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共有データの課題とは?
- (1)データ版のジャーナルは伝統的な精神を魅了する出版のスペースを提供する。そしてこの基準はほかの人間がデータを引用したときのために用いられるものだ。
- (2)データの所有権のあいまいさや”出し抜き”に対する恐怖などが、共有データの大きな課題となっている。特に初期の研究者や小規模な環境科学研究室などが影響を受けやすい。
- 科学者たちは他の研究者が彼らが提供したデータに適切なクレジットを与えないことを心配している。研究管理者は論文の著者を重視する傾向があり、他の研究者のデータを引用するだけでは十分ではないと考えられている。
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>(1)data journals provide publication venues appealing to the traditionally minded; and standards are emerging for citing other people’s data sets (see Nature 500, 243–245; 2013). >データ版のジャーナルは伝統的な精神を魅了する出版のスペースを提供する。そしてこの基準はほかの人間がデータを引用したときのために用いられるものだ。 いいと思います。別訳例も提示しておきます。 「データジャーナルは従来からの考え方をする人にも魅力的な出版の場を提供する。他の人のデータセットを引用できるよう、基準も出てくるはずだ。」 >(2)Harder to surmount are the feeling of data ownership and the fear of being ‘scooped’. Years of toil to collect a data set that might support a decade of career-making publications could be rendered moot when another researcher jumps on the information online. This is a particular problem for early-career researchers, and for those working with unique data sets in small ecology or environmental-science laboratories. >さらに困難な課題としてデータの所有権のあいまいさや”出し抜き”に対する恐怖などがある。 >所有権が生じる出版物の十年間の支援をする可能性があるデータの構築のために求められる数年の労力は、別の研究者がオンラインの情報を移動させてしまった場合などを考える議論の余地がある。特に初期の研究者の権利決めの場合やそのデータが小規模な集団や環境的な科学研究室などにおいて類を見ないものである研究成果だったりする場合に問題となる。 「データを所有しているという感覚と(それが)すっぱ抜かれるという恐怖は、さらに克服困難である。他の研究者がオンラインの情報に飛びついているのを尻目に、今後10年の経歴を決める(論文)刊行の手助けになるかもしれないデータセットを何年にも渡って集める労苦は棚上げにされかねない。これは、駆け出しの研究者や、小規模な生態系や環境科学研究所の独自なデータセットで仕事をする研究者独特の問題である。」 苦労して集めた自分だけのデータを持っていて研究していると思っていれば、それを他人に不備を指摘される(、もしかして横取りされると不安も?)というのは、研究者として恐れると思います。だとすると、今後の研究者として地位を築くために集めたデータは公開したくはないでしょう。充分な実績を積んでいないとか、小さい研究所で注目されにくい研究者では、そういう態度が顕著に表れるということではないかと思います。 >(2)Behind this fear is the worry that other scientists will not provide credit for the data they use. Research administrators place such importance on paper authorship that it is probably not enough for a study that leans significantly on another researcher’s hard-won data set to merely cite that researcher, perhaps depriving them of a publication. >この恐怖を背景に科学者たちが彼らが用いるデータの信頼性を提供し続けることが出来ないのではないかという懸念があるのだ。研究管理者は論文の著作者が誰であるかということの重要さなどに重きを置き、これはおそらく単に研究者がほかの研究者が為した偉業のデータを他人が単に使うということにおける著しく偏る研究のためには十分なものではない。おそらく、彼らから出版権を奪うこととなるだろう。 「他の科学者が自分の使っているデータを信用してくれないという心配が、この恐怖の背景にある。研究の管理者は、こういう重大事を論文の著者の明示ということだと位置付けているが、それはおそらく、他の研究者が苦労して得たデータセットを単に引用することに明らかに依存する研究にとってまず間違いなく不充分であり、(引用された著者の論文を)出版する機会を奪ってしまうおそれがある。」 とても難しく、和訳がちゃんとできているか、ちょっと自信がありません。済みません。論文のベースとなるデータが信頼されないということ起きると、その論文自体が評価されないことはもちろんです。 他の論文のデータを借用する論文を新たに書こうとする研究者がいたとして、ある他の論文のデータを信用しないということが起きると、論文は引用されることも評価対象になりますから、その論文は(Natureなどで)出版されない恐れがあります。 そういう大事なことは、論文の著者が明示されているだけでは解決しないよ、ということを記事は述べているようです。
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- SPS700
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1。 資料中心の定期刊行物は、昔ながらのしきたりに慣れた人達向きの出版という形を残しており、他の調査者の資料をどう掲載するかについては、その基準が生まれつつある。 2。 これに関して、これより乗り越え難い障害は、資料は自分の物で、他の誰かに「おっとられるかも」という危機感である。 数十年のキャリアーの支えになるかもしれない資料収集に要した、何年にもわたる苦労が、オンラインに便乗した他の調査者のおかげで水泡に帰する可能性がある。 これ(=この危機感)は、まだ初期のキャリアの調査者の場合、ならびに小規模のエコロジーや環境科学の実験室でのユニークな資料の場合に著しい。 3。 この危機感の裏には、他の調査者たちが、彼らが使う資料はもともと誰が集めた資料かと言うことを明示しないのでは、と言う危惧がある。 研究の管理者たちが、紙の上での(=最終的な)著者を重視する現状では、原調査者から出版の機会を奪う可能性があり、しかも原調査者が苦労して集めた資料に多くを頼る研究の中で、ただ単に原調査者の名前が挙がるだけでは、おそらく不十分だとおもわれる。 (別に僕のがいいと言うより、これももう一つの、あまり大したことの無い、訳し方と言うことで)
お礼
いつも非常に読みやすく日本語訳のご指導誠にありがとうございます。 お陰様で(3)番の訳は著者が意図していることすらわからなかったものが何を言いたいとしているかをご教授いただいた訳から理解することができました。 また是非ともご指導お願い申し上げます。
お礼
データ開示を推進する中で「はいこれは誰由来のデータです。」とだけあっけらかんにオープンにするだけでは著述分化性が大きくゆがんでしまうよと言いたいのかなという解釈をご指導を頂いた訳とその補足の説明から考えました。 複雑な内容を伴う問題はやっぱり日本語であろうと英語であろうと解釈に多様性を帯びる言葉が多いのですね。 ご指導を頂きました訳のお陰で本当に今回も毎度のことですがわからなかったお話が分かるようになりました。 いつも本当にありがとうございます。