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満州事変 石原莞爾
石原莞爾が戦犯指定を免れたのは何故ですか。 表向きの理由としては、病を患っていたから、だそうですが、 実際は、どのような経緯があったのでしょうか。 回答宜しくお願いいたします。
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石原は、国際検察局による第一回の尋問において、自分や板垣が満洲事変を計画したことを否定している。 また、石原は、日本軍による南満州鉄道線路の爆破をも否定し、 「私は中国人が、一九三一年九月一八日に鉄道線路を爆破したと思っている。」と答え、 日本軍が満洲事変を計画的に引き起こしたことを完全に否定し、満洲事変は偶発的に起こったことを主張している。 これが、石原が、戦犯とならなかった最大の理由であろう。 当時、満州事変を関東軍が起こしたことは、公式には知られていなかった。 満州事変の切っ掛けとなった柳条湖事件が関東軍の謀略によるものであったことが、公式に知られたのは、 「別冊 知性」(河出書房)の昭和三〇年一二月号に、満洲事変勃発時少佐で関東軍参謀であった花谷正が、 「満州事変はこうして計画された」と題する回想を掲載したのが初めである。 国際検察局が石原を戦犯とすることは、証拠の不足から不可能であった。
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- あずき なな(@azuki-7)
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回答No.2
そもそも太平洋戦争開戦時予備役だった なので戦争責任者では無い A級戦犯はあくまで太平洋戦争の責任を問うもの B級やC級は日中戦争も一部含まれるが それでも軍を退いて政治権力も無かったので 裁かれる必要も無かった
質問者
お礼
お礼遅くなりまして申し訳ありません。 そもそも戦犯を問える地位になかったということですね。 石原莞爾が戦犯を免れた理由として挙げる方は多いように思います。 回答ありがとうございました。
お礼
お礼遅くなりまして申し訳ありません。 証拠不充分だったということですか。 他に、東條英機との対立を考慮されたということはなかったのでしょうか。 また、石原莞爾が非常に弁のたつ人物であり、連合国側が都合の悪い証言を避けたから、といったこともあるのでしょうか。 これに関する書籍、サイトなど見ておりますが、そもそも石原莞爾に対する評価が分かれており、よく理解できません。 回答ありがとうございました。