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地獄の沙汰も人間の愛も、「お金」次第?恋愛や結婚の本当の必要性とは
- 恋愛や結婚において、何が一番重要なのでしょうか?「お金」を挙げた人々がいましたが、それ以上に、「愛情」や「信頼」を挙げた人々のほうが多くいました。
- 地獄の沙汰も驚いてしまうほど、恋愛や結婚においては、「お金」が大きな要素ではありませんか?経済的な困難があったとき、パートナーは逃げ出すか打開策を見つけるかもしれません。
- 近年、キャバクラやホストクラブ、ソープランドに足を運ぶ人々が増えています。しかし、そういった場所ではお金を払うことで愛される保証はなく、結局は「リアルの恋愛」よりも「安上がり」なのかもしれません。
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再回答ですが、発想が極端すぎるのですよ。 なら、女性、男性の価値がお金で決まり、どれぐらい貢いだかで決まるの? 100万円出す江頭2:50とマイナス10万円で福山さんでは女性にどちらが人気があると思います? 好みのアイドルにキャーキャー言っている女性は、アイドルからお金を貰っているの? じゃあヒモはどのように表現します? 男性にお金を貢ぎ性交渉までしている。(女性側の意見として) 女性をお金で買っているのではなく、付き合う費用は多少かかりますが、お金で左右されるのは「欲」の大きな人間だけ。 特に女性のほとんどが、お金を積まれても大嫌い、生理的に無理な男性から抱かれることはありません。 貴方も母親も娼婦だったの? 父親も母親の金銭に目がくらんだの? 何度も言いますが「愛情」や「信頼」はお金で買えません。 買えるものはそれに似せた「欲」なんですよ。 貴方の話が本当なら。ホームレスの格好をして街で10万で性交渉できるか試してください。 歯も黒く、肌も垢で汚れ、異臭を放って。 風俗のプロでは無く一般の女性で試してください。
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- akameg
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金で買えるものは愛情ではなく「欲」です。 その欲を愛情と勘違いしてはいけません。 貴方の考えだと年収5000万の夫婦と500万の夫婦では、5000万の夫婦の方が幸せのような感じがしますが、年収が高くなれば浮気、愛人を作る確率が高くなり、仮面夫婦になる確立が高くなるのです。 所詮、欲は愛情には勝てませんよ。
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コメントありがとうございます。 確かに、「お金」は欲望を満たすための「手段」です。 それと同時に、性欲を満たすために「お金」を使うことは、「一般的なこと」とされています。人それぞれ、道徳観は異なるでしょうけれども、そういったことに「お金」が頻繁に使われていることは、「事実」です。 では、恋愛経験のまったくない立場で、恋愛を経験するためには、何が一番必要でしょうか? まずは、「出会い」という「難関」を突破しなければなりません。さらには、こんどは「ロマンチックな人間関係の実践」のための「さらなる難関」を突破しなければなりません。これらの「難関」を突破するために、「お金」が必要になります。プレイボーイ体質のある人々、異性からよく声をかけられる人々にとっては、「お金」は二の次だと主張するかもしれませんが、恋愛経験のまったくない立場においては、「お金」しか頼るものがないという「現実」があります。恋愛経験のない人々が、恋愛という場面において「評価」されるためには、「お金」によって「評価」が下されるのが「現実」です。確かに、「お金」は欲望を満たすための「手段」ですが、多くの人々にとっては、「お金」は、その人物が彼氏、あるいは、彼女として的確なのかを見極める「基準」なのです。 ですから、彼女も彼氏も、お金で「買う」時代です。まるで、売春行為のようですが、それが、「現実」だと思うときがあります。そして、恋愛も、性行為も、すべて、お金で「買う」ものと化しています。極端な話になるかもしれませんが、異性にたいして「いくらでやらしてくれる?」、「お前の能力、お前の社会的な立場で、ン万円は高すぎだな! ン千円だろう!」などというやりとりがあっても、「フツーのこと」になるのかもしれません。
- prpr002
- ベストアンサー率25% (179/706)
私が高校生の時、自由テーマのスピーチで同じような題目の面白い話をしていた子が居ましたね。 「世の中は金次第である」 正直、私も概ねその通りだと思います。 芸能人が結婚離婚と繰り返せるのも、経済的な余裕があるからに他ならず、恋愛の究極のゴールが結婚である以上、愛はお金次第というのもある意味正しいかと。 正確に言うと、愛情の持続には複数の要素が必要になってきますが、それを容易にするのがお金かなと。 お金で生活の便宜の大半が買えます。 金持ちケンカせずとも言います。 愛情や信頼は何もせず降ってきたり、そこにあるものではなく、一生懸命育てて実らせるものだと思います。 いわばお金はビニールハウスであり、肥料であり、自動水やり器といったものを購入できる…というところでしょう。
