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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:アキレスと亀がなぜ不思議でないのか?)

なぜアキレスと亀は不思議でないのか?

このQ&Aのポイント
  • アキレスと亀のパラドックスについて独自の視点から質問します。
  • 多くの人がアキレスと亀の問題を不思議とは思わず、それを説明するために無限級数を用いることにも抵抗感を持ちません。
  • この問題は数学の問題だけでなく、社会学など他の分野でも考えられる可能性があります。皆さんの意見をお聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • tmpname
  • ベストアンサー率67% (195/287)
回答No.45

まあ我々は普段、日常言語を使って論理を組み立てるのですが、日常言語は曖昧な点が多いのでどうしても混乱が起きる場合が出てくる。 数学はそれを何とかするために一つ一つ約束事を決めて議論を進めていこうとする。この辺は多分数学者の人びとがさんざん苦労したことで、われわれは現状の結果をみているのですが、それでもその約束事がわれわれの通常の感覚からは乖離している、という事が出てくることがあるのは避けられないのだと思います。 まあ一応補足ですが、一般に「AならばB」の否定は「Aであって、かつBでない」です(AならばBでない、ではない)。ゼノンの論理の場合はAの部分が「亀がさっきまでいた地点にアキレスが付いた時には、亀はその先をいっている」という部分で、Bの部分が「アキレスはカメにおいつけない」になる。 ゼノンの主張は「Aが成り立つ、よってBである」という主張でした。これは質問者さんが書いてある通り3段論法と呼ばれるもので、つまり * Aが成り立つ * AならばB * (A、かつ(AならばB))なのでBが成り立つ という論法でした。よってこの論法を否定するには「Aならば B」の部分を否定すればよく、それはつまり「Aであって、かつBでない」世界があることを言えば良い(それが数学では証明になる)、という事です。

