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「強さ」について。

本当の強さはどういうものなのでしょうか? 例えば肉体的な強さがあります。精神的な強さもあります。 肉体的な強さはおいておいて、精神的強さについてお伺いします。 例えば世にも辛いこと、哀しいことにあっても耐えて耐えて耐え続けられる強さが本当の強さなのか、自分が攻撃され、それによって傷つけられることの弱さから他人を傷つけるのが強さか、それは人に対して正々堂々とはっきりものを言えたり、意地悪を言えたりできる強さともリンクしますが、どちらの強さに価値があるのでしょうか?

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noname#7082
noname#7082
回答No.11

#09 です。 補足に対する…わたしの 私見です。 【…「中庸」もこのことと同じことだと思うのですが。】 はい、“同感”です。 わたしも そぅ思います。 *** *** *** 【中庸】 考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと。また、そのさま。古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた。中道。 【中道】 〔仏〕 仏教の基本的教義の一。両極端に偏らないこと。 対立する見解や態度を克服した立場。 対立の内容については、快楽主義と苦行主義、自己を永遠とみる常見と死後はないとする断見、有と空、空と仮など、教派によって諸説がある。        (国語辞典より抜粋) *** *** *** 【…『真ん中に立って双方を俯瞰する者が悟り。』】 で、『…俯瞰する者が悟り。』 の『…悟り』 を、禅でいう【小悟・大悟】 の『小悟』でしたら、これも“同感”です。 *** *** *** 【俯瞰】 高い所から見下ろすこと。鳥瞰。        (国語辞典より抜粋) *** *** *** 【…タレスのいう「万物は水である」…】 は、わたしには、わかりません。 *** *** *** …蛇足ですが、 “高い所から見下ろすこと・鳥瞰” ⇔ “自己同一化から 離れて見る” は、瞑想法の ひとつです。 もし? 興味を お持ちでしたら、下記URLを参考になさって下さいまし。

参考URL:
http://www.shimin.com/books/osholist.html#medita
frau
質問者

お礼

参考URLのご紹介ありがとうございました。どれも興味深いご本ですね。 zenryuuさんとは実際にこうゆう哲学的なお話をしてみたい方です。色々と教わることがたくさんありそうです。また私の疑問を拾ってください(笑)。今回はありがとうございました。

その他の回答 (11)

  • tenn016
  • ベストアンサー率23% (10/42)
回答No.12

No.8です。 僕でもこのカテゴリにで質問すると思いますよ。 ただ、僕の回答が『心理学』にはふさわしくないかなーと思ったので・・・(^^;ゞ No.4の方のお礼に書いてあったコトですが… 『他人に求めない』のも強さですよねー。 強くなるって、難しいですね・・・

  • machuru
  • ベストアンサー率9% (3/33)
回答No.10

frauさん、はじめまして(。_。) ずばり、どちらかが本当とか価値があるとかは断言できないでしょう。 どちらも必要ですから。 それと同時に、攻撃も我慢もほどほどにしないといけないといけません。 あと精神の強さということになっているモノに、優しさ、理解力、包容力、勇気、判断力、直感力とかがありますよね? みんな、それなりに価値があり限度があります、とうぜん互いに関連しあってもいます。 しいていうなら、大切なのはバランスですね。 どれか一つに「頼ろう」とする心こそ弱いのです。 お釈迦様がいつも正しいとは言えないし、犯罪者がいつも間違うとは限らないでしょう? 一つの道を極めれば正解にたどり着くなんていうのは幻想です。 安易な方へ逃げないことですよ。

frau
質問者

お礼

machuru様こんにちは。 >一つの道を極めれば正解にたどり着くなんていうのは >幻想です。 私は白黒はっきりさせたい性格ですので、幻想を追い求めて生きているのかもしれません。でもそこに真実をみつけたいというリアルな目的はあるのですが・・・。 >お釈迦様がいつも正しいとは言えないし 例えばある神様の正体はルシファという堕天使だとききました。性悪説ですよね。だからこの世は性悪説だと思うのですが、>大切なのはバランスですね。中庸が最も大切と解いた人間のアリストテレスが真実を語るのならば、人間が神様から離れて「本当のこと」を知っているような気もします。 ありがとうございました。

