>社債と国債の利子率と、金利の利子率とは別のものですよね?
あたかも同じ利子率としてみているようであるのはどう言うことでしょうか?
「金利の利子率」とは何ですか?「金利」という言葉は、経済学でいう「利子率」の俗語です。利子率のことを世間では金利というのです。英語では、「金利」も「利子率」もinterest rate(あるいはinterest ratestsと複数)で、同じ言葉で、区別することはありません。
たしかに現実の世界では、市場(金融市場)にはたたくさんの金融商品があり、それに対応してたくさんの利子率があって、ただ一つの利子率が支配しているわけではありません。政府が発行する債券(国債)ですら、償還が40年の超長期の国債から、長期の10年国債、中期の1-6年の国債、短期の1年あるいは6か月あるいは3か月の短期証券までたくさんの種類があり、利子率はそれに応じて異なるし、企業が発行する社債にいたっては発行する企業の数ぐらいの利子率が存在しているでしょう。また、銀行が企業に貸し付けるときに企業が銀行に支払う貸出し金利もある。さらには、個人が銀行から借りる住宅ローンの利子率もあれば、サラ金から借りる利子率もあって値は異なるのは事実です。にもかかわらず、通常のマクロモデル(ケインジアンのIS-LMモデルを含む)では、金融市場には「債券」と呼ばれるただ一つの借り手が発行する債務(したがってただ一つの利子率)が存在して、すべての異時点間の取引はそれを通じて行われるかのように仮定されている。モデルというのは、現実の経済を抽象化=単純化した世界ですから、そういった単純化が許されるかどうかは目的によるのです。現実の財市場ではそれこそ何千、何万という種類の財・サービスが取引され、さまざまな価格が成立しているのに、マクロモデルの財市場では、「GDP」と呼ばれるただ一つの財が生産され、物価水準と呼ばれる単一の価格のもとで取引されて、民間部門で消費されるか(消費支出)、企業によって投資として資本蓄積されるか(投資支出)、あるいは公共財として利用されるか(政府支出)している。現実の労働市場には熟練、非熟の」さまざまなタイプの労働が存在して、さまざま形の賃金形態があるのに、モデルではただ一つの「労働」と呼ばれるただ一つの生産要素が取引され、「賃金」と呼ばれるただ一つ価格が存在するだけである。繰り返しますが、これらはすべて現実からの抽象化=単純化であって、正しいかどうかは答えをもとめている問題によるとしいかいいようがないのです。
補足
社債と国債の利子率と、金利の利子率とは別のものですよね? あたかも同じ利子率としてみているようであるのはどう言うことでしょうか? 度々申し訳ないです。