kireinahanabi
質問者

お礼

【ありがとうございます。問題が解決しました!!!(みなさんにむけて)】 ありがとうございました。おかげでどこに問題があったのかはっきりしました。 まさにtmpnameさんのおっしゃることが数学では証明になる、しかし日常言語とは乖離している。その差が問題だったのでした!!!! (tmpnameさんは、ときおり(それが数学では証明になる)とカッコ書きを挿入することを忘れませんでした。私がこうしてここに議論を整理できるようになったのも、その数学を客体化した視線からのご指摘をいただいたことによるところも大きいです。改めて、その知的姿勢に敬意を表しつつ、感謝したいと思います) 数学は混乱を避けるためにそういう約束事をした、だからそれはそれとして尊重しよう。しかし、日常言語には曖昧なところもあり混乱もしがちであるが、であるがゆえに、数学より幅広いことを指し示しえる。このため、日常言語の論理はきっちり数学の論理には翻訳されえない、互いの論理が一部乖離しているということが、厳然たる事実としてある、そのことを失念してはいけない。 そしてもちろん、我々は、日常言語は、先ずもって日常言語の論理をもとに使われているとして理解することから始める。 この「アキレスと亀のパラドックス」の「驚き」の源泉は、その日常言語の論法によるところがきわめて大きい。それが日常言語で、その論理をもって、説明されているからこそ、アキレスと亀は「驚き」のパラドックスなのであったということです。日常言語の論理が現実を写し取れていない、(それはある意味当然ですが、それにしても、)そのことを直接に我々に突きつけてくるからこそ、それは「驚き」なのでした。 ところが、それを別の論理構造を持つ数学に「翻訳」してしまうと、それは比較的容易な証明問題として定式化される。ただし、その定式化は、「驚き」の所在をまさに回避した形でおこなわれてしまっている。 だとすれば、別の理由を持って始められた作業ならそれでもいいが、「驚き」の源泉を探求しようとするのであれば、それは問題を解決したことにはならない。「禁じ手」を「禁じ手」と思わない考え方は、数学とは整合していても、日本語の論理を理解しているとはいえない。であるがゆえに、そうした数学的理解は、「アキレスと亀のパラドックス」をある「解釈」で理解しているとはいえても、「アキレスと亀のパラドックス」の「驚き」を解明したとは到底いえない。 具体的にはどういうことか? それはすなわち、ごく簡単に言うと、ゼノンの議論は、三段論法と似たようなものではありますが、数学上の三段論法そのものではないということなのです。ゼノンは「AならばB」といったのではなく、「AゆえにB」といったのですから。 そうです! ゼノンは「AならばB」ではなく、「AゆえにB」といったのでした!!!! 日常用語としての「ゆえに」には、数学的「ならば」には含まれていない、しかしきわめて重要な、「論証関係」ともいうべき関係性が含意されています。「ならば」と「ゆえに」が(互いに意味の重なりがあるとはいえ、)完全互換可能でないことは、自分の言葉で試してみるだけでも簡単にわかるでしょう。 このため、「Aであって、かつBでない」世界が存在することを証明しただけでは、ゼノンのパラドックスを論駁したことにはならない。論証があり得るとすれば、それは、すくなくとも、「Aであって、かつBでない」世界があることを、「Bでないことと整合的であることが保証される仮定・概念・論理構造を追加していないこと」とともに論証したものでなくてはならないのです。 考えてもみてください、数学が存在することを証明した、「Aであって、かつBでない」世界とはなんでしょうか?それはつまり、「アキレスが亀の元の位置までたどり着いたときには、亀は必ずさらに前に進んでいる」ことと「アキレスが亀に追いつく」こととを同時に成立させる世界です。それはつまり、そう、この我々の世界です!つまりわれわれは、数学に論証してもらうまでもなく、両者が同時に成立する世界があることを了承しています。逆に言えば、数学がしたことは、この現実世界を数学的に記述したにすぎない。 そうした「現実」がここにはある。それはゼノンだって知っています。それをゼノンは、「ゆえに」という論理で、前者と後者を(後者を否定形にして)結びつけてしまった。その論理と現実の矛盾こそがパラドックスなのです。だから、現実を数学的に表現しただけでは証明にならないのは明らかなのです。 数学の言葉に直せば、「Aであって、かつBでない」世界の存在証明は、「AならばB」を否定するための正当な論証ではあっても、「AゆえにB」を否定する論証にはならないということです。 たとえば、「無限」を導入して、「アキレスは亀に本当は追いつくのだ」などといってみても、そこでの「無限」なる概念は、実際にアキレスが亀に追いつく世界像(モデル)と整合的であることがあらかじめ保証されているので、その概念に依拠した「証明」は、壮大なる循環論法、もしくはトートロジーに過ぎない。それは本当の意味での「驚き」の解明では決してないということなのでした。 ちなみに、少し調べていて、私のいいたいことをぴったり言ってくださっていらっしゃる方を見つけました!!もし、上に説明がわかりにくければ、「ゼノンの逆説について質問です。 「足の速いアキレスも、のろい亀には追いつけ...」というnaoe35frontさんの質問に対する、sarurusa2012000さんの回答をみてください。とてもわかりやすく、私のいいたいことを説明してくださっています。 もともとの私の質問(の一部)は、「なぜ、多くの人が、自信を持って、ああそれはね、無限級数で云々と説明し始めることに抵抗を感じないのか、」そこがまったくわかりません。ということでした。そして、そういう質問のしかたをしたにもかかわらず、たくさんの人が、その文章そのままの様子で、ああそれはね、と話をされたということ自体、私にはおどろくべき発見でした。 しかし、その質問にたいする答えもどうやらみえてきたようです。それは、おそらくは、この数学と日常言語の差に対する「感受性の欠如」と、(tmpnameさんのように(それが数学では証明になる)と留保をつけることのできる方はとてもまれで、)数学的に正しければ普遍的に正しいはずという「先入観」がひどく強固なものである、ということなのだとおもいます。 問題は一応解決しました。すごくすっきりしました。 長いことお付き合いくださいまして、ありがとうございました。 みなさま、「アキレスと亀」、本当に不思議ですね! いや、びっくり!!!

kireinahanabi
質問者

補足

ありがとうございます。 頭がおかげでだいぶすっきりしました。 しばらく様子を見てから、お礼に書かせていただきます。(なお、そこでのお礼は、tmpnameさんのみならず、ここで書き込まれた多くの方々に向けて書く面がありますので、一部、tmpnameさんに対するお礼としては必ずしも適切でない表現もあるかもしれませんが、tmpnameさんには素直に感謝しておりますので、その点、誤解なきようお願いします。)