noname#7082
noname#7082
回答No.9

【本当の強さはどういうものなのでしょうか?】 の参考になれば…と 思って 書かせていただきます。 哲学の言葉も用いてますが 哲学者ではありません。 あなたと同じ 探求者です。 【…例えば肉体的な強さがあります。精神的な強さもあります。】 を、二元論と判断しました。(間違ってたらご免なさい) 【二元論】 〔哲〕〔dualism〕物事を相対立する二つの原理または要素に基づいてとらえる立場。神話や宇宙論における光と闇、陰と陽、哲学における形相と質料、現象と本体、宗教や道徳における善と悪、など多くの思想領域に見いだされる。西洋近代では、精神と物体を二実体ととらえるデカルトの物心二元論ないしは心身二元論が近代哲学を特徴づける枠組みを与えている。 【心身二元論】 物(身体)は延長を本質とし、心(精神)は非延長的な思考を本質とするから、両者は異質な二実体であるとするデカルトの説。物・心の間の依存関係や相互作用が説明できないという難点がある。物心二元論。 (国語辞典より抜粋) *** *** *** ここからは師の教えと それを元にした わたしの理解ですので 『こぅいう思考の持ち主もいるんだな』って感じで 読んで下さいね。 【本当の強さ…】 “強さ”という言葉の裏に、弱さが 隠れています。 ですが、“本当の”という文字が 付くので、真実は 『強くも弱くも“無い”』と なります。 違う言いかたをすれば…本当は、元が ひとつの“もの”なのに、 人間が かってに(どこかで線引きし)ふたつに分断し(比べ)て、片方を強い(良い)とし、反対の方を弱い(悪い)としているのです。(場合により 良い・悪いが逆転) …『強くも弱くも無い』ということは、【強いときもあれば・弱いときも在る】流動的で流転する ふたつではない ひとつのエネルギーという意味です。 ので、本当の強さとは、この『強くも弱くも無い』を (本当に)理解し、超越した意識の人だと 理解しております。 《纏め》 強さだけは 『無い』 強さは 弱いときも 『在る』 本当の強さは 『そのどちらでもない』意識です。

frau
質問者

補足

zenryuu様こんにちは。 二元論、二律背反は私の永遠のテーマです。 でもそこに真ん中というものも存在すると思います。 強さと弱さは双方の要素でできている。だから「強い」「弱い」という観念は 「中庸」もこのことと同じことだと思うのですが。 真ん中に立って双方を俯瞰する者が悟り。 それは水のようなものなのでしょうか? そういうことでしょうか?またタレスのいう「万物は水である」ということは森羅万象はすべて形をともなわないということであり、こうした抽象的なものも含めてそうである、と言っているのでしょうか?

  • tenn016
  • ベストアンサー率23% (10/42)
回答No.8

『心理学』のスレッドでの答えとしてはふさわしくないと思いますが・・・ 10年以上前に読んだマンガの中に 「強くなりたい。誰も傷付けなくて済むぐらい…強くなりたい!」と言うセリフがありました。 誰かを傷付けたり悲しませたりしない事。 僕は『強さ』って、こういうモノだと思います。 僕も・・・強くなりたいです。

frau
質問者

補足

私もどのカテゴリに入れようか迷いましたが、強さというテーマはやはり心の範疇であるかと思い、ここに入れさせていただきましたが、tenn016様でしたらどのカテゴリにいたしますか?参考までにお聞かせ願えたらと思います。 でもマンガのセリフ、いい言葉ですよね。しみじみと感じ入りました。

  • takkn
  • ベストアンサー率26% (36/135)
回答No.7

普通の人が直面したら乗り越えられないような苦難や、状況にボロボロになっても、諦めずにそこから必ずはい上がってくる人がいる。こういう人の精神はどんどん強くなる。 そうやって強くなっていった人は、普通の人が絶望的で耐えられないと思うような状況でも、過去に苦難を多く乗り越えてきた経験から、比較的容易に苦難を乗り越えられることがある。これは精神的な強さを表すひとつの状態だと思います。 また、人から意地悪されても、相手がなぜそうするのか、余裕があるからじっくり考えて対処できる人がいる。そういう人は相手を受け止め、その意地悪した人さえも包み込んでしまうことができる。 本当に強い人は人に何を言われても耐える必要はなく、冷静に相手がなぜそう言うのかを考え、その中に自分の悪いところがあれば、それは反省し、自分を更に高める材料にします。また、本当に強い人は人の心の痛みや弱点も良くわかりますから、攻撃すれば相手に痛撃を与えることもできますが、そうすれば憎悪を買うだけだということを理解していますから、そういうことはしません。 精神的な強さとは自分が間違ったと思ったら目下の人に対しても虚心坦懐に謝ることができ、そこからもまた学ぶことができること。 自分のほうが正しくても、それを主張しても良い結果にならないと思ったら、あっさり引いてもっとも良い方法を探すことができること。 失敗で痛い目にあっても、そこから学び、またすぐに立ち直ること。 人に対してどこまでも優しくなれること。 これこそが価値ある強さだと思います。

frau
質問者

お礼

冷静さという強さがあるということに気がつかされました。 >目下の人に対しても虚心坦懐に謝ることができ まさにそのとおりです。 また本当の強さはそれに裏打ちされた優しさと謙虚さがあるのだと思います。 「優しい強さ」と「強い優しさ」でしょうか。そのようなことを維持する持久力の強さもまた大きな強さが問われます。ありがとうございました。

  • seiso
  • ベストアンサー率20% (73/352)
回答No.6

おはようございます。 真に勇気のある人は、常日頃は、柔和で穏やかな態度であることが多く、めったに怒ったり、人の心を痛めつけたりすることがないと思います。 この逆の人は、ともすれば、肩肘張って怒ってみたり、横柄な態度で、見下したり、人の心を痛めつけたりしてしまうことがあると思います。 前者の方は、大器、高潔、いわゆる徳高い人は、人からは絶大なる尊敬、信頼を受けますから、例えとしていえば、仮に刃を向けられても向けた相手が自然にその刃先を下げてしまう、また、怒りも反感すらも持てないほど、相手が自然に恐れ入りましたと頭を垂れてしまうような雰囲気があるんじゃないかなと思うんです。 こう考えてきますと、精神的な強さとは、自我欲望を抑え得る、自我欲望を超越し得る力と、自分の歩む道に対する絶対の確信とを持ち、なお突き進んでいって、なんらの悔いをも残さないという程の強さをいうのでは、と思います。 言葉では表し易いですけれど、行うのは難しいですね。

frau
質問者

お礼

「心で泣きながら顔は笑う」そういう高徳な方は人の悪意を受け付けないオーラのようなものがありますよね。 >精神的な強さとは、自我欲望を抑え得る、自我欲望を>超越し得る力と、自分の歩む道に対する絶対の確信 やっぱり私も究極的な強さとはそのようなものと思います。ありがとうございました。

回答No.5

防御の強さは「精神的」 攻撃の強さは「技能的」だと思います。 防御の時は「これは試練なんだ」とか「ポジティブに」とか「考え方を変える」ことで克服したりしますから精神的だと思うんですね。 攻撃の時は「相手の弱点をつく」「口論に勝つ」など技能が要求されます。 攻撃の方は分かりやすいですよね。「勝った者が強い」ですから。でも防御の方はちょっと難しい。耐え抜く事ができるかどうかは強さを比較できますが、「負けるが勝ち」「やさしさこそ強さ」「弱いから吠える」というと価値観が「考え方」に依存されます。 ということからして攻撃する技術がない人はいくら耐えるのに長けていても強いとはいえないでしょうね。耐える人を強いとする理屈はまた、「まやかし」の場合も多いと思います。なぐさめの屁理屈として存在してる場合が多い。 また、精神的弱さからすぐ相手を攻撃する人も必ずしも攻撃の能力があるわけではないですからこれも違う。 攻撃する能力、人を論破できる能力、また、肉体的に勝てる能力、仕事で勝てる能力のある人は、実際には人から恐れられるので攻撃される機会自体が減ります。いじめられることもないわけです。これはよけいな攻撃を受けないので時間や努力やなやむ無駄を省けていいです。ただし、人を攻撃して連戦連勝してるとどうなるでしょう?誰もその人に近づいてこなくなります。つまり、ぐるっとまわって「はぶ」にされるわけで、いじめられてるのと同じ状態になります。情報網を失うわけです。例えばこわい上司は人を動かすのに適してますが、情報が上がってこなくなるというデメリットがあります(失敗を報告したらおこられるから隠蔽が行われる)。このことから「負けるが勝ち」という言葉は「そのとおり」と言えると思います。 結論としては「(あらゆる意味で)能力があって、爪を隠し、必要に応じて爪を出す人」というのでどうでしょう?要するに賢い人ですね。

frau
質問者

お礼

>防御の強さは「精神的」 >攻撃の強さは「技能的」 >人を攻撃して連戦連勝してるとどうなるでしょう? なるほど。 でも実際そういう上司が大多数で(笑)。 それでもその役割のために恐れ多いほどの「強さ」を9時から5時まで発揮している方々の強さも現にそうやって存在しています。結局独裁者ってバカですよね。権力は気持ちのよいものでしょうが、瞬間的で空回りする強さのために破滅を選ぶのですから。 「能ある鷹は爪を隠す」。私もかくありたいです。

  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2208)
回答No.4

他者に優しく、自分に厳しく と、あれたらなー。

frau
質問者

お礼

こんにちは。 私は自分に厳しい方だと思うのですが、ついつい他人にそれを要求しすぎて自分を苦しめてしまいます。 もう少し肩の力を抜きたいです、ホント・・・。

  • akazu11
  • ベストアンサー率21% (21/98)
回答No.3

僕の好きな言葉に「困った事は起こらない」というのがあります。その言葉は別に起こったことに対して現実逃避をすることではなく、前向きに対処していこうとする気持ち、が大切である事だと考えます。本当の強さとは自分にふりかかる、色々な事に対してポジティブな気持ちで接する事が出来ること、そして我慢をする事を良しとしない強さだと思います。自分の中でYESorNOが人にはっきりと言える事、それが結果的に人から×といわれても全然構わないと思います。そこから学べばいいのですから。

frau
質問者

お礼

>それが結果的に人から×といわれても 社会生活ではつい人の視線や評価を気にしてしまいがち ですけれど、ブレない本当の強さを持った人はきちんと自己主張できる人ですよね。自分に正直なことも強さだと思います。

  • papa0108
  • ベストアンサー率20% (348/1659)
回答No.2

あくまで個人的な意見ですので・・・。 人に対して言いたい事を言えたりするのも「強さ」という時もあります。 逆に、言いたいことを言わずにじっと耐えることが「強さ」であることもあります。 辛いことに耐えるのも「強さ」、辛いことは辛いと言えるたりすることにも「強さ」が必要な時もあります。 辛い環境でも耐えることも「強さ」が必要ですし、思い切って違う環境に飛び込むにも「強さ」が必要です。 このように、いろんな「強さ」があります。 それぞれの「強さ」の価値を比較することは困難だと思います。 ご質問から、「イジメ」の状況を思い浮かべました。 イジメに耐える事も「強さ」です。 いじめる相手に立ち向かうのも「強さ」です。 なぜイジメにあうのかを、真剣に考えて、自分に原因があれば、自分を変えていくにも「強さ」が必要です。 もしこういう状況なら、本当に第3者的な立場に立って、自分はどうするべきかを考えることが「強さ」だと思います。 決して自分に甘く考えない、他人のせいにしない、そういう「強さ」を持っていてくれたら・・・と思います。 こんな意見もあるということで。

frau
質問者

お礼

生きてゆくなかで強さはどこにでも存在しますよね。 生きてゆくために必要なものです。 強さは限りなく鍛錬できるものだと思います。それが神様が与えてくれた人間へのテストだと思います。 でもそれを良い方向に使うすばらしさを人それぞれが知っていたら戦争は起きないでしょう。 ご回答ありがとうございました。

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