは、 「被食者のウサギと捕食者のキツネだけがいるとして、足の速いウサギが生まれると、そのウサギはキツネに捕まりにくく、足の速いウサギが生き残りやすく、従って子孫を残しやすくなり、足の速いウサ日ばかりになる。  すると、それを捕まえられる足の速いキツネが同じようにして増えていく。その繰り返しで、ウサギもキツネもどんどん脚が速くなるよう、いつまでも進化を続けていく。」 というものです。  それが微生物とヒトで起こっているとするのが「赤の女王説」です(不思議な国のアリスの赤の女王の台詞「同じ場所に留まりたいなら全速力で走れ」に由来する命名)。 ウイルスが抗ウイルス薬やヒトの免疫系に対抗できるよう突然変異などで進化し、ヒトも新たな抗ウイルス薬を作り、免疫系も新型ウイルスに対抗できるよう進化していき、ずっとそれを繰り返すことになります。  それが本当にいつまでも続くのかといえば、少なくとも微生物とヒトの進化競争については、そうではありません。そのことを示すのが、例えば腸にいる常在菌です。ヒトに害がないため免疫系の攻撃は受けず、ヒトの健康に役立ちさえしています。  そんな都合のいい微生物が何種類も、ヒトと無関係に生まれたとは考えにくいです。微生物は原則としてヒトの生存にとっては邪魔ものです。最低限でも栄養などを横取りしますし、多くは炎症などの害を及ぼしもします。だからこそ免疫系があって、そういう微生物を排除する仕組みがヒトにあるわけですね。赤の女王説のような進化競争も起こります。  そういう対立的な競争は一種のゲームと考えることもできます。ゲームの理論的に考えると、対立的な競争のゲームになるわけですが、たいていは競争が止む安定的な解が存在します。それが共存的、さらに共栄的な状況です。微生物とヒトがそれぞれ変化していき、互いに益になるように変わると、競争する必要がなくなります。  進化した微生物はヒトに有用な栄養素を作りだすようになり、ヒトは免疫系でその微生物を攻撃することを止めるばかりでなく、栄養を与えたりするようにすらなります(これは食生活の変化で起こる)。  そうなると、その微生物はヒトの中でどんどん増えます。すると、その微生物と類似の微生物はヒトの中で繁殖できなくなります。類似する微生物は繁殖で増えられる多さ(密度的なもの)に限りがあります。ある種類が繁殖すると、他の種類は栄養不足などで繁殖できなくなってしまうのです。よく耳にする腸の善玉菌などの常在菌は、害のある細菌が増えないようにする働きがあり、ヒトの生存にとって好都合になっています。  いったんは、『善玉菌』となっても、突然変異などを起こして『悪玉菌』に変わってしまう可能性は常にあります。害の大きいO-157は、ある種のウイルスに寄生された大腸菌で、もともとは害がないものだったのが、ウイルスの寄生により性質や機能が変わってしまって、害のあるものになってしまったのです。そのO-157も、寄生したウイルスが変異して、無害なものに変わり、O-157の繁殖を抑止するようになる可能性はあります。  あるときは宿主にデメリットの大きい微生物であっても、進化競争でメリットのあるものに変わる、その逆も起こる、それが繰り返されるということですね。 >大切な増殖場である宿主を殺してしまうことに利点はあるのでしょうか?  宿主個体としては死んでしまうことは利点とはとてもいえません。しかし、宿主となる生物種レベルでは、いずれは利点になります。たとえば、微生物が害があるままだとしても、免疫系が対抗できる個体が増え、類似の微生物にも対抗できるようになり、生物種として強化されます。  そして、また害もでてくる。すると、上記段階を経て利点となる。延々とその繰り返しですので、固定した利点、害というものはありません。 P.S.  だからといって、例えばエボラ出血熱を放置していいということでは、もちろんありません。微生物に対抗する免疫系を拡張して考えると、もう人類の生物的能力は使える道具も含めたものであり(脳が大きいことがその証拠)、医療技術も一種の免疫系だといえますから。ヒトの進化は道具込みです(道具のほうが大きな要素かも)。

yamanasikensan
質問者

お礼

お礼が遅れてすいません どの回答もとっても面白かったのですが こちらの回答が一番興味深く読ませていただけたので、この回答をベストアンサーにさせていただきました。 みなさんありがとうございました!