その他の回答 (55)

noname#227653
noname#227653
回答No.15

No.7です。お礼をいただいたのでちょっとだけつけたします。 まず、あなたの質問の趣旨は「なぜ多くの人はゼノンのパラドックスを不思議だと思わないのか」ということでしたので、その趣旨に従って私もお答えした次第です。 ただ、その趣旨を超えた回答を寄せている方も多く(難しくて私にはほとんどわかりませんでしたが)、またあなた自身も「これは完璧なパラドックスなのに、矛盾なく説明できるという考えに納得がいかない」というようなことを補足やお礼でお書きになっているので今度はそれに対する反論が来る、というちょっとややこしい事態になっているようですね。 ここでひとつだけ私の考えを書かせていただくと、このゼノンのパラドックスというのは「錯覚」「勘違い」のようなものだと思います。 例えば10分でアキレスが亀に追いつくとして、それを5分後、7.5分後、8.75分後、と刻んでいけば(つまり残り時間の半分を加えていくという作業を繰り返していけば)当たり前ですがこれはいくらやっても10分にはなりません。加えれば10になる数の半分しか加えないのですから当然ですね。もしあなたがこの計算を「10秒になるまで続けよう」と決意して1秒に1回ずつやったとしても永遠に終わりませんよね。 つまり、終わらないのは亀とアキレスの追いかけっこではなく計算の作業の方なのです。 けれどもこの計算をしている間ずっと(つまり永遠に)あなたの頭の中には亀を追いかけて走っているアキレスが浮かんでいるわけです。つまり、この計算をすると「アキレスが走っている姿を永遠に思い浮かべ続けなくてはならない」のですが、それが「アキレスが永遠に走っていなければならない」と勘違いされてしまうのだ、というのが私の考えです。 というわけで「永遠に続くのは計算の作業の方でしょ。追いつく前のことしか考えてないんだから、頭の中では追いつく場面が出てこないのは当たり前だよね」というのが私の結論です。 あまりお役に立てる投稿ではなさそうですね。長文失礼致しました。

kireinahanabi
質問者

補足

ありがとうございます。 でもおかげで、いろいろな回答を伺って、私が何を不思議と思ってるのかがちょっとはっきりしてきた気がします。 こんな感じです。 ゼノンは、「亀のところまでアキレスがいく。それには必ず時間がかかる。時間がかかれば、亀は必ず当初の時点よりも前に進んでいる。」という三段論法しか使っていない。 そして、その話を繰り返しても、それはアキレスが亀に限りなく近づくところまでしか話ができない。 で、問題は、アキレスが亀を追い越す段階なんですが、アキレスが亀を追い越す、そのことを言葉のロジックで説明するためには、ゼノンが使った三段論法以外の論理、あるいは言葉を導入しなければどうしたって説明できない。そのように私には思える。だけど、ゼノンはそれ以外の言葉を導入することを認めていない。 だから私は、どうやってゼノンの理屈を乗り越えて、アキレスが亀を追い越すことが説明できるのか、その理由がわからない。ということのようです。私にはその一歩を踏み出す言葉がないんです。 おかげで少しだけ頭がすっきりしました。 ありがとうございます。

  • Water_5
  • ベストアンサー率17% (56/314)
回答No.14

ゼノンの逆説を習い始めの頃、スレ主同様 アキレスは亀を追い抜けないと思い、試験にでも出たら どうしようと困った思いをした経緯があります。 無限について知識がなかったその当時、これだけの 論説を張ったゼノンはたいした学者だと言えます。 とこれだけスレ主へゴマすっておけば、ベストアンサー 間違いナシだな。ほほほ。

kireinahanabi
質問者

お礼

ベストアンサー!! でいいですか?

