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なぜアキレスと亀は不思議でないのか?
- アキレスと亀のパラドックスについて独自の視点から質問します。
- 多くの人がアキレスと亀の問題を不思議とは思わず、それを説明するために無限級数を用いることにも抵抗感を持ちません。
- この問題は数学の問題だけでなく、社会学など他の分野でも考えられる可能性があります。皆さんの意見をお聞かせください。
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質問者が選んだベストアンサー
まあ我々は普段、日常言語を使って論理を組み立てるのですが、日常言語は曖昧な点が多いのでどうしても混乱が起きる場合が出てくる。 数学はそれを何とかするために一つ一つ約束事を決めて議論を進めていこうとする。この辺は多分数学者の人びとがさんざん苦労したことで、われわれは現状の結果をみているのですが、それでもその約束事がわれわれの通常の感覚からは乖離している、という事が出てくることがあるのは避けられないのだと思います。 まあ一応補足ですが、一般に「AならばB」の否定は「Aであって、かつBでない」です(AならばBでない、ではない)。ゼノンの論理の場合はAの部分が「亀がさっきまでいた地点にアキレスが付いた時には、亀はその先をいっている」という部分で、Bの部分が「アキレスはカメにおいつけない」になる。 ゼノンの主張は「Aが成り立つ、よってBである」という主張でした。これは質問者さんが書いてある通り3段論法と呼ばれるもので、つまり * Aが成り立つ * AならばB * (A、かつ(AならばB))なのでBが成り立つ という論法でした。よってこの論法を否定するには「Aならば B」の部分を否定すればよく、それはつまり「Aであって、かつBでない」世界があることを言えば良い(それが数学では証明になる)、という事です。
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- myuki1232
- ベストアンサー率57% (97/170)
私が「問題が理解できない人」と書いたのは、ゼノンが言っている論理展開が理解できない人という意味ではありません。「パラドックス」という言葉の意味がわからない、そもそも何が問題なのかわからない人、という意味です。 これは一部あなたにも当てはまるように思えます。もう一度問題を整理しましょう。 1. ゼノンの論理展開によれば、アキレスは亀に追いつけない。 2. しかし、現実にはアキレスは亀に追い付くことができる。 1. と 2. が矛盾していることを「パラドックス」といいます。 そして、パラドックスを「解決する」とは、この矛盾を解消すること、今回の場合は 2. が正しいことはだれも疑っていないので、1. が間違っていることを説明することです。 ここまで理解できて初めて、「問題の意味が理解できる人」と言えます。こういう人の割合が少ないのはお分かりでしょう。 他の回答者の方が散々説明していることは、この「1.が間違っていることの説明」です。 しかし、それが納得できないということは、「1.が間違っていることを説明できれば、このパラドックスは解決できる」ということが理解できていないのではないでしょうか? >で、問題は、アキレスが亀を追い越す段階なんですが、アキレスが亀を追い越す、そのことを言葉のロジックで説明するためには、ゼノンが使った三段論法以外の論理、あるいは言葉を導入しなければどうしたって説明できない。そのように私には思える。だけど、ゼノンはそれ以外の言葉を導入することを認めていない。 あなたはどうも、「2.が正しいことを証明する必要がある」と勘違いしているのではないでしょうか? 2. が正しいのは「それが事実だから」であり、証明が不要(不可能)な公理です。 そもそも、2.が正しくないかもしれないのであれば、これはパラドックスでも何でもなく、単に「よくわかっていない物理現象に関する対立する2つの考察」に過ぎません。 まだわからないことがあればどうぞ。
補足
