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誰も傷つけない笑い
誰も傷つけない笑いってあり得ると思いますか? 残念ながら私は無いと思います 知る限り 特にこの20年 日本の笑いは 誰かをターゲットにして 例えばハゲの人(小峠さん 小杉さんなど)を 皆の前で思い切りハゲをいじって周囲が笑う このパターンを繰り返してました ある意味 人間は皆 とても残酷ですから笑いの犠牲者が必要 ででくるんです これから誰かが 誰も傷つけない笑いを 作る やる 出来る と思いますか? 近年 日本社会も傷つける笑いに批判的になり 傷つける笑いは駄目という意見もありますが それでも私は無くならないと思います そもそも人間は誰かを馬鹿にする 貶める事によって笑いが生まれるのだから 皆さんはどう思われますか? 結局 日本人が 日本社会全体が変わらなければ 笑いも変わらないと思います
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当然、あり得ます! 争いごとなどでは、最後に、笑いに持ち込むのが、最高です! 或いは、争いになろうとしている時に、笑いが入ると、そこで、終わります。 本来、笑っている時に、怒ることは不可能です。 誰かを傷つけるってことは、それは、笑いではないでしょう。
- FEX2053
- ベストアンサー率37% (7991/21371)
ええと、「バカリズム」さんの「案」シリーズとかどうなんですかね。例えばこれ。 https://www.youtube.com/watch?v=14ZAtFCm5Rw 「バカリズム」さんの芸って他にも「県の持ち方」とか「トツギーノ」とか、知的でかつ誰も傷つけない笑いがあり、私は大好きです。 あと、陣内智則さんの「Netajin」芸も割と「誰も傷つけない」と思いますねぇ。彼のコントも結構好きです。例えばこれ。 https://www.youtube.com/watch?v=Fp4SRDcGcnI 特にゲームネタは、相手が無機物ですからね。気にせず大笑いできますねぇ。
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- nijjin
- ベストアンサー率27% (4815/17787)
>誰も傷つけない笑いってあり得ると思いますか? ありますよ。 ただ、TVのバラエティ番組ではほとんど見ないってだけです。
お礼
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- 雷 むぐちょ(@raimugurin)
- ベストアンサー率11% (55/470)
おはようございます。 落語
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- tiltilmitil
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「俺がこんなに悲しんでいるというのにゲラゲラ笑うとはけしからん」などと内容に関係なく笑うということ自体が人を傷つける可能性を否定できませんね。
お礼
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- ノーバン(@nobound)
- ベストアンサー率13% (295/2111)
お笑い番組が多く、視聴者は若者ターゲットらしいので、あまり見ていませんが、傷つけでいるようで、実は仲間だったりすると思います。 お笑いタレントの人でも、あまり普段絡まない人たち同士が一緒だと、様子をうかがってあまり盛り上がらないのは、傷つけて辛辣になるのを避けているように見えて、一応傷つけても笑い合えるのが、仲間だというような気がします。 誰も傷つけない仲間が、友達がいるのかどうか?だから友達作りは難しい気もしています。
お礼
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- citizen_S
- ベストアンサー率41% (272/649)
No.7、誤文訂正です。 >潜在的に存在する差別意識 → (伝統的に存在する/)潜在的な差別意識 失礼しました。
お礼
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- citizen_S
- ベストアンサー率41% (272/649)
私はあると思っています。真っ向から反対意見でごめんなさい。 ユーモアにもいろいろあるなかで、特定の人をバカにしたり、人の不幸を面白がって笑う類は場所によっては「ユーモアのなかでも最低レベル」とみなされているようです。 海外の「外国人ジョーク」にしても、白人同士はお互いに身内意識でお互い様という感覚がある反面、有色人種対象のものは潜在的に存在する差別意識のカモフラージュとして使われてきました。 今のご時世、口をすべらせては「何の悪気もない」「差別のつもりはなかった」など見苦しい言い訳がなされていますが、それを信じるのは経験のないお人よしかいじめ肯定派でしょう。 対比の一例として、ドイツユーモアは「キック・アンド・ラン」とされる一方で、ブリティッシュユーモアは卑屈にならない自虐タイプです。他人をあざ笑うのは簡単だが、自分をいやみにならずに笑いのめせるのは語るほうも聞くほうもセンスが必要だからこそ、単純そのものの前者のほうが一般的には人気があるのかもしれません。