noname#212313
noname#212313
回答No.13

 #9です。 >これを純粋に数学の問題と考えていらっしゃる時点で、なかなか意思疎通は難しいと思いますが、でもせっかく丁寧にお答えいただいたので、私なりにもう少しだけ補足します。  数学部分だ、と断ってありますよね。最初の回答では、別に評価できる面もあるともお答えしています。しかしながら、数学カテで数学でないことを訊くなら、意思疎通以前の問題でしょうね。 >そもそも、ゼノンが使った議論は、亀のところまでアキレスがいく。それには必ず時間がかかる。時間がかかれば、亀は必ず当初の時点よりも前に進んでいる。  その通りですよ。 >これだけです。ほとんど三段論法です。その繰り返しだけで、現実と矛盾してしまうから、パラドックスなんです。  ゼノン当時では「するかどうか分からない」だったわけです。もうとうに現実と矛盾しない数学解があることは回答したと思いますが? >亀をアキレスが追い抜くなんて誰だって知っています。そこを起点にしての議論なんです。  ゼノン在世当時から、その通りです。 >だから、亀をアキレスが追い抜くことを数学的に証明したって、まさに追い抜くというごくあたりまえのことは証明できるかもしれないけれど、パラドックスがパラドックスでないことを証明したことなんかにはならないでしょ?  証明になってますよ。ゼノンが生きて述べていた頃には、ゼノンの論法通りでいいのかどうかすら不明だったわけですが、ゼノンの論法通りでよい、しかも常識的な解法による答とも一致する。  数学部分については、もうそこまで示されているわけです。ゼノンのパラドクスはパラドクスでも何でもない、数ある解法の一つであり、正しく解くことができる。そこまで示されているわけです。 >ゼノンの論法には、上述の三段論法の繰り返ししかでてこないんです。  その通りです。無限回だったから、古代の数学では解けなかっただけです。 >証明すべきは、アキレスが亀に追いつくことではなく、ゼノンのパラドックスがパラドックでないことです。そしてそれは純粋な数学の問題ではないと私は思います。  ゼノンが出した問題は直接的には数学です。そして少なくとも今の数学では解けています。ゼノンに他の意図もあったかもしれませんが、特にそのこといついて歴史的資料はありません。 >まあ、そもそも、私がした質問自体が、意味が全然違うんですが。  先ほど申し上げたことは質問者様にはできない、ということですね? きちんと問題化し、定式化するということです(二度目)。それができたら、適切なカテを選んで質問されるといいでしょう。  曖昧な「感じ」「気がする」に、たいていは答はないものです。もしかすると、問題を作ること自体をご希望なのでしょうか? それは遠慮しておきます。

kireinahanabi
質問者

お礼

さらにもう少し頭が整理できました!!2回補足にかけないので、ここに書かせてください。 このパラドックスの根幹は、要するにこういうことと理解すべきとわたしは考えているのだと思います。 我々は我々の用いる(日常)言語の論理を信頼している。きちんと筋道たてて、論理をたてていけば、前提や仮説を受け入れる限り、正しい議論をすることができると思っている。しかしほんとうにそうなのか?たとえば、我々の言語は、「無限」の問題を、無矛盾にきちんと記述することができるのか? ということです。だからつめていえば、ここでの問題の核心は、我々の(日常)言語という論理空間において、無限の問題を無矛盾に記述できるのか、ということです。(なおここでの無矛盾というのは、ゲーデルの場合のような、その論理空間の中での論理的無矛盾性ということではなく、現実との間の無矛盾性ということです。) だから、その我々の(日常)言語(論理)というものを、数学という、無限を(昔は扱い得なかったが今は)扱いうる言語に無批判に翻訳してしまった時点で、既に論点先取であり、問題の核心を見落としている、そういわざるをえないと思います。我々の言語は無限を扱えるの?って聞かれてるのに、我々の言語が無限を扱える数学に翻訳できるとみなせると信じちゃえば、無限を扱えるよ!というのでは答えではないです。 もっといえば、ゲーデルが数学でやったようなところまで一般化する必要はないにせよ、やらなくてはいけないのは、我々の(日常)言語をその論理性において、一定の論理空間として定式化し、なおかつ、われわれの現実認識をその論理空間との対応関係において見定め、その上で、その中に「無限」という論理要素がどう位置づけられるのかを確認して、その「無限」を記述できる範囲と限界を明確化する、そうして初めて、この問題を解いたことになるのだと思います。ゼノンの三段論法(という日常言語)をその論理にそいつつ、なお乗り越えるとはそういうことです。 いかがでしょうか?やっぱりだめですかね。

