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仏教は金持ち程幸せになる?天国も地獄も金次第?

支払う金額によってお経の長さが変わったり、戒名も支払う金額が多ければ立派な戒名が付いたりしますよね。 坊主も金が必要とは解りますが金額次第で長さが変わるお経や金額で変化する戒名に何の意味が有るのか?どれ程の価値が有るのか凄く疑問です。 やはり仏教では貧乏人は死んでからも貧乏人で金持ちは死んでからも優遇されるのでしょうか? 仏様の判断が金次第とは考えたくは無いですがお坊さんの態度や行動を見てるとこれが仏教なのかな?と正直がっかりします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

あるお坊さんから「金額が違っても戒名の格やお経の長さが一緒なら、檀家さんが納得しない」と聞いたことがあります。 支払った金額によって戒名やお経のランクが違うほうが分かりやすいし、支払った方により満足感がありますよね。周囲への見栄で高い戒名料を支払い、立派な戒名を付けてもらう人もいるでしょう。 もちろん、お坊さんが収入を増やすためにランク分けして「100万円以上なら、ランクの高い戒名をつけますよ」みたいに勧誘することもあるでしょう。 色々なお坊さんがいますから、ひとくくりにしてしまわず、あなたが共感できるお坊さんを探されてはいかがですか?

noname#182395
質問者

お礼

仏教の教えは納得が出来るのですがお坊さんとか人間が絡むと怪しい事になる気がします。 どこの宗教も受ける側、伝える人間にかなり内容が影響されますね。 ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1854/6060)
回答No.7

>支払う金額によってお経の長さが変わったり、戒名も支払う金額が多ければ立派な戒名が付いたりしますよね 生前に徳を積んでいないのだからせめてお布施の金額でそれを補えばよろしいんですよ、ということですよ。 質問者様は熱心な檀徒が日頃からお寺の掃除をしたり勤行に出席したりしていることをご存知ないからそのような疑問を持つのです。 まともな寺ならば、日頃から信心深かった檀徒については葬式のお布施の多寡に関わらず良い戒名がつきますよ。 >金額で変化する戒名に何の意味が有るのか?どれ程の価値が有るのか凄く疑問です 何も提供しないけれど仏教徒として手厚く葬られたい、と考えることがおかしいのです。 信徒として何もする気がないのならばそもそも仏教徒として葬式を上げなければ良いだけです。 生前に仏教徒として徳を積むことの意味を理解していないのにそのような疑問を持つことの愚かさを知らないことを恥じるべきです。 >仏様の判断が金次第とは考えたくは無いですが 上に書いたような実態を知らずに葬式仏教についての不満を述べているに過ぎないことを知ったほうが良いですよ。 無知は恥ではないかもしれませんが、無知を根拠にに対象を批判するのは本当に惨めで恥ずかしい行為ですよ。

noname#182395
質問者

お礼

仏教の教えは認めてはいますがどこの宗教でもそうですがそれを利用して金集めしようとする人は少数ですが必ず存在はします。 自分の場合は仏教含めてその少数派とばかり長年接して来たので。 仏教に興味が無ければあなたのいうように最初から質問なんてせずに無視して近寄りませんしね。 他人の批判は労力の投資に見合った利益は絶対に手に入らないですし。 回答ありがとうございました。

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1678)
回答No.6

創価学会 壮年部の者です。 現在の宗教(仏教を含む)は、形骸化されたもので、本来の宗教的教義が行なわれているものではありません。 貴方の仰るようなことは、そう古くない時代からのものだと思います。 そもそも、仏教は人間の内在するものと身体、あるいは生活、社会環境の関連性を説いたものです。それが、宗派により【成仏】の意義を大幅に逸脱し、儀式へと転換されたのではないでしょうか。伝教大師が開かれた日本天台宗ですら形骸化されきってしまっていますから。 葬儀の際のお布施の金額により、人は成仏が決まるものではなく、その人の来世が決められるものでもないのです。 ですから、はっきりいって間違っています。 また、これらのことは、多くの人は分かっている事でしょう。あえて言わないだけです。暗黙の了解というかそういうものです。 とりあえずは、葬儀を早く無事済ませてしまいたいというものなのだと思います。

noname#182395
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.5

1。インドにて     「長者の万灯より貧者の一灯」という下記のような教えがあります。     http://d.hatena.ne.jp/kimura051/20110324/1300969155 2。日本でも     弘法大師和讃(下記)には、「真言宗旨の安心は人皆すべて隔てなく」     http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/daishiwasan.htm 3。ですから出だしは発祥地のインドでも、巡り巡ってたどり着いた日本でも、極めて平等(これはカースト制の厳しいインドでも、上根下根の隔てがあるとした日本でも革命的な新思想だったと思います)だったわけです。 4。「地獄の沙汰も金次第」という諺がうまれて、今の高野山になったのをご覧になると、弘法大師、お悲しみになるでしょうね。     南無大師遍照金剛。

noname#182395
質問者

お礼

複雑な心境です。 ありがとうございました。

回答No.4

仏教は文字通り「仏の教え」を伝える宗教です。膨大な経典に精通することは、一般人には困難なことですが、般若心経の言葉の意味を表面的にでも理解できれば、葬式や戒名の格式など、仏の教えとは無関係であることに気がつきます。しかし人間はとかく目で見えるもの、手で触れるものを大切にします。お布施の額で格式が決まるのは、「無眼耳鼻舌身意」の境地にはなかなか至らないからでしょう。 しかし、それを完全否定することもありません。人間界には厳然として物質や金銭があり、それを利用して生存しなければなりません。仏の教えを世界に遍く広げるためには、資金が必要だということも事実として揺るぎません。ですので高額なお布施をする人達は、仏の道を広げるために貢献したことになり、善行を行ったことになります。戒名なとどいう、他の人には三文の値打ちもないようなものに大金を差し出す行為は、それだけ仏教に対して貢献したことになると言えます。 もちろん、これはお布施が仏教の活動のために正しく使われたならば、の話しであることは言うまでもありません。

noname#182395
質問者

お礼

そういう考え方も有るんですね。 ありがとうございました。

回答No.3

仏教は、葬式のためにあるのではないでしょう。 実際、「仏教=葬式」ととらえる人が多いのも事実ですが。 で、No.1さんも少し書いていらっしゃいますが、生きて死者を送り出す側の人間が、「これだけ出しますから、立派な戒名をつけてやってください」とお願いする場合があります。それで生きている人が「ああ、これで死者も浮かばれるだろう」と満足すれば、それはそれで意味のあることだと思います。 そして、質問者さんのように、「なんでお金の多寡でお経の長さや戒名が違ってくるんだ?そんなのおかしい」と思う人もいます。 そういう人は、お坊さんに葬式を頼まなければいいのです。あるいは最低ランクでお願いすればいいのです。 生きている人の“見え”でたくさんのお金を出し、「ほら、うちは立派に送り出したでしょ」「立派な戒名でしょ」と自慢したい人もいます。 坊さんは、そういう人のニーズに応えているのです。 悲しいかな、そしてそれを金儲けの手段にしている坊主がいることも確かです。 「うちはこれだけしか出せません」と言った時に「もっと出せ、でなきゃ地獄へ落としてやる」など恫喝するような坊さんがもしいたとしたら、そういう坊さんには葬式をする資格がありません。とっとと断わりましょう。 同じTシャツでも、量販店で買えば一枚千円もしません。しかし銀座にあるような有名ブランドで買えば、Tシャツ一枚が万単位です。 どちらを選ぶかは、消費者にゆだねられています。 仏教の教義そのものを学べば、仏教がお金次第で死者を差別していないことは明白です。 だいたい、葬式自体、本来の仏教の教義にはないことです。 死者の供養をしたいという、生きている人のニーズに応えて、仏教が日本に伝わって以後、できあがってきたものです。 金儲けに走る坊さん=仏教ではありません。 そういう坊さんを見ただけで、仏教に失望してほしくはありません。 お坊さんに出すお布施は、死者を送り出してくれた御礼の気持ちです。 本来なら「○○万円出せ」と坊主の側から催促すべきことではないのです。 御礼として、お布施を何十万円も出したくなるような、価値のあるお坊さんに巡り会えますように(そういう徳のあるお坊さんも、まだいるのですよ)。

noname#182395
質問者

お礼

送る側の見えやニーズに応えた結果ですか~。 自分なら金を掛けなくても本当に親しかった人に手を合わせて送って貰うだけで十分満足ですが状況によってはそうもいかないんですね。 ありがとうございました。

noname#183205
noname#183205
回答No.2

私も、そういう所は違和感があります。 近所に、本当に倹約家なお寺さんがあります。 その住職さんは、 今はお金を沢山掛けてお葬式をするけど、本来はそんな必要はないと言ってます。 だから、仏教といえどそのお寺さんや人によりけりなんだと思います。 質問者さんがそのお寺の方針に違和感を感じ、 間違っていると思うのは自由だと思いますよ。 どの宗教にも言えますが 仏教とは、こういうものだと一括りにすることはできないと思います。

noname#182395
質問者

お礼

当たり前かも知れませんが仏教も含めて大半の宗教は人助けや人間性の成長を目的に始めたはず何だろうけど広まるにしたがって最初の教えから少しばかりズレが出て来るみたいですね。 でも、自分が知る悪徳商法みたいな人ばかりでは無いみたいですね。 ありがとうございました

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