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石原莞爾はなぜ自論をすてたか。
僕は最近昭和時代の軍人に興味がわいてネットめぐりをしてるのですが、疑問があります。 wikipediaによると満州事変を起こした石原莞爾は 戦後に世界最終戦論という思想を捨てているらしいのですが どうしてですか? 間違いと思わせる何かがあったのでしょうか? あと、 石原莞爾は日中戦争をやりたくないはずなのに派兵を決定してます。(すぐに撤回してますが:)これはなぜですか? 随分負けん気の強い人みたいだし、圧力とかに屈しそうな気がしないので自分の意思を曲げた意味がわかりません。。。 気になって夜も眠れません!よろしければご回答ください!
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最終的に米と対抗するはずが、あっさり負けたからでしょう
- rin00077
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当時陸軍は上司や中央の言う事を聞かない下克上のような 風潮があったそうです。 したがって、石原莞爾はそれに押されて派兵案を認めて しまったわけですが、彼が後に語ったところによると「派兵 するには数週間かかるので、不拡大を希望しても形勢ひっぱく すれば、万一の準備として動員を必要とすることとなる」 と、言う事のようです。 しかしながら石原莞爾は後日、近衛首相のところに派兵動員案を 閣議で否決してもらえるよう、頼みに行っているようです。 派兵案を認めた事を、後悔されていたのでしょう。 しかし最終的には五相会議で、近衛首相は派兵を決定して しまいました。 それと、>戦後に世界最終戦論という思想を捨てているらしいの ですが・・ の、戦後というのが少しわからないのですが、要するに石原莞爾が 思い描いていた世界の構図と、現実に起こったことが、違うように なってしまった。という事です。
- caesar-x2
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世界最終戦論は、あまりにアホくさい内容だからでしょう。 古臭い19世紀的軍事外交の発想と、 法華経をの終末思想を組みあわせたもんですから マトモじゃない。 日中戦争に関しては、石原莞爾は関東軍副参謀長を罷免されて以来、 決定に関与できるような立場になかったので、 彼の意見なんかダーーーレモ聞きゃしない。 副参謀長時代も立場が弱かったんで、我をとうせなかった。 結局は、失脚するわけです。 負けん気が強いかどうか知らんけど、 日本陸軍の官僚的組織のなかでは、後ろ盾のない個人の意見なんか 屁同然です。いい意見も悪い意見もね。 石原は誇大妄想だが、実行力はたしたことない、ていうか、 実際たいしたは成し遂げなかった。それだけです。
お礼
ははー権力がなかったわけですか。軍隊は官僚的組織なのですね。 勉強になります(^~^) ちなみにアホくさいというのはいつ頃気づいたんでしょうか? よかったら教えてください。