お礼
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- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11083/34534)
あるかないかでいえばあると思います。なんというか、ほんわかした笑いというか、人畜無害なやつね。でも腹を抱えて笑うということはないです。 アクシデント映像みたいなのがありますよね。例えばガラスがないと思ってガラスの扉に激突して、隣に行ってそこもガラスなのにまたぶつかる、みたいなやつね。あれを見て僕らは笑ってしまうけど、本人にとってはただの不幸です。人の不幸って、面白くなってしまうのは事実なんですよ。 ドリフやひょうきん族が誰も傷つけてないなんてのはとんでもない話で、ドリフの笑いっていうのは権威主義で偉そうな態度をするチョーさんを普段はチョーさんに怒られてばかりのカトちゃんや志村がやっつけることで生まれるカタルシスからくるものですからね。だから全国の小学生が熱狂したのです。学校ではチョーさんみたいな先生がウヨウヨしてたから。志村さんが加入する前の荒井注さんがいた頃のドリフの映画も、口うるさい上司であるチョーさんをみんなでやっつけるものです。何かで頭をぶつけて失神したチョーさんを棺桶に入れて焼いちゃったってネタもありましたよ。焼かれてる途中で熱さでチョーさんが目が覚めて、真っ黒になって火葬場の煙突から出てくるという今では絶対やれないネタです・笑。 ひょうきん族に至っては、ひょうきんベストテンのコーナーで、歌ってる稲川淳二さんを周りの芸人が痛めつけてボコボコにして、最後にボロボロになった稲川さんがカメラに向かって卑屈な笑いを浮かべて「皆さま、喜んでいただけましたでしょうか?」ってやるネタがありました。DVDで見て「あー、そういえばこのネタよくあったわ」と思い出したのですが、もうね、今となっては全然笑えない。これを真似たイジメも全国の小中学校で流行ったんですよ。 パワハラ芸の極みみたいな人が、石橋貴明さんだったと思いますよ。 それに比べれば、今の小峠さんのハゲネタもあくまでご自身がいうだけの自虐ですからね。ギリギリ使えるのは相方まで。それ以外の人が「うるせえぞ、このハゲ」とはいえない。いったらたぶんテレビだとカットされると思います。仮に小峠さんのOKが出てもね。 「最近の芸人は人を貶めるようなことで笑いをとっている」のも違うなら「昔の芸人はそんなことはしなかった」も大違いです。ただ単にみんな「今はダメで昔は良かった」と思い込んでいるだけです。 人を傷つけて笑いをとっているという点では、80年代がそのピークでしたよ。今思えば「アッシー」とか「メッシー」とかひでえ話ですよね。それが当然だと誰もが思っていたわけで。あとは金持ちを「マルキン(金)」貧乏人を「マルビ」と呼んでました。もちろん貧乏人をバカにするためです。80年代は、貧乏は嘲笑の対象だったのです。だってバブルだったんだもん。
お礼
有り難うございます 勉強になりました
- citytombi
- ベストアンサー率19% (1721/8628)
なるほど、人をイジることで笑いを誘う「笑わせ方」ですね。 大体において、お笑いのボケと突っ込みはそういうシステムになってます。 お笑いの世界ではなく、子供の頃にもそういうことは結構ありました。 人気者の子は、自分で自分をイジってみたり、おどけてみたりして笑いを誘って、表面的にそう(演技的に)見せることで周りをリードしていくことが多かったです。 イジられる子もいましたが、「いじめ」と「からかい」の境目が微妙で、イジられることで仲間に入れてもらえる、皆に知ってもらえる・・・笑われてもその苦痛や恥ずかしさよりも、仲間として見てもらえる感覚の方が勝っていた感じもします。 ホーキング青山という身障者芸人がいます。 彼は自虐的に自身の身障者としての経験を、ネタとして披露してお笑いを取っています。 生まれつき両手両足が不自由で車いすの生活ですが、でも身障者と言えども思春期になれば性欲が湧いてくる・・どうする?・・みたいなことをネタとして話しています。 自分で自分を貶める見方もありますが、そういうハンデを武器にして笑いに変換して「生活のカテにする」という人もいるので、複雑ですね。 小峠もある意味、あそこまで禿げていたから売れたかも知れないし、正岡子規と揶揄されながらも一定のイメージを確立したということは、あながちそういう手段での笑いの取り方も間違っていないような気もします。
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有り難うございます