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地獄の沙汰も金次第。
このことわざ?は、いつ頃できたのでしょうか。 このことわざは、京や尾張のいろはかるたにあります。 京いろはかるたは、江戸中期に上方で生まれ、江戸いろはかるたよりも歴史が古いそうです。 このことわざの「沙汰」とは裁判(評定。裁断。訴訟)の意味だそうです。 すると、江戸中期の上方では、裁判のことを「沙汰」と言ったのでしょうか。 「沙汰」を裁判の意味で用いたのはいつ頃のことなのだろう、また地獄の裁きでさえ金で解決できるという風潮が生まれたのはいつ頃のことだろう、と考えると分からなくなりました。 よろしくお願いします。
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>このことわざ?は、いつ頃できたのでしょうか。 下記URLでは「現時点でこれらを遡る資料は見当たらず」とあって、 二、三の用例が示されています。 ×『法華経直談鈔』※栄心(1475-1546)撰述して成菩提院に奉納、?室町後期成立?※ ○『玉塵抄』※永禄六(1563)年成立※ ○『犬筑波集』※1524年以降成立、1539年とも?※ 概ね「1524年以降あるいは1539年~1563年」の16世紀中頃には成立していたようです。 〇『蓮花寺佛教研究所紀要 第五号/2012』(5-27頁) 「貨幣経済と地獄の思想─地獄の沙汰も金次第─/田村正彦」 http://renbutsuken.org/wp/wp-content/uploads/2013/06/a49ee3ac44ba0d9985af4b1c65c68d83.pdf 上記抜粋 <7・8/206> 『時代別国語辞典 室町時代編三』によれば、次の二例が、十六世紀のものとして確認できる。 一心ノ銭ヲ善ク使ハ種々功徳ヲ買取テ成也。サテ一心ノ銭ヲ悪使ハ業ヲ買取テ後ハ堕地獄ニ也。去ハ常ノ人言ニ地獄ノ沙汰モ銭カスルト云ハ仮初ナカラ実義ニ叶タル事也。 一心ノ銭ノ使様ニ依テ行浄土ヘモ可堕地獄ヘモ故也。 (『法華経直談鈔』・六本ノ二十六・「銭之事」) 神ニイノリ祈祷ヲシタリ亡者ヲトムラニ物ヲ入テツカウコトソ。 地獄ノ沙汰モ銭デスルト云コトソ。ソノツレヲハ用ヌト云心ソ。 (『玉塵抄』・巻三十八) 前者は、仏事以外に無駄金を使うことはまるで悪業を買うようなもので、 いずれは堕地獄につながると警告する。 そして、「地獄の沙汰も銭がする」という諺を引き合いに、 地獄極楽は銭の使いようで決まると説いているのである。 また、後者は、亡者を追善供養する際には、 気持ちだけではなく品物(もしくは金銭)を用いることが肝要で、 それこそが「地獄の沙汰も銭でする」ということなのだと述べている。 その他、同時期のものとしては、『犬筑波集』(山崎宗鑑)に、次のような句が見られる。 聞ばたゞ地獄のさたも銭なれや / たてやまりやうを守護ぞおさむる 「聞くところによると地獄の沙汰も銭なのだなあ」という句に対し、 「立山地獄の領主(守護)だって金でどうにでもなるのだからねえ」と付ける。 あの世を引き合いに出し、この世の不条理を諷刺するところに、 この句の眼目はあるのだろう。 ここでひとつ注目されるのは、以上の三例が、 いずれも「金」ではなく「銭」となっていることである。 現時点でこれらを遡る資料は見当たらず、 本来は「地獄の沙汰も銭」という言い方であったことが知られるのである。 以上
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- SPS700
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#5です。補足です。 >>「富者の万灯より貧者の一灯」は、「地獄の沙汰も金次第」の対極になる諺ですね。 なるほど、日本に来る途中で変わったのか、あるいは来てから変わったのかも、という可能性ですね。 このあたりは仏教伝来史専門の方の分野で、僕等素人の出る幕ではないのですが、例えば弘法大師和讃(下記)では「人皆すべて隔てなく」、(昔は「上根下根の隔てなく」と言っていました)、実際は前にも言った通りなので日本に来てからという考えも成り立ちます。 http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/daishiwasan.htm ところが小銭をチャラチャラとまき散らしてお祈りするチベットの仏教、お金で金箔を買っては仏像に貼付けて供養するタイの仏教、などをみると、途中にも「金次第」の地域があります。 このような拝金主義は、乞食坊主の服装で門前払いを食った一休さんが、金襴の僧衣ではありがたく迎えられ、金ピカの衣を脱いで、さっさと立ち去ったという(多分作り)話にもその戒めが見られます。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 >お金で金箔を買っては仏像に貼付けて供養するタイの仏教、などをみると、途中にも「金次第」の地域があります。 なるほど!確かに映像で見たことがあります。 話は発展しますね。 タイの“金ぴか仏”もいつ頃からあんな風習が生まれたのでしょう。 うろ覚えですが、敦煌で見つかった文書の中に僧が金貸しをしたその証文が出てきた、と何かの本で読みました。 釈迦が亡くなると、布施の財貨を溜め込み金に結びつこうとした一派と釈迦の教えに従いそれをしない一派に分かれた、と思っています。 結局は、金と権力の魅力には勝てなかったのでしょう。
- SPS700
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僕なりの「ド素人」観ですが、沙汰は別にこの世の話ではなく、死んで閻魔様の裁判にかかるが、閻魔さんに袖の下をやれば、まあいいようにしてくれるさ。ましてこの世では金が物を言うってことじゃないですか。 こう言う風潮は弘法大師が開いたと言う高野山を見れば、金持ちの墓地が大きいぐらい、すぐ分かるので、インドの富者の万灯より貧者の一灯(下記)が、日本に来る途中で変わったのでしょう。 http://kotowaza-allguide.com/ti/tyoujyanomantou.html
お礼
ご回答ありがとうございます。 「富者の万灯より貧者の一灯」は、「地獄の沙汰も金次第」の対極になる諺ですね。 なるほど、日本に来る途中で変わったのか、あるいは来てから変わったのかも、という可能性ですね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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「沙汰」:対応や判断の伝達。つまり判決決定でしょう。 後は先の方がお答えですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「沙汰」とは、そういう意味なのですね。
- Nebu3
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「ご沙汰」という言葉は調べていなくてすみませんが江戸時代以前であることは 間違いないのでは。領主及びその代理人が領民を裁いて処置をする意味で使われたと 思います。 ちなみに江戸時代中期の上方といえばちょうど元禄文化が花開く時期でしょう。 史上初めて、権力者ではなくて豊かな京・大坂の町人が文化の担い手となりました。 それこそ金持ち自慢は彼等の真骨頂。大名たちが借金を返せなくて、 彼等の使用人である番頭の姿をみれば大名行列がコースを変えたそうです。 「地獄の沙汰も金次第」。身分にあぐらをかく貧乏大名をあざ笑うかのよう ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >身分にあぐらをかく貧乏大名をあざ笑うかのようですね。 なるほど、そういう見方もありますか! もともと町人が作った“かるた”ですからね。
お礼
いつも丁寧なご回答、真にありがとうございます。 いつもドンピシャの資料を教えて下さるので、驚いています。 よく解りました。16世紀中ごろ成立のようですね。 もともとは、『玉塵抄』にあるように「地獄の沙汰も銭がする」と言っていたのですね。 そして、「銭がする」と言い切る形なので、その意味するところも今の「地獄の沙汰も金次第」とは、ちょっと違うようです。