kireinahanabi
質問者

補足

そもそも、質問自体はきちんと明確に問題化していますが、それはいまはおいておきます。 ところでほかの方々の回答を読んで、少し何を私が問題にしているかわかってきた気がします。私のこのパラドックスに対する疑問、というか、どこを不思議と思っているかというのは、以下のような点にある気がしてきました。 先ほど、ゼノンは三段論法しか使っていないと指摘しました。ここまではいいですよね。 そして、その話を繰り返しても、それはアキレスが亀に限りなく近づくところまでしか話ができない。それもいいですね。 で、問題は、アキレスが亀を追い越す段階なんですが、アキレスが亀を追い越す、そのことを言葉のロジックで説明するためには、(そうです数学ではなくて言葉のロジックです。まあ、論理学といってもいいのでその意味では数学ですが。)ゼノンが使った三段論法以外の論理、あるいは言葉を導入しなければどうしたって説明できない。そのように私には思える。だけど、ゼノンはそれ以外の言葉を導入することを認めていない。 だから私は、どうやってゼノンの理屈を乗り越えて、アキレスが亀を追い越すことが説明できるのか、その理由がわからない。(で、本当の質問というのは、その理由がわからないという気持ちを共有する人が、ほとんどいないのはなぜなのか、ということでした。でも今はそれはいいです) こんな感じです。私はおかげでだいぶ自分の疑問がはっきりしてきたきがします。 これでもまだ意思疎通は難しいですかね。