ありがとうございます。 ご指摘のように、何を持ってこの問題の解決とするかというところをまずはっきりさせるのは的確なアプローチと思います。 私も、多くの方が説明されようとしていることは、おっしゃるように、1が間違っているということ、すなわち、「ゼノンの論理展開によっても、追いつける」ということだと思っています。その意味ではご指摘のような勘違いはわたしはしてはいないと思います。 ただ、わたしには、それらのご説明が、「ゼノンの論理展開によっても」というところが、十分に確保されていないように思われるというところを問題にしています。ゼノンの論理展開では、アキレスが亀に限りなく近づくところの話までしかできません。(もちろん、数学的にはその「かぎりなく」がゼロに収束することは知っています) で、どうやってあと一歩踏み出して、追いつき追い越すことができるのか、そのあと一歩をどうやって「ゼノンの論理展開によって」乗り越えることができるのか、その説明がされているという理解ができないということです。
- 中村 拓男(@tknakamuri)
- ベストアンサー率35% (674/1896)
一応ちゃんと式を立てておきます。 亀のアキレスの現在位置を x0, y0 (x0 > y0) で亀とアキレスの速度を v と V とします。(v < V) また現在時刻を t0 とします。 さて、アキレスは亀に (x0-y0)/(V-v) 秒後に追いつくから 追いつく時刻 tt は tt = t0 + (x0-y0)/(V-v) 追いぬく地点は xx = x0 + (x0-y0)v/(V-v) それ以降はアキレスが亀の前に出るわけですが、 ゼノンの理屈で、x0位置にアキレスがたどり着く時刻 t1 は t1 = (x0-y0)/V + t0 その時のアキレスの位置 y1 = x0 その時の亀の位置 x1 = x0 + (x0-y0)v/V もういちどこの理屈を繰り返すと y2 = x0 + (x0-y0)(v/V) x2 = x0 + (x0-y0)(v/V) + (x0-y0)(v/V)^2 t2 = t0 + (x0-y0)/V + (x0-y0)v/V^2 というわけで、n回繰り返すと xn = x0 + Σ[n=1~n](x0-y0)(v/V)^n tn = t0 + Σ[n=1~n](x0-y0)(1/v)(v/V)^n とすると tn は n⇒∞の時、2項目以降は等比数列なので t0 + (x0-y0)/(V-v) に収束し、 tn は単調増加だから t0 + (x0-y0)/(V-v) > tn xn は n⇒∞の時 x0 + (x0-y0)v/(V-v) に収束し、xn は単調増加だから x0 + (x0-y0)v/(V-v) > xn つまり n をどんなに大きくしても アキレスが追いつく時刻 t0 + (x0-y0)/(V-v) より、tnが大きくなることはありませんし、xn が追いつく地点より大きくなることもありません。 つまり、ゼノンの論理は、アキレスが亀に追いつく時刻以前ではアキレスは亀を追い抜かないことを 表しています。 ゼノンの論理にはこれ以上のことには含まれていません。 以上。
補足
ありがとうございます。 そのとおりですね。いろいろな方の意見をいただいて、自分の頭ではいろいろとさらに考えていて、それをひとまず、#15の方への補足に考えをまとめさせていただいたのでごらんいただければ幸いです。 わたしは、おっしゃるとおりであればこそ、どうやってゼノンの論理を超えて、そのあと一歩踏み出すことができるのかがわからない、それこそがパラドックスの根幹だと感じています。
- tmpname
- ベストアンサー率67% (195/287)