お礼
コメントありがとうございます。 恋愛や結婚には、「愛情」や「信頼」といった要素“も”重要であるという主張は、理解できます。「お金」がすべてはない、という意見も、理解できます。 その一方で、恋愛や結婚には「お金」によって影響される部分が大きいことも事実です。「お金」、「愛情」、「信頼」などといった、おのおのの要素を、バランスよく保っている人々が、日本社会には存在した(過去形)、ということでしょう。 「愛情」とは、育てるものという意見も、理解のできるものです。では、「愛情」とは、どうすれば育つのでしょうか? 「お金」によって育つのでしょうか? こういったことは、「経験者」でないと、きちんと語ることができないので、恋愛未経験の立場としては、非常に難しいことです。
- beest002
- ベストアンサー率12% (51/421)
あるベンチャー企業の男性のまわりには 居ないだけ(無いだけ)です。
お礼
コメントありがとうございます。 結局のところ、どこの誰にとっても、周囲にいる人々にとっては、恋愛も結婚も、「カネ次第」なのです。「信頼」だとか「愛情」というものは、「お飾り」にすぎませんし、ある種の「社交辞令のようなもの」なのです。 彼女が欲しいなら、彼氏が欲しいなら、「カネ」を出せ!、と。 たとえば、パートナーとのデートを仮定してみましょう。 ・交通費 ・食費 ・プレゼント代 これを負担するだけで、○万円の負担になります。そして、デートの所要時間は、たいていは数時間程度のものですから、数時間程度でこれだけ多くの出費がかかること、さらには、デートをしたからといって、確実にパートナーとしての人間関係を構築できないわけですから、それだけの出費が発生するくらいならば、キャバクラ、ホストクラブ、ソープランドに足を運んだほうが、じつは、出費が軽かったりする、ことも考えられます。 恋愛や結婚のできない社会、それが、いまの日本社会なのでしょう。そして、いつのかにか、ニッポン人は、「不幸な民族集団」になってしまったとさ。
お礼
コメントありがとうございます。 先ほどのコメントについては、極論であったことは、確かなことです。そうした論理を使わざるを得ないくらい、切実な問題であると、受けとめています。 正直なところ、パートナーのいない人生が、長く続きました。たった、一度でも、そういった経験があれば、話は別かもしれません。しかしながら、そういった経験とはまったく縁が無かったことに、「負い目」を感じています。 そして、「年齢=彼女がいない」という段階について向きあったとき、はたして、わたしができることは何かと考えました。 わたし自身、若いわけではありません。年齢も、30歳代に達しましたので、若いイメージから、年を重ねた、落ち着いたイメージへと変化しつつあります。 「年齢=彼女がいない」という「惨状」ですから、最終的に、わたしが頼ることのできることは、知的なものだとか、若さということではなく、言葉は悪いのかもしれませんが、「もう、金しかないなぁ!」、ということになってしまうと思います。 知的であることが、彼女ができる「決め手」になるわけではありません。さらには、わたしは「イケメン」ではありませんので、外見が「決め手」になるわけでもなく、さらには、面白いネタをたくさん知っているわけではありませんので、笑いのツボなり、笑いのタネが「決め手」になるわけでもありません。 あなたは、有名な俳優や、コメディアンを例にしましたが、わたしが「頼れるもの」といえば、たとえば、音楽の知識やピアノが弾けること、あるいは、学問の知識など「しか」ありません。「イケメン」であることが、わたしの魅力ではありません。さらには、いくら音楽の知識があっても、学問の知識があっても、それが笑いのツボになるわけでもなく、笑いのタネになるわけでもありませんので、あなたが挙げたコメディアンのようなことは、わたしにはできません。 「自分磨き」は、いろいろとやってきましたが、それらの多くが、いわゆる、一般的な女性にたいするイメージとしては、「マイナス査定」になってしまうのです。となると、わたしにとっての、「ワラの1本」は、もう、「お金」しかありません。 恋愛をするための「才能」が、あなたにはあるのだと思います。だからこそ、あなたは「正論」を持ち出すことができるのです。しかしながら、わたしには、そういったものが、まったくありませんので、「チート」をするしかない、というわけです。たとえ、それが反道徳的であっても、反社会的であっても、「チート」をしない限り、恋愛ができないのですから、「超法規的措置」が必要になると、わたしは受けとめています。 もしも、これを国民国家にたとえるのならば、あなたは、「地下資源+人的資源のある国民国家」であり、わたしは、「不毛の台地に取り残された国民国家」、ということになると思います。生まれながらにして、わたしは「不幸」なのだと思うのです。それを、学問やら音楽の力によって、だましだまし、「ぼかしている」、というわけです。