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信仰を持つことによって幸せに近づけるの?
私は特に、信仰を持っていませんが年に数回、父方、母方のお墓参りには行っています。 私の周りの友人や知人の中には、新興宗教を熱心に信心している人たちがいます。その宗教は自分から数えて3代前までの先祖供養を行うことを教えとしています。 私自身、ピラミッド型を成し献金などお金が絡むことの多い、新興宗教への入信は、気が進まず、今までも友人から誘いがあっても、無視をしてきました。でもここにきて、信仰を持っている友達、知人の周りを取り巻く生活環境が昔に比べると、格段に良くなっていることに気がつきました。やはり、信心をすると、自分の運勢って良くなってくるのでしょうか?
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- sion_fs
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大半の信仰の目的は、「平穏な気持ちになる事」です。 神様がいるとかいないとかは一部を除いて関係有りません。 いると信じることで、心の支えを求め、心が安定する。すると、当然周囲にも優しくなれるでしょう。そうしたら、周囲の信頼も出来、結果収入なども増えるのでは無いでしょうか。 逆に、あなたの様に半信半疑では、信仰によって心の安定を求める事は難しいと思います。すなわち、結局信仰では救われないと。 信仰で運勢は変わりませんよ。信仰で、どれだけ自分を変えられるか、それがキーポイントです。ですから信仰でなくても、自己開発セミナーなどでいい人もいますし、普通の趣味でも事足りる人はいます。 ※ ここでは一般的な信仰-新興宗教を例にとりました。しかし、本当に霊や神様を信仰する僅かな宗教では、本当に運勢が変わることはあるのかも知れません。 それは霊や神様が証明できない限り、説明のしようがありませんので除外しています。
- seikiti-1113
- ベストアンサー率0% (0/3)
信仰して「幸せ」になることは、決してありません。断言します。私も生まれた時には親が信仰していました。25歳まで組織の中で「大幹部」として人の上に立ち活動をしてました。しかし疑問を感じて自ら脱会しました。大変でしたけどネ。今48歳です。「自営業」を営んでますが「しあわせ」は、自分の手で掴むものだとわかりました。(遅いかな) 人生色々な事ありますよね。私は、「優しい心」、「笑顔」、「思いやり」これが私の信仰です。もちろん親の月命日には墓参りにはいきます。朝晩は、仏壇に手をあわせています。大丈夫です。がんばりましょう。何か疑問があれば言ってください。誠心誠意お答えします。
- Rarany-T
- ベストアンサー率0% (0/0)
皆様もお答えになっておられるように信仰は絶対的な力をもっている訳ではありません。ただ心の支え的なものだと私は解釈しています。 人の幸せにも種類が多々あるのでそのご友人の方などは神(でしょうか?)への信仰により精神的にも救われるし、同時に何かあったときの理由付けにもなるのだと思います。それにはメリットもデメリットもあると思うので、もしも宗教への入信をなされるのであればその神への疑心(…というものでしょうか)を無くしてからのほうが良いと思います。 私個人の考えを勝手に述べさせていただくのですが、信仰に金が必要な事自体その神や仏様もよほどお金に困っているのですねとしか言いようがないです。個人レベルで、それこそadaypajimyさん(引用すみません)の仰るように神棚などで祖先を敬えると思います。
- yonige
- ベストアンサー率15% (49/310)
必ずしも幸せになるとは限りません 逆にのめりこんで私生活が破綻したケースも多数知っています 日曜日に勧誘にこられるAカトリック教団 B何とかの王国会館 C生長の 方々いずれもこざっぱりした服装で なかには子供づれの団体も これらの人たちは家事を犠牲にされています 本来なら掃除 炊事 洗濯等の時間を犠牲にしておられますね そんなに宗教に尽くして本当に幸せをつかめられるのでしょうか 勧誘の為の衣服代 化粧品代 靴も減ります 腹も減ります 私ならテレビを見たり 近所の人たちとおしゃべりをする方がずっと幸せと思いますが まあ人それぞれで他人が口出しするものじゃないでしょうが ご自身が決める事ですが。
- mitunai
- ベストアンサー率15% (210/1319)
それがいいところなら、良くなる人もあると思います。 しかしながら良いところでも努力しないと良くはなりません。 それもあなたが信じることができてです。胡散臭いと思われるうちはやめましょう。
- kurupin
- ベストアンサー率24% (125/511)
こんばんは。 >年に数回、父方、母方のお墓参りには行っています。 立派な信仰だと思います。むしろ誰に強制されることもなく自然にそれを行っている質問者様の方がよほど「信心」深い方だと思います。 私は「信仰」とは「心」の問題であり物質的な豊かさを求めるものではないと信じたいです。(それが幻想であっても)。また物質的に豊かであるからと言ってそれイコール運勢が良いというものでもないでしょう。拝金主義のような「富」そのものを信仰してもそれはそれで一向に構わないのですが、物質的に豊かでなくとも心が豊かならそれで良いと考えるのも「信仰」の一つだと思います。「貧乏が不幸なのではない、貧乏と思うことが不幸なのだ」という言葉があります。まさに「心」の問題だと思います。 失礼しました。
キツイコトを言うかもしれませんが、あなたは幸せとお金など物的なコトを混同されていませんか?おそらく新興宗教などに入信すればそれなりの友人知人ができてそれをきっかけに生活が華やか?になるかもしれませんが、それと幸せとは違うとと私は思うよ。もちろん貧乏はイヤだけど。なんか新興宗教は最終的に物的な満足で終わると思うのですが、もし私の言葉に傷ついたなら許してくださいね。
- adaypajimy
- ベストアンサー率20% (201/964)
運勢があがるというよりも、"信仰によってこの世で生きる苦難が和らぐかもしれない"という事でしょう。 友人の取り巻く環境が良くなっているから、お金を新興宗教に献金しよう、という考え方は、論理的にやばいですよ。 自分自身を救いたくて、信仰宗教ならまだしも、運勢を上げたいから宗教へ…というのは、考え直したほうがいいんじゃないでしょうか。 気になるんですが、4代目の祖先からは無視する信仰なんでしょうか? 祖先を敬うのはかまいませんが、そんなに祈りたいのであれば、日本古来の家にあったように、家に神棚でも作って拝んでいれば、お金がかからないで信仰できますよ。