流れを読まずに書きますと... 要はゼノンの方法は、「アキレスが亀を追い抜かない」ことの証明には何が必要か?ということに対して、不十分なだけなのです。 つまり、一般論として「(『いつまでたっても』)アキレスが亀を追い抜かない」、というのは、言い換えると『任意の時刻において』アキレスは亀の後ろにいる、ということで、これを証明せよ、ということになります。別にゼノンの方法でなくともこの事が証明出来ればよい。 で、ゼノンの方法を読むと、簡単に言えば「亀がアキレスより前にいる『ちょっと後の』時刻には、まだ亀はアキレスの前にいる」ということになります。これは現在の数学でも勿論そういう結論になる。ここまではゼノンのいう事は間違っていない。 ところが、ここで元々の証明するべき『任意の時刻において』アキレスは亀の後ろにいる、という事を言えているのか?ということについては、これは言えていないのです。なぜなら、ゼノンの議論では亀がさっきまでいた地点にアキレスが追いつくまで「具体的にどの位」時間がかかるのか、という議論を全くしていないのですから。 別の見方をすると、「アキレスが亀が前にいたある地点A1に着いた時」「アキレスが亀がいた別の地点A2に着いた時」「別の地点A3に着いた時」....において亀がアキレスより前にいることは言えているけれども、その議論で『任意の(全ての)時刻を』埋め尽すことができるかは何も言えていない。(ゼノンは「アキレスが亀がいたある地点A1に着いた時」「アキレスが亀がいた別の地点A2に着いた時」「別の地点A3に着いた時」...というので、「任意の」時刻を埋め尽すことが出来ると考えていたのかもしれないが、「何で?」と聞かれると忽ち回答不能になってしまう。それか、ゼノンは失念していたかのどちらかです)それこそ、『任意の時刻を』を埋め尽くしているかは別の議論が必要ですが、ゼノンの議論はそうしたことをしていない(で、そういうことを議論していない、というだけで充分です)。で、 なので、別に「無限級数」とかそんなのを持ち出す以前に、ゼノンの方法は「証明するべきことに端から答えていない」のです。別に無限の議論にもちこむ必要は全くありません。
お礼
ありがとうございます。
- Water_5
- ベストアンサー率17% (56/314)
ゼノンのパラドクスはゲーデルの不完全性定理の 良い例になってますね。 カントールの無限集合論を持ってこない限り ゼノンのシステムの中だけでは真偽は問えない。
お礼
ありがとうございます。
#18です。 >残念ですね。 >まあ、あなたの元々の書き方からして、こうなる可能性が高いと思ってましたけどね。 予想通りのお答です。あなたのようなタイプとはうんざりするほど話した経験があるのですが、最初はいろいろでも最後は同じパターン、このようになります。 >あなたが私の知的次元が低いと思ってるのと同様、 思わないですけど? まだ数学をやっていないだけで、そのことは知的次元を表すものではありません。 >わたしもあなたの知的水準を疑ってるので、まあおあいこにしときましょう。 おあいこにはならないでしょうね。ほんの少し知っているかどうか。その違いです。少し手間をかけて知ればなんでもないことなんですよ、お尋ねのことはね。そうしようとしないことも、いつもの人々と同じ。きちんと切っ掛け、取っ掛かりになることは話してあるのに、全力でそれから遠ざかる。 つまり、自分の現状を是認して欲しい、それしかないわけなんですね。 >いいたいことはいろいろありますが、まあ、お互い、もうレベルの低いとおもってる相手に話をしても仕方ないでしょ? あなたにはあなたが言いだしたことについて、もう言えることがないから仕方ないでしょうね。私の他にもいろいろな方が親切丁寧に教えてくれていますが、全く反応できていないことも、それを裏付けるものですよ。ここは誰でも見られる場所なことを忘れていませんか? 見えないギャラリーさん、嗤っているかもしれませんね。 >(ほんとはあなたの方が一方的に礼節を欠いているので、その次元からしてほんとは私の勝ちですけど、まあ譲っときますよ。(笑)) これですよ、いつものパターンはというのはね。礼節、礼儀等といった、最初に言いだしたこととは無関係なことで誇らんかなの言動に代わってしまう。そうでもしないと自我が保てないのかもしれない、と心配になったりもします。ご自愛を。 そして、あなたは学問に対して敬意を欠いていますよ。それは人間として最低のことでしょうね。人類が何を以て今のように地球の頂点に立つ生物を自認できているか。それをないがしろにしているわけですから。 ほんの少し知ろうとすれば済んだことなんですよ。残念なことです。
- 中村 拓男(@tknakamuri)
- ベストアンサー率35% (674/1896)
もうお分かりだとは思いますが アキレスと力メの話はは特定の時刻以降、特定の位置以降 は対象外です。 つまり追い付くまでは追いつかない というあたり前の話を少しまわりくどくいっているに すぎません。
お礼
ありがとうございます。
- stomachman
- ベストアンサー率57% (1014/1775)
ANo.12へのコメント、および示唆された他の回答へのコメントについてです。 コメントの中で > 私にはその一歩を踏み出す言葉がない と仰っている。その点について追記しておきます。 ANo.12でプログラムの話をしました。「アキレスと亀」の話は、アキレスが最初に居た地点を0、亀が最初に居た地点をT、アキレスの速さをV、亀の速さをv、とすれば、アキレスの位置aを 0: a[0] = 0, a[1]=T P: a[n] = a[n-1]+(v/V)(a[n-1]-a[n-2]) という漸化式を使って計算していることになります。この2行目の式はn=2,3,…について繰り返し計算するんです。 アキレスが亀に追いつく地点をxとすると、繰り返しの中では常に「a[n]はxより小さい」というinductive assertionが成立っています。そして、このループは終わりません。これが A: このプロセスPを幾ら繰り返してもアキレスは地点xには到達できない。 ということです。そして、上記の漸化式はxを計算するプロセスになっています。 ただ、この問題の場合には、xを有限回の四則演算で x = TV/(V-v) と表すこともでき、だから、漸化式を使わなくたってxは計算できる。ですが、敢えて漸化式を使っても良いでしょ? そうは言っても、さて、「終わらない繰り返し」を使うってどういうことか。 ~~~~~~ 一方、漸化式 s[0] = 1 s[n] = s[n-1] + 1/n! を考えます。このループも終わりません。ですから「アキレスと亀」の漸化式と状況は同じです。(ご質問の話が無限級数だけで片づくと主張する人なら「その漸化式の極限は、自然対数の底であるeだと分かってるじゃないか!」とあざ笑うのでなくては、態度が首尾一貫しているとは言えませんね。けれども、「だーから、eの数値は実際幾らなの?」という話をしているんですから、「それはeだ」ほど間抜けな答もないってもんです。) さらにこの場合には、(eは超越数なので)eの値を有限回の四則演算で計算する方法は存在しない。すなわち、「終わらない繰り返し」を使うしか計算方法がないんです。eの値の計算に限らず、一般に、有限回の四則演算では表せないような数値の計算(たとえば平方根も三角関数も)は結局の所、このような漸化式、すなわち「終わらない繰り返し」を使って計算されます。だから、ちっとも珍しい話ではありません。 さて、「終わらない繰り返し」を使うってどういうことか。 それには、「ある程度の精度が得られたら、そこで繰り返しを打ち切る」ということをやるんです。有限回で打ち切って、次のプロセスに進む。単にそれだけです。 アキレスと亀の漸化式でも、たとえば「アキレスのつま先が亀の頭より後れること10cm以内に到達したら、そこで繰り返しを打ち切る」ということをやれば、有限回で打ち切れる。かくて、アキレスはPの反復という呪縛から逃れて、次のプロセスに進む事ができます。そのプロセスとは、もちろん、 Q : そこで、アキレスはさらに一歩を踏み出す。 ということですね。a[N]で打ち切ったとすると、これで Q : アキレスの位置 = a[N]+(アキレスの歩幅) > x になった。追い越し完了です。 という訳で、 > 私にはその一歩を踏み出す言葉がない と仰っているけれども、いやいや、まさしくそのひと言、「一歩を踏み出す」で十分なんです。
補足
