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江戸時代は、欧米諸国から見れば「王政」ですか。

教科書等には江戸幕府は、武家による政権と書いてあります。 では、欧米諸国はどのように見ているのですか。 よろしくお願いします。

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  • ithi
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回答No.2

kouki-koureisyaさん、こんんばんは。 そうですね。武士による封建社会であり、欧米では将軍を元首と認めていました。天皇はヨーロッパの法皇扱いでした。 詳細は下記のURLを参照ください。 江戸時代 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「欧米では将軍を元首と認めていました」ということは、「徳川王朝」と見ているということですね。

その他の回答 (7)

  • TANUHACHI
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回答No.8

 丁寧なコメントをいただき恐縮です。大変な誤解を与えてしまいましたので、補足します。 >徳川時代は「Shogunが支配していた時代」であって、「Shogun」は一人で、「General」 とは違うということですね。そして、Shogun はKingではないから「王政」とは見ていないということですね。  このお話しですが、最初に申しましたように、「王権」をどう理解するかとの大問題に全てが収束します。 この「王」が英語の“King”“Emperor”“President”“General”の何れに該当するかとの問題はまことに複雑な理解が求められます。  もし“General”ならば、それは軍事的統制権を有する者としての位置付けになり、その統制権を裏付けるためには法に基づく根拠を必要とします。  征夷大将軍が律令に規定されている以外の「令外官」であることもご存知でしょう。ではそれが「なぜ官職として位置付けられ、序列化されたのか」との問題が生じもします。  こう考えてくれば、必ずしも「王=軍事司令官」だけではないことも明らかになり、「日本の王」が世界史的(人類史としての世界史)をどう理解していく必要があるのかとの、歴史学界の潮流の真っ只中に放り込まれる形となります。それを小学生の夏休みの宿題として出題するには不適切ともいえ、出題した教員の歴史認識が問われてしまいます。一概に片付けることが出来るほど甘い問題ではありません。  実際に“President”としてのアメリカ大統領が同時に最高司令官であることをお孫さんにお話ししていますか?。そして英語では日本国の総理大臣を“Prime Minister of Japan”と表記することを辞書で確かめさせる必要もあります。  内閣首班である総理大臣は内閣の最高責任者であることになり、それは行政のトップにあることを示す。その意味がどの単語に比定できるのか。  中世ヨーロッパでの「王(King)」 と教皇の関係がどの様なモノであるのか、こうした部分を説明しておかずに答だけを話すのは余りにも危険です。  Shogunは武家の棟梁つまり武門の頂点に位置する人物ですから、武門の側からすればその人物を「王として認識する」こともあります。ですから「Shogun はKingではないから『王政』とは見ていないということですね」「Shogunは一人でGeneralとは違うということですね」とのご理解は誤りということになります。そんな単純な話でもありません。Shogunが「将軍の訳語」でありながら、「なぜShogunとして日本語をローマ字的表記にしなければならない理由があるのか」との問題を少しでもお考えいただければ、この疑問の根底にある本質的な問題の存在にもお気付きになるはずで、質問者様にももう少し勉強していただきたいと存じます。  誤解を与えてしまい、まことに申しわけありません。

kouki-koureisya
質問者

お礼

何度も回答して頂いて真にありがとうございます。 Shogunが「将軍の訳語」でありながら、「なぜShogunとして日本語をローマ字的表記にしなければならない理由があるのか」との問題を自分で考えてみます。 小六の宿題は、国名を書き込むだけのもので、韓国は大韓民国、中国は中華人民共和国、アメリカはアメリカ合衆国が正解で、タイ、ブータン等は「王国」を付けて正解です。 そこから私の考えが飛躍して、王がいるから王国で、それなら「王政」になるのだろう、徳川時代も天皇がいたから「王政」ですかという、レベルの低い質問です。 思いつきで質問するので、今回は質問者自身が質問自体をよく理解していなかったと気づきました。私のプロフィールに書いているとおりです。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.7

 コメントありがとうございました。 「王政か君主制か」といった宿題を新たにいただきましたので、補足的にお話しします。  この問題を論ずる前提として「王権なるもの」をどう規定するかとのまことに厄介な問題があります。これは現在の日本史学でも最もホットな論点の一つです。  先にお話しした“Shogun“が“Emperor”や“King”“President”のどことどう違うのかなどといった問題も絡み、それと同時に日本中世史でいえば「日本の中世国家」をめぐる様々な研究視角からの議論もなされています。例えば身分・支配イデオロギー・民衆支配・階級構造・経済基盤・支配領域・対外関係・都市、そして法規範と法意識などといった側面からその歴史的特質が明らかにされつつある状態です。その上で、前近代の国家を、人民からの収奪を保障する機構の総体とするならば、その分析対象も広範とならざるを得ない形になり、その中心的課題の一つに国家権力機構もしくは装置としての「王権」の問題があります。  これを大別しますと幾つかの類型が現れもします。よろしければお話ししますが、どうされますか?