  • stomachman
  • ベストアンサー率57% (1014/1775)
回答No.12

  0: アキレスよりも前方に亀がいて、アキレスから離れる方へ進んでゆく。   P: そこで改めて、アキレスが亀を追いかけ始める。追いかけ始めた時点で亀が    居た地点にアキレスが到達したとき、亀はそれよりもさらに進んでいる。 このあとに、   A: だから、Pというプロセスを何度繰り返しても、アキレスが亀に追いついた    瞬間以降には至らない。 と続くのならおかしくない。また、   B: だから、「P」という説明を繰り返し語っても、いつまで経ってもアキレスが    亀に追いつく瞬間以降の話は始められない。 と続くのでもおかしくない。しかし、   X: だから、Pというプロセスを何度繰り返しても、いつまで経ってもアキレスは    亀に追いつかない。 となるとおかしい。Aに比べてXは「プロセスを行う回数のことを、追いかけるのに掛かる時間のことにすり替えた」のであり、Bに比べてXは「語るのに掛かる時間のことを、追いかけるのに掛かる時間のことにすり替えた」。  ところで、コンピュータ・プログラムの「正当性の理論」においては、繰り返し計算(loop)の「意味」を論理式で表す必要がある。その際に、 (1)「loopの中で常に成立っている命題(inductive assertion)」を見つける (2) 「loopがいつか必ず終わる」という事を証明する ということが必須です。これをPのループに当てはめてみると、(1)は「亀はアキレスより前方にいる」という命題です。で、(2)については、このループは終わらない。それがAの話です。  さて、0, P, A, B, Xでは、アキレスと亀の速さについての知識は何も使っていない。なので、全く同じ事が、   0' : 亀よりも前方にアキレスがいて、亀から離れる方へ進んでゆく。   P' : そこで改めて、亀がアキレスを追いかけ始める。追いかけ始めた時点で    アキレスが居た地点に亀が到達したとき、アキレスはそれよりもさらに進    んでいる。   X' : だから、P'というプロセスを何度繰り返しても、いつまで経っても亀は    アキレスに追いつかない。 というのであっても言える。X' も(「追いつかない」という結論はたまたま正しいけれども、そんな事はどうでもよくて)「だから、P'というプロセスを何度繰り返しても」ってところがおかしいわけです。  ですから、いきなり「無限級数が…」と始まる説明は、ポイントを外していると言わざるを得ない。  で、ご質問への回答ですけど: Xのような結論を出して、それで正しいと思ってしまうチョンボは、ことに現実の問題をなんとか数学でねじ伏せようと苦労しているときにやらかす。経験は多々あります。旨いやり方を手探りしている段階では、直感に導かれて進むからです。で、「出来たぞ!」と思ってしまう。「出来たぞ!」と言いながら、「なんかもうひとつしっくり来ない」「トリッキー過ぎる」という感じが残っているのだけれど、でも検算してみると合ってる。出来てるじゃん。だったらオッケーじゃん。  ですが、そのアイデアをきちんと形式的に書き出してみる。さらに証明を試みる。あるいは、ひとつの例にアイデアを適用して分析や計算をやってみる。時には数値計算すら実行してみる。するとスカタンであることが明らかになる。  スカタンだと分かったら、どこがどうスカタンだったのか、なんて検討をのんびりやってられない場合が多いんですけれども、たまには「ぜったいぜったい計算間違いはしてません。正しいはずのに、なんか変なんですう~」と相談されたり、「うん、これで正しいんだから、さっそく製品にするぞー!」なんてことになったりしたときには、どうスカタンなのかを検討して説得しなくちゃいけません。するとしばしば(まさにアキレスと亀のような)無限分割の議論が入っていたり、空間を歪める変数変換が使われていたり、また、極限に関する誤り(酷いのだと、「0÷0は1だから…」とやらかしていた、なんての)もあるな。  だから、ヤラカスことはしばしばある。そして、落ち着いてキチンと扱ってみると大概間違いが明らかになる。ですが、ご質問の仰る通り、非常に難しい分野になると、ヤラカシっぱなしになる恐れがあります。だからこそ、無限に関する議論は怖いんだということは身に染みている。なので、一分の隙もない証明を構成するために、ユークリッドの公理主義・ヒルベルトの形式主義が考案されて現代の数学が出来たんです。その厳密なやり方を使っても、なお、さまざまなパラドックス(明らかに直感に反する結論)が現れて来る。たとえばバナッハ・タルスキーの定理ですとか、非可測集合に関する多くの定理とか。その手のものは直感をあてにしていたのでは全くお手上げで、「病的」なんて呼ばれたりしますが、しかし、正しい証明が付いているのだから、数学的に言って正しい。そんな馬鹿なと徹底的に検討されているんだから、これほど正しいものはない、というぐらいに正しい。となると、「アキレスが亀を追い越すのは当たり前じゃんか」というところから出発する議論は(物理学ならともかく、数学的には)真っ当とは言えない。  それはさておき、ゼノンのパラドックスは、身近な至る所に「無限」というアヤシイものが潜んでいる、ということを指摘した素晴らしい考察だと思う。 理論物理学では、時間や空間が無限に分割できるのかどうか、今も議論されていますしね。 http://okwave.jp/qa/q7421448.html はゼノンのパラドックスの確率バージョンです。

kireinahanabi
質問者

お礼

丁寧なご回答ありがとうございました。 じっくり読ませていただきました。(ほんとうに)とても勉強になりました。なにより、まじめに、ちゃんと私の問題に向き合おうとしてくださったことが、ほんとうにうれしかったです。 とても得心がいきました。 おかげで、私なりに私がなぜこの問題を本当に不思議と思っていたのか、ちょっとはっきりできたように思うので、ほかの方への補足にそれを説明させていただきました。できましたら、#15の方への回答をご覧いただければ幸いです。 どうもありがとうございました。

  • Water_5
  • ベストアンサー率17% (56/314)
回答No.11

>これからも幸せな人生を送ってください。 幸せな人生を送るためには50年をまず生きねばならない。 50年生きるためには25年間生きねばならない。 25年間生きるためには10年間生きねばならない。 10年間生きるには5年間・・・・・。 ゼノンの論法はこれをツズケル。 つまり1分も生きられない事になる。 ゼノンの論法を論破しない限り貴方は不幸な人生で終わりを告げる。幸せな人生は送れないことになる。 それでよいのか。 (ゼノンの論法は美しく完成した論法だとほめてる場合では おまへんで。)