ありがとうございます。 真剣に読ませていただいて、表面的にはおっしゃることは理解したつもりです。ですが、「一歩を踏み出すで十分」というのはまだちょっと理解できないです。。。。だって、それ禁じ手なんじゃ。。。。(理解が浅くてすみません。。。) ともかく、いろいろな方のご指摘をふまえて、暫定的ではありますが、私の問題理解をさらにもう少し進展させたものを、#13のかたの(補足の方ではなく)お礼の方の欄に、まとめさせていただきました。できましたらご覧いただくと幸いです。 こういう理解は、おかしいでしょうか?(ちょっと、行きがかり上、言葉が少し強い調子なところがありますがご容赦ください) 私も数学をよく知っている訳ではないので、数学という言語と日常言語の翻訳関係について、どこまで話が整理されているのかはまったく知らないんですが、もともとは、数学というのは、(ゲーテルがある意味残念なことを証明してしまったとはいえ)いろいろな公理系から無矛盾を目指していろいろな体系を組もうとしてきたものなので、その過程で、現実あるいは日常言語との対応関係の十全な確保をある程度放棄してきたものではないのではないかと予想しています。 こうした考えをいろいろ巡らせて改めて思うのは、元々の質問させていただいたように、こうしたことを何ら疑問なく解けると思う人の方が圧倒的に多いというのは、はやり納得がいかないというか、健全な状況ではない、という印象が強いです。 ぜひ、stomachmanさんにアドバイスをいただきたいです。
#13です。 >そもそも、質問自体はきちんと明確に問題化していますが、それはいまはおいておきます。 できていないですよ。数学で「不思議」と仰っている時点で、実は駄目なものなんです。他の回答者様の皆さんもですが、そこを何とか回答者側で汲み取り、問題化、定式化して回答しています。 >ところでほかの方々の回答を読んで、少し何を私が問題にしているかわかってきた気がします。 やはり「気がする」止まりなのですよね。 >私のこのパラドックスに対する疑問、というか、どこを不思議と思っているかというのは、以下のような点にある気がしてきました。 そして「というか」「不思議」というレヴェルを脱せない。 >先ほど、ゼノンは三段論法しか使っていないと指摘しました。ここまではいいですよね。 既に、それでいいよ、と回答してますよね。 >そして、その話を繰り返しても、それはアキレスが亀に限りなく近づくところまでしか話ができない。それもいいですね。 いいという言い方もできるし、駄目だという言い方もできる。数式はそのようになってるんですよ。説明したと思うんですけどね。 >で、問題は、アキレスが亀を追い越す段階なんですが、アキレスが亀を追い越す、そのことを言葉のロジックで説明するためには、(そうです数学ではなくて言葉のロジックです。まあ、論理学といってもいいのでその意味では数学ですが。)ゼノンが使った三段論法以外の論理、あるいは言葉を導入しなければどうしたって説明できない。そのように私には思える。だけど、ゼノンはそれ以外の言葉を導入することを認めていない。 ですからね、それは数式で書ける、ということなんですよ。数式で書けて、しかも厳密に解ける。そう説明したと思うんですけどね。 >だから私は、どうやってゼノンの理屈を乗り越えて、アキレスが亀を追い越すことが説明できるのか、その理由がわからない。(で、本当の質問というのは、その理由がわからないという気持ちを共有する人が、ほとんどいないのはなぜなのか、ということでした。でも今はそれはいいです) そうなんでしょうね。数学で記述できるということが理解できないなら、数学部分が根幹であり、数学で解決できるということも分からないでしょう。 >こんな感じです。私はおかげでだいぶ自分の疑問がはっきりしてきたきがします。 まあ、「気のせい」でしょう。 >これでもまだ意思疎通は難しいですかね。 こちらかはよく見えていますよ。ご自身しか見えない迷路の中で行きつ戻りつされている様子が、ですね。 --------------- >このパラドックスの根幹は、要するにこういうことと理解すべきとわたしは考えているのだと思います。 ご自身の考えですら、ご自身で理解するのが曖昧模糊としているんですね、分かります。 >我々は我々の用いる(日常)言語の論理を信頼している。きちんと筋道たてて、論理をたてていけば、前提や仮説を受け入れる限り、正しい議論をすることができると思っている。しかしほんとうにそうなのか?たとえば、我々の言語は、「無限」の問題を、無矛盾にきちんと記述することができるのか? そのために数学が発明され、発展し、使っているんですよ。