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご親切な再度の回答をありがとうございます。 王政も君主制も全く理解できませんので、詳しい解説は不要です。 疑問の発端は、小六の夏休みの宿題です。 世界地図にある国名を記入するのですが、 ブータン、タイ、オランダ、スウェーデンなどの国は「王国」を付けて正解です。 ブータンを除いて、王が最高権力者ではないと思うのですが「王国」とするなら「王政」かな、と思いました。 すると、徳川時代も諸外国は「王政」と見なしているのですか、という疑問です。 徳川時代は「Shogunが支配していた時代」であって、「Shogun」は一人で、「General」 とは違うということですね。 そして、Shogun はKingではないから「王政」とは見ていないということですね。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.6

天皇と将軍が共存して(中略)世界史では珍しいと ↓ アッバス朝とアミールの関係 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%AB ティムールは ハンを名乗らなかった 「ティムールが鋳造した貨幣にはチャガタイ家のハンの名前と共にキュレゲンの称号が刻まれ、モスクの金曜礼拝でもハンの名前とキュレゲンの称号がフトバに入れて唱えられた」 日本の体制理解の前に進んでいた、イスラム圏の統治体制をからみれば、それほど奇異な体制ではないかと思われる。

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 似たような体制の国があったのですね。 大変参考になりましたと書きたいところですが、難解でなかなか理解できません。 >アッバス朝とアミールの関係 「Admiral(アドミラル)は、アラビア語で「海の司令官」を意味するアミール・ル・バハルに由来する。」 質問すればいろんなことを知ることができます。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.5
kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 どうも質問自体が的外れだったようです。 天皇と将軍が共存して「パクストクガワーナ」と呼んでもよい平和を築いた例は世界史では珍しいと思いますので、徳川時代を呼ぶにふさわしい用語があるのではと思って質問しました。 「王政」ではない、と否定されるとすっきりするのですが…。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.4

 幕末に来日した初代英国公使ラザフォード・オールコックによる日本滞在記は『大君の都(原題“The Capital of the Tycoon: a narrative of a three years’ residence in Japan”)』として知られていますが、この中にある“Tycoon”が将軍であることは間違いありません。  では、この国の君主が誰であったのかといえば、それは鎌倉時代の元寇と同じ形になります。この時は結局のところ曖昧な結果となりそれが鎌倉幕府の崩壊を招来する一つの要素ともなりましたが、この幕末でも同じです。  実際の権限は幕府にあり、その幕府の頂点に位置していたのが将軍です。  この将軍を英語の辞書に求めますとShogunの訳語が見えます。一方のTycoonの訳語には「徳川幕府の将軍に対して外国人による呼称」との訳語と同時に「実業界・政界の大立て者」との記述がみえ、参照事例として「石油王“Oil Tycoon”」が記されています。  こうした事例を踏まえますと、日本を実際に統治していたのは徳川将軍との形になります。天皇は権威ではあっても権力者ではなかったとの説明になります。  もし天皇が権力者であったなら、大政奉還も王政復古も説明できなくなってしまいます。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 天皇から征夷大将軍に任命されているので「王政」かな、と思って質問しました。 質問が的外れで意味をなさないのかも知れませんが「欧米諸国(の日本史研究者)はどのように見ているのですか」という質問です。 日本を実際に統治していたのは徳川将軍で、天皇は権威ではあっても権力者ではなかったので、「王政」とか「君主制」とかの適切な用語はないということですね。

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.3

絶対王政と評価されたのは、 明治新政府からで、 皇帝(天皇)の権力は形骸化し、 徳川将軍を盟主に、大小多数の封建領主がいる 封建時代と評価されてました。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「欧米諸国(の日本史研究者)はどのように見ているのですか」という質問ですが、「封建時代」と評価していた(評価している)ということですね。

noname#197378
noname#197378
回答No.1

天皇がおりますので、欧米からみた場合これが王に値します。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうなんです。天皇がいて、それなりの権威を持っていましたからね。 ということは、「王政」ですね。