その他の回答 (10)

  • txr002
  • ベストアンサー率41% (28/67)
回答No.11

利点はありません。宿主が死ねば寄生しているウィルスも共倒れです。 今は天然痘は絶滅しましたが、もし天然痘が人類を絶滅させるほどの毒性があったなら天然痘は人類と運命をともにしています。 「本来の宿主」という発想はウィルスにはありません。寄生虫のような進化の過程を経ていないウィルスはそんな回りくどいことはしませんから。共倒れするか共存するかの二者択一です。 よく「自然は場ランするようにできている」という主観的な主張をする人がいますがそれは全くの嘘です。「結果的にバランスしているだけ」であってバランスをとろうと思ってとっているわけではないのです。  天然痘だって基本的に人から人にしか感染しないウィルスですからその意味では「本来の宿主は人間」ですが、天然痘は人を容易に死に至らしめます。その事実がウィルスには本来の宿主を守ると言うような行動はないと言うことの表れです。 >大切な増殖場である宿主を殺してしまう ウィルス自体にそのような発想や進化の方向性はありません。突然変異=進化ですから、発生はランダム。「たまたま」発病性があったり致死性があったりするだけです。偶然に起こっているのです。偶然に意味などありません。

  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.10

ウイルスは本来の宿主であれば殺さないようになっています。 例えばエイズウイルスはもともとはとあるサルの一種に感染するように長い歴史の中で進化してきたのです。 だからそのサル相手であればエイズウイルスは無毒です。 ところが不幸な出会いからエイズウイルスの一部は人間に感染してしまったのです。 エイズウイルスはサルに対して無毒であるようなシステムを持っていたのですがそのシステムは人間には不適合だったため、人間の免疫機能を過剰に破壊して殺してしまうことになってしまったのです。 つまり、本来想定していない生物にうっかり寄生してしまったウイルスはその宿主を殺してしまうことがあるのです。 なので宿主を殺すことにウイルスへの利益はありません。 これはウイルスに限らず多くの病原微生物や寄生虫に言えることです。 人間にとっては非常に有害なエキノコックスという寄生虫はキツネには無毒です。

  • Water_5
  • ベストアンサー率17% (56/314)
回答No.9

エボラウイルスも人間も生物は増殖しようとします。 お互いに勢力争いをしているだけのことです。 エボラウイルス側からすれば、ワクチンをつくって我々エボラウイルスを殺そうとする人間どもは、凶悪な生物と見ているでしょう。 先ほどの第28回エボラウイルス国会において 人間のワクチンについては、遺伝子変異を起こして 耐性を獲得する事を議決しました。 エボラウイルスの更なる反撃が予想されます。 クワバラクワバラ。

  • hayasitti
  • ベストアンサー率69% (229/331)
回答No.8

>しかし大切な増殖場である宿主を殺してしまうことに利点はあるのでしょうか? そもそも致死性というのは、ウイルスが宿主中で増殖するときに最終的に陥ってしまう事象です。 ウイルスからしたら、宿主が生きている間に100あった同志が100万になっていれば、増殖としての目的は達しているわけです。 あとは同志がばら撒かれて別の生物に感染して、さらに増えればよい、ということですね。 (いわば、宿主を踏み台にできればよい、と。) (感染して取り殺される生物・宿主側からしたら、きわめて迷惑な理屈ですが。) もちろん、ずーっと寄生して、生かさず殺さず、ずーっと増え続けられれば、ウイルスとしての繁殖という意味ではこの上ないと思います。 ただ、ウイルスの都合に宿主がついていけない、というだけの話です。 (そういう点で、エボラは、自分勝手であり獰猛である、凶暴である、といえるんじゃないでしょうか。)

  • Water_5
  • ベストアンサー率17% (56/314)
回答No.7

生物としてはグレーゾーンだと聞いたので… =================================    ↓↓ 確かに、ウイルスはグレーゾーン的な位置づけだ。 しかし、いまどきウイルスを無生物扱いをする人はいない。 それよりも、最初の原始生命体はウイルスよりももっと 石ころに近いが・・・。

  • Water_5
  • ベストアンサー率17% (56/314)
回答No.6

そもそもウイルスは生物なんでしょうかね… ============================== ↓↓ ウイルスは生物です。 そんな質問するとこ見ると君は生物と思っていないのか?? 生物の定義として”増殖する”を上げる。

yamanasikensan
質問者

補足

自己自信でDNAやRNAの複製ができなかったり代謝を行っていなかったりと生物としてはグレーゾーンだと聞いたので…

  • Water_5
  • ベストアンサー率17% (56/314)
回答No.5

ウイルスは宿主を殺さない。殺すと自分が増殖できなくなる。 そんな間抜けな事は、生物はしない。

yamanasikensan
質問者

補足

そもそもウイルスは生物なんでしょうかね…

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.4

そもそも人間は宿主ではない 宿主で無い生物の生き死には関係無い

回答No.2

確かに微妙なところですよね。 納得いく説明になるか分かりませんが、こういったところの問題は、おそらくまだ、人間がエボラウィルスと出会って時間がたっていないからではないかということもあるんだと思います。 もう、大分前なので、忘れてしまいましたが、長い時間をかけて、ウィルスも宿主を殺さない進化をするかもしれません。 また、ひどいウィルス感染症の場合、遺伝的にウィルスに抵抗性を持った人間が生き残る可能性が高まるかもしれないですね。 断定的に書かないのは、特にウィルスは、どちらかといえば、遺伝情報を持った生物的な物質(あいまいですが。)なので、意志があるというより、ランダムに自己複製の時、変異を作り、自分に有利になったり、ならなかったりという違いがあるということです。他の生物でも長いスパンでは、同じです。有性生殖の場合、パートナーを選ぶという部分があるますが。  コウモリなどが、自然宿主としてこのウィルスを持っているそうですが、おそらくこのウィルスに感染するとかではないと思います。(http://www.jsvetsci.jp/05_byouki/prion/pf168.html) 現地の人が、どれくらい前からこのコウモリを食べたり、触れたりしてきたか分かりませんが、すごいアバウトな書き方で済みませんが、まだエボラと人間は、仲良しになっていないということかもしれません。ヘルペスウィルスなどは、まだ仲良しで、疲れたりすると唇などにぶつぶつ出てきちゃったりしますよね。仲良くなるのもなかなか難しいのかもしれません。  マレーシアで昔、二パウィルスというものが流行りました。森に住んでいたコウモリが自然宿主だったそうなのですが、それが家畜の豚などに感染させて、人間に感染した。 この原因が同時のテレビで言われていたのが、森を人間が切り開いたからだそうです。 (http://www.jsvetsci.jp/05_byouki/infect/02-nipavirus.html) 似たような内容がエボラにもあるかもしれません。 私の専門が、感染症やウィルス学ではないので、アバウト説明になってしまいましたが、 今、エボラのそうですが、国内ではデング熱なども流行って、感染症やウィルス研究の先生方がより忙しくなっておられるかと思われますが、もしより詳しく、確信を持った説明が必要でしたら、 国立感染症研究所や長崎大学熱帯医学研究所などの先生などにメールでお聞きになったらよろしいかと思われます。もしかしたら、返事がくるかもしれません。そのときは、私もそのお答え知りたいです。 良かったら、教えてください。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.1

病原体といえども本来の宿主には破壊的傷害を与えないのが原則らしいです。エボラ出血熱を起こすウイルスの本来の宿主は蝙蝠だそうですが、こうもりはこのウイルスで殺されないと思います。狂犬病ウイルスの本来の宿主も中南米に住んでいる吸血蝙蝠だそうですが、このこうもりも狂犬病ウイルスで殺されないということです。逆に本来の宿主でない宿主にはときとして激しい破壊をもたらすという一例はヒトにおけるエボラ出血熱ではないでしょうか。ウイルスではありませんがペスト菌も人には激しい伝染病を起こしますが、本来の宿主であるネズミノミに対しては全く病原性がないということです。

関連するQ&A