1+1=2が正しいとするために、千ページ以上使って数学を記述してみたりもしてきた(さらには、その程度ではまだ甘い、と批判する人もいたりする)。それでも、無限が無矛盾に扱えているかどうか、目下のところ、誰も確実には言えないだろうと思いますね。 >ということです。だからつめていえば、ここでの問題の核心は、我々の(日常)言語という論理空間において、無限の問題を無矛盾に記述できるのか、ということです。(なおここでの無矛盾というのは、ゲーデルの場合のような、その論理空間の中での論理的無矛盾性ということではなく、現実との間の無矛盾性ということです。) 日常は論理空間なんですかね。論理空間の定義次第とはいえ、そうとは思いませんが、まあ個々人の受け取り方は自由です。あなたの論理空間の定義は何ですか? で、何度も既述してあるように、ごくごく初等的な問題でしかありません、アキレスと亀はね。もちろん、無矛盾かどうかなんて議論にすらならないレベルです。1+1=2が(たとい、実はそれでいいことを論じるのに膨大な量が必要であるにしても)当たり前と、さほど変わらないレヴェルのことなんですよ。 >だから、その我々の(日常)言語(論理)というものを、数学という、無限を(昔は扱い得なかったが今は)扱いうる言語に無批判に翻訳してしまった時点で、既に論点先取であり、問題の核心を見落としている、そういわざるをえないと思います。 もう解かれていると知った人は、得てしてそういう反応をするんですよね。うんざりするほど経験したことです。 >我々の言語は無限を扱えるの?って聞かれてるのに、我々の言語が無限を扱える数学に翻訳できるとみなせると信じちゃえば、無限を扱えるよ!というのでは答えではないです。 数学は言語なんですよ。知らなかったんですか? 算数くらいは部分的にでも使いますよね。使ってて言語だと分からなかったんですか? >もっといえば、ゲーデルが数学でやったようなところまで一般化する必要はないにせよ、やらなくてはいけないのは、我々の(日常)言語をその論理性において、一定の論理空間として定式化し、なおかつ、われわれの現実認識をその論理空間との対応関係において見定め、その上で、その中に「無限」という論理要素がどう位置づけられるのかを確認して、その「無限」を記述できる範囲と限界を明確化する、そうして初めて、この問題を解いたことになるのだと思います。ゼノンの三段論法(という日常言語)をその論理にそいつつ、なお乗り越えるとはそういうことです。 延々とご苦労様です。数学という言語で、もうそうしてあるんですよ。そういう簡単な話です。 P.S. 例えばアキレスと亀の簡単なバージョン、教えて差し上げましたよね。単に100m先まで歩いて行くときに、半分、また半分と分割する。あれはね、アキレスと亀と何ら変わらないんですよ。そしてある意味、ゼノンのパラドクスの他のある一つに対する説明の一部にもなっている。 ご自身の疑問を収束させていくこともできておられないし、周辺の類例との関連性にも気が付けない。そういう状態であることを、まず理解されたほうがいいでしょうね、文章を衒学的に飾る前に。
補足
残念ですね。 まあ、あなたの元々の書き方からして、こうなる可能性が高いと思ってましたけどね。 あなたが私の知的次元が低いと思ってるのと同様、わたしもあなたの知的水準を疑ってるので、まあおあいこにしときましょう。いいたいことはいろいろありますが、まあ、お互い、もうレベルの低いとおもってる相手に話をしても仕方ないでしょ? (ほんとはあなたの方が一方的に礼節を欠いているので、その次元からしてほんとは私の勝ちですけど、まあ譲っときますよ。(笑))
- myuki1232
- ベストアンサー率57% (97/170)
ご質問にちゃんと回答してみましょう。 アキレスと亀の議論について、人がどういう理解をしているかを以下のように表すと、 1:問題に興味がない・理解できない 2:パラドックスが理解できるが、解消する方法がわからない(質問者さんの状態) 3:パラドックスが理解でき、解消する方法もわかる 当てずっぽうですが、1 : 2 : 3 = 90 : 0.1 : 9.9 くらいの割合なのではないでしょうか。 なぜこんなに 2 の人が少ないのか、という質問だと思いますが、私はこう考えます。 - 1 の人が 2 に移動することが少ない(ほとんどの人は数学に関心が無い) - 一時的に 2 になっても、すぐ 3 に移動してしまう(比較的簡単な問題だから) 質問者さんが納得できないといっているのはどの部分でしょうか? - ほとんどの人はこの問題に関心がない・理解できないという事実 - ゼノンのパラドックスは、この問題に関心がある人にとっては簡単な問題であるという事実
補足
ありがとうございます。 いろいろな方の回答を伺って、自分にとって何がこのパラドックスで引っかかっているのかということについて、自分で少し説明ができるような気がしてきました。#15の方に対する私の補足をできましたらご覧ください。 これをいただいた回答との関連でいうと、 1. ゼノンはこんな簡単な理屈しか使っていないのに、(関心がないのはおいといて)理解できない人が多いということが、わたしには理解できない。 3. 私も自慢じゃないですが、それほど馬鹿とも思っていないのに、この疑問を簡単に解決できるという人が多いことが、私には理解できない。 ということです。
- Water_5
- ベストアンサー率17% (56/314)
1 ーー=0は成り立たない。 ∞ しかし、lim 1/x=0は成り立つ。 x-->∞ こんな感じの式が2,3あって、(無限級数の和とか。) これらがキチント理解してナイト、スレ主のような わかったようでワカラナイ人間が出てくるな。どうしても。
お礼
【ありがとうございます。問題が解決しました!!!(みなさんにむけて)】 ありがとうございました。おかげでどこに問題があったのかはっきりしました。 まさにtmpnameさんのおっしゃることが数学では証明になる、しかし日常言語とは乖離している。その差が問題だったのでした!!!! (tmpnameさんは、ときおり(それが数学では証明になる)とカッコ書きを挿入することを忘れませんでした。私がこうしてここに議論を整理できるようになったのも、その数学を客体化した視線からのご指摘をいただいたことによるところも大きいです。改めて、その知的姿勢に敬意を表しつつ、感謝したいと思います) 数学は混乱を避けるためにそういう約束事をした、だからそれはそれとして尊重しよう。しかし、日常言語には曖昧なところもあり混乱もしがちであるが、であるがゆえに、数学より幅広いことを指し示しえる。このため、日常言語の論理はきっちり数学の論理には翻訳されえない、互いの論理が一部乖離しているということが、厳然たる事実としてある、そのことを失念してはいけない。 そしてもちろん、我々は、日常言語は、先ずもって日常言語の論理をもとに使われているとして理解することから始める。 この「アキレスと亀のパラドックス」の「驚き」の源泉は、その日常言語の論法によるところがきわめて大きい。それが日常言語で、その論理をもって、説明されているからこそ、アキレスと亀は「驚き」のパラドックスなのであったということです。日常言語の論理が現実を写し取れていない、(それはある意味当然ですが、それにしても、)そのことを直接に我々に突きつけてくるからこそ、それは「驚き」なのでした。 ところが、それを別の論理構造を持つ数学に「翻訳」してしまうと、それは比較的容易な証明問題として定式化される。ただし、その定式化は、「驚き」の所在をまさに回避した形でおこなわれてしまっている。 だとすれば、別の理由を持って始められた作業ならそれでもいいが、「驚き」の源泉を探求しようとするのであれば、それは問題を解決したことにはならない。「禁じ手」を「禁じ手」と思わない考え方は、数学とは整合していても、日本語の論理を理解しているとはいえない。であるがゆえに、そうした数学的理解は、「アキレスと亀のパラドックス」をある「解釈」で理解しているとはいえても、「アキレスと亀のパラドックス」の「驚き」を解明したとは到底いえない。 具体的にはどういうことか? それはすなわち、ごく簡単に言うと、ゼノンの議論は、三段論法と似たようなものではありますが、数学上の三段論法そのものではないということなのです。ゼノンは「AならばB」といったのではなく、「AゆえにB」といったのですから。 そうです! ゼノンは「AならばB」ではなく、「AゆえにB」といったのでした!!!! 