kireinahanabi
質問者

お礼

一生懸命ご説明いただき、ありがとうございました。

  • Water_5
  • ベストアンサー率17% (56/314)
回答No.10

>この、ゼノンの論法はどうしてもそんなにいい加減な >論法には聞こえません。 そうかな。私にはいい加減な論法に聞こえるけどね。 例えば 東京から大阪まで新幹線で4時間ほどかかる。 しかし、ゼノンの論法によると、 大阪に到着するには名古屋に到着しなければならない。」 と言い出す。 次には、 その名古屋に到着するには浜松に到着しなければならない。 以下、浜松に到着するには横浜に・・・・・。とやりだす。 そして、ついには、新幹線は東京駅を一歩も進む事が出来なくなる。 新幹線は大阪に到着できない事になるのだ。 こんなデタラメなゼノンの論法を美しく完成した論法と 受け止めている貴方は立派です。これからも幸せな人生を送ってください。では、これにて失礼します。

kireinahanabi
質問者

補足

新幹線ですか。 新幹線は大阪に到着できないんですね!勉強になりました。

noname#212313
noname#212313
回答No.9

 #8です。  まだよくお分かりでないようですね。初等的な手品みたいなものでもご覧いただきましょうか。無限大を無限大でなくしてしまう方法です。  1/xを考えます。これでx→+∞の極限を考えると、極限値は0です。しかし、どんなxの値を入れても0は出ません(※∞は数ではないので代入できない)。  そこで、x=1/yなる変数変換を行います。x→+∞にはy→+0が対応します。  1/x=1/(1/y)=y  y→+0のとき0なのは分かります。もし1/(1/y)が式変形の途上の仮のものであり、ダイレクトに1/x=yとしてよいとできる場合には(もちろん、充分に注意しなければならない)、yに0を代入して0になるとしてよいのです。  分かりやすい例にしましたが(そのため、ゼノンのパラドクスに直接使えるものではない)、こうしたこと、これに類することは当たり前にやります。大学数学1~2年度相当、理系で非数学科辺りでしょうか。  だからゼノンに出てくる程度の無限大など、「無限大ねぇ、だから何?」みたいな反応がよく返って来るのです。とはいえ、軽視したり、侮ったりはしませんが。何かおかしいとき、無限大や0が絡んでいることがよくあることも経験しますしね。

kireinahanabi
質問者

補足

まだご回答いただけるんですね。ありがとうございます。 これを純粋に数学の問題と考えていらっしゃる時点で、なかなか意思疎通は難しいと思いますが、でもせっかく丁寧にお答えいただいたので、私なりにもう少しだけ補足します。 そもそも、ゼノンが使った議論は、 亀のところまでアキレスがいく。それには必ず時間がかかる。時間がかかれば、亀は必ず当初の時点よりも前に進んでいる。 これだけです。ほとんど三段論法です。その繰り返しだけで、現実と矛盾してしまうから、パラドックスなんです。 亀をアキレスが追い抜くなんて誰だって知っています。そこを起点にしての議論なんです。だから、亀をアキレスが追い抜くことを数学的に証明したって、まさに追い抜くというごくあたりまえのことは証明できるかもしれないけれど、パラドックスがパラドックスでないことを証明したことなんかにはならないでしょ? ゼノンの論法には、上述の三段論法の繰り返ししかでてこないんです。 証明すべきは、アキレスが亀に追いつくことではなく、ゼノンのパラドックスがパラドックでないことです。そしてそれは純粋な数学の問題ではないと私は思います。 まあ、そもそも、私がした質問自体が、意味が全然違うんですが。

