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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「心」はありますか?)

「心」の存在について考える

このQ&Aのポイント
  • 「心」の存在については意見が分かれています。
  • 一部では「心」は実体ではなく、あくまで脳の働きによって生まれるものと考えられています。
  • 一方で、人間の感情や思考が「心」として存在しているという意見もあります。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

「心は存在しますか?」ではなく、 「存在は心(宇宙)の中に生じる」です。 量子論的に、認識される事で有限な存在性は 派生しています。 確定化しようとすると無限不確定に発散する 不確定性原理の相補性を、階層現象を表面的に 捉える事で、“仮象的な対象の確率的な存在性”を 派生させるのです。 その「相補的不確定性」の、「位置(S)と運動量(St)、 時点(T)と質量(Ts)の2対において、一方の値を確定 しようとすると、もう一方が無限不確定に発散する」 というのは、時間軸(時間の流れ=記憶=自我仮説(心)) と空間軸(空間の広がり=予測=時空仮説(物))の相補 分化に基づきます。 その「相補分化」は、無=不確定性無限の潜在的 認識可能性=感受表面の量子相互作用=光速= 現在からの、過去(超光速)と未来(光速下)への 相補分化でもあります。 原理的な超弦(量子定常波=光速)の階層現象的 潜在化による、現象表面的な非光速性に付随して 派生する。

その他の回答 (6)

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.7

心は水のような「記憶の媒体」ではないかと思ってます。 反応を促す役割と揺さぶり動かす作用がある。 命あるものが実感しうる存在であっても、印象としては表面がない? こんこんと湧く泉や、水の流れから離れられないことが想い。 水が容器に記憶の余地もないほどに満たされると満足。 知識は記憶を近衛状態に固定するもので、 感覚を通した記憶の心は、溢れたり、流れ込んだりと動くもの。 心は私の主語ではい ので主語との類似の前に、 形容であれ動詞であれ行為との比較があって 行為に満足しなくては私と剥離してしまう。 なんとなくです。

回答No.6

親が子供を叱る時に高飛車な態度でも 愛情はありますよね それと一緒です どんなに横柄な言葉でも 本質が違えば 高飛車では無いのです あなたに 知って貰いたい事はあるが それは あなた自身が゜探さないと無意味な事なので・・ 俺から言いたいが このサイトでは難しいので‥と言った事が脳裏にあります

回答No.4

 こんにちは。    あっ 馬が走っている。  という認識は おそらくその馬をふくむ環境とそしてワタシとのあいだの相互作用としてワタシが得ているものと思われます。  ワタシの身なる目から何からの知覚器官は 心ではないのでしょうが その知覚内容を認識するのは 身なる神経組織にもとづきつつ一般にワタシがおこなっている心のハタラキなのではないでしょうか。  さらにこれを わたしたちが言葉にして表わすのは それぞれ心という動態であると考えられます。  心があるか無いかというよりも ハタラキが起きているかどうかで捉えればどうなのでしょう。    ハゲは 心ではないですよ。それのよしあしを考えるのは 心であり さらにどうにかしようとするのも 心に発しているのでしょう。

回答No.3

近世のデカルトは心は実体であり、そして身体も実体であると言って、心身二元論を唱えましたが、カントはそれを「純粋理性批判」の「実体論的誤謬推理の批判」で批判し、心は実体ではないと言いましたから、少なくとも心は実体的に存在するものではありません。 ということは心は身体のような存在者ではないということです。 存在者ならば、それを私たちは見たり感覚知覚することができますが、心は存在者ではないから、感覚知覚で見たりできません。 心的現象、例えば悲しむとか、怒るとか、そのような現象はあると思いますが、そのような現象を統一している実体としての心は存在しません。 英国の哲学者・ギルバート・ライルは主著「心の概念」で、心が身体や脳の中にあるという考えを「機械の中の幽霊」と揶揄しました。 現代のアメリカの「心の哲学」によれば、心というのは脳の活動に並行して、それに随伴する現象だとか、脳の活動の機能状態を表すものだと考えられています。 したがって心は「存在するもの」ではなく、脳のなんらかの機能だと考えられています。 だけど、どのように機能を果たしているのかは、今後の課題です。 「心を強くする」という言い方は心をメタファーとして使っているだけです。 「心を軽くする」という言い方も同じです。 心を実体化しています。 心は存在者ではないから、形を持たず、また広がりを持たず、また境界線もありません。 だから、どこから心で、どこから心でないという境目も区別もありません。 機能という言葉を考えて見れば分かります。 機能という言葉に、ここから先は機能で、ここから先は機能ではない、という区別があるでしょうか?

  • 2014japan
  • ベストアンサー率22% (35/159)
回答No.2

心は有ります。 心が何か?とまで聞かれれば、私の頭では分りません。 哲学的な考えをする人は、机上の空論をし、真実のように、主張する人が多いです。 でも、あなたも、私も、喜んだり、悲しんだり、します、これは心の反応ですから、心がある証拠だと思います。 心を強くするということは、 例えば、プレッシャーに弱い人、強い人が居ますよね、それを強くすることが、心を強くすることですから、実際、訓練によって強くなります。 現実に心を強くする結果があります 哲学という学問は、すべての学問の上位にあるものでした、しかし現代はにわか哲学者が非常に多いように思えます。

回答No.1

人間とは 物質が形になってる物だけを見ていては 本当の人間とは言えません 物質で無い物も この世には存在するのです 電波も その一種 「心」とは 電波の様な物・・なので 周波数があり その 周波数が合う人を見つける事も出来ます しかし 本当の心の役割りは もっと尊い事をする為の物 それは あなたが もっと 真剣に ある事を考えた時に解かる筈 とにかく 見えないから 無い物と考える事は 高等生物の知識では ありませんよ

gaitu
質問者

お礼

では回答者さんみたいに「あなたが もっと 真剣に ある事を考えた時に解かる筈」とか「とにかく 見えないから 無い物と考える事は 高等生物の知識では ありませんよ」みたいに大上段から意見を振りかざすのが高等生物のやることなのでしょうか? 返答待ちます

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