日常用語としての「ゆえに」には、数学的「ならば」には含まれていない、しかしきわめて重要な、「論証関係」ともいうべき関係性が含意されています。「ならば」と「ゆえに」が(互いに意味の重なりがあるとはいえ、)完全互換可能でないことは、自分の言葉で試してみるだけでも簡単にわかるでしょう。 このため、「Aであって、かつBでない」世界が存在することを証明しただけでは、ゼノンのパラドックスを論駁したことにはならない。論証があり得るとすれば、それは、すくなくとも、「Aであって、かつBでない」世界があることを、「Bでないことと整合的であることが保証される仮定・概念・論理構造を追加していないこと」とともに論証したものでなくてはならないのです。 考えてもみてください、数学が存在することを証明した、「Aであって、かつBでない」世界とはなんでしょうか?それはつまり、「アキレスが亀の元の位置までたどり着いたときには、亀は必ずさらに前に進んでいる」ことと「アキレスが亀に追いつく」こととを同時に成立させる世界です。それはつまり、そう、この我々の世界です!つまりわれわれは、数学に論証してもらうまでもなく、両者が同時に成立する世界があることを了承しています。逆に言えば、数学がしたことは、この現実世界を数学的に記述したにすぎない。 そうした「現実」がここにはある。それはゼノンだって知っています。それをゼノンは、「ゆえに」という論理で、前者と後者を(後者を否定形にして)結びつけてしまった。その論理と現実の矛盾こそがパラドックスなのです。だから、現実を数学的に表現しただけでは証明にならないのは明らかなのです。 数学の言葉に直せば、「Aであって、かつBでない」世界の存在証明は、「AならばB」を否定するための正当な論証ではあっても、「AゆえにB」を否定する論証にはならないということです。 たとえば、「無限」を導入して、「アキレスは亀に本当は追いつくのだ」などといってみても、そこでの「無限」なる概念は、実際にアキレスが亀に追いつく世界像(モデル)と整合的であることがあらかじめ保証されているので、その概念に依拠した「証明」は、壮大なる循環論法、もしくはトートロジーに過ぎない。それは本当の意味での「驚き」の解明では決してないということなのでした。 ちなみに、少し調べていて、私のいいたいことをぴったり言ってくださっていらっしゃる方を見つけました!!もし、上に説明がわかりにくければ、「ゼノンの逆説について質問です。 「足の速いアキレスも、のろい亀には追いつけ...」というnaoe35frontさんの質問に対する、sarurusa2012000さんの回答をみてください。とてもわかりやすく、私のいいたいことを説明してくださっています。 もともとの私の質問(の一部)は、「なぜ、多くの人が、自信を持って、ああそれはね、無限級数で云々と説明し始めることに抵抗を感じないのか、」そこがまったくわかりません。ということでした。そして、そういう質問のしかたをしたにもかかわらず、たくさんの人が、その文章そのままの様子で、ああそれはね、と話をされたということ自体、私にはおどろくべき発見でした。 しかし、その質問にたいする答えもどうやらみえてきたようです。それは、おそらくは、この数学と日常言語の差に対する「感受性の欠如」と、(tmpnameさんのように(それが数学では証明になる)と留保をつけることのできる方はとてもまれで、)数学的に正しければ普遍的に正しいはずという「先入観」がひどく強固なものである、ということなのだとおもいます。 問題は一応解決しました。すごくすっきりしました。 長いことお付き合いくださいまして、ありがとうございました。 みなさま、「アキレスと亀」、本当に不思議ですね! いや、びっくり!!!
補足
ありがとうございます。 頭がおかげでだいぶすっきりしました。 しばらく様子を見てから、お礼に書かせていただきます。(なお、そこでのお礼は、tmpnameさんのみならず、ここで書き込まれた多くの方々に向けて書く面がありますので、一部、tmpnameさんに対するお礼としては必ずしも適切でない表現もあるかもしれませんが、tmpnameさんには素直に感謝しておりますので、その点、誤解なきようお願いします。)