noname#212313
noname#212313
回答No.8

 #4です。 >数学にとても愛着がおありのようですね。  嫌いですよ、面倒臭いし。必要があれば使いもするし、敬意を持っていますが。 >しかし私には、これは半分数学、半分哲学の問題のような印象です。  数学部分だけ回答しています。哲学部分があるなら、カテ選択を含め、適切に質問するといいでしょうね。 >だって、アキレスが追いつくことぐらい誰だって知っていて、そんなの証明するまでも本当はないことですからね。  数学、及び数学を使う理学では証明しますね、一応。それしき証明できないような学問は不要ですから。 >ほとんど公理の世界ですね。  定理です。公理は証明抜きに受け入れるものを言います。理学では原理と称することが多いです。 >だからこそ、この問題では、ゼノンに議論に忠実に乗っ取って、その議論のおかしさを指摘することが求められていて、純粋に追いつけること自体を、無限論を用いて数学的に厳格に証明しようとするのは、ちょっと違うんじゃないの、っていう印象を持ってしまいます。(すみませんが数学を馬鹿にするつもりは全然ありません)  知ってますよ。この手の話をする人は同じようなことを言います。ゼノンの時代には数学が未発達で、数学部分だけ取り上げても解決不能だったが、今なら何でもないこと。そう説明すると、不満そうにする人は少なくありません。反論はないようですけどね。 >下の方の回答にも書かせていただきましたが、ゼノンは非常にシンプルな論理学を用いているような印象があります。  繰り返しますが、当時の数学では未知だったものを使っただけです。印象で語られてしまっては、ゼノンもあの世で苦笑しているかもしれませんね。当時の最高の知恵者集団に対して、昂然と(当時では)解けない問題を叩きつけたわけですから。 >それに元々私が質問させていただいたことからの延長で考えれば、(私も一応勉強しましたが)δ-ε論法なんて知らない大多数の人たちも、そんなの詭弁だ、追いつくに決まってるじゃん、とこのパラドックスを何らパラドックスとして受け取ることがないという事実は、やはりそこに、何か別の問題が隠れている気がしています。  数学的には何ら問題は隠れていません。知りたければ勉強すれば分かります、とだけ申し上げておきます。ゼノンパラドクスの数学部分ごときで、そこまで手間をかけるかどうかは質問者様次第。  なお、「気がする」のは質問者様の曖昧模糊とした何かであって、きちんと問題化、定式化しない限り、当たり前ですが、誰にも何ともして差し上げることはできません。

kireinahanabi
質問者

お礼

そうですか。勉強になります。ありがとうございました。

noname#227653
noname#227653
回答No.7

まず、ごく一般的な人にこのパラドックスを話したら「ああそれはね、無限級数で」云々、などとは説明しないでしょう。「多くの人」は無限級数なんて知りません。 「多くの人」はまず「でも当然人間は亀に追いつくよね」と思うでしょう。そしてその中の何割かは「だからそんなゼノンのなんとかなんてたわごとだしわけわかんないし考えたくもない」と思うでしょう。 他の何割かは「う~ん、そう言われてみれば確かに不思議だ。どうなってるだろう」とちょっと考え、「よくわかんないや。自分には関係ないし」で終わるでしょう。 それ以外の人のうち何割かは、本で読んだり人から聞いたりした説明を、自分ではあまり実感として捉えられないまま持ち出してくるでしょう。こういう人たちは「わかったような顔をしたい」んですね。 自分なりに納得した説明をしてくれる人も中にはいるでしょう。 また自分の納得いく答えを求めて考え続ける人もいるでしょう。 このような人たちはかなり少ないだろうと思います。 つまり大抵の人はめんどくさいことを考えるのが嫌いなんです。そしてその中で「そんなのわからない」「考えたくもない」と素直に言える人はそういうでしょうし、考えたくはないけれどわかったような顔をしたい人はどこかで読んだり聞いたりしたことを得々として話す、ということになるだと思います。それはゼノンのパラドックスに限ったことではありません。そういう理屈をあれこれ考えて楽しめる人は少数だという、ただそれだけのことだと思いますよ。 因みに、私は以前はこの話が不思議でしたが今は不思議ではありません。このパラドックスはアキレスが亀に追いつく時にわざとたどり着かないようにしているだけだと思っていますから。アキレスが午前10時にスタートして10時10分に追いつく場合、この考えではわざと10時10分にたどり着かないように時間を区切っているわけですよね。だとしたら追いつかないのは当然です。もしかしてこれが無限級数ってことですか。私も「多くの人」の一人なので無限級数なんて知らないんですよ。違っていたらごめんなさいね。

kireinahanabi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。私の質問に一番近いところでお答えいただいた気がしています。私もそれに近い印象を持っていなかった訳ではありません。でも、なんか単純に、みんな関心がないから、だけで片付けちゃうのはちょっと残念だったので質問してみました。 数学の得意な方には理解できないようですが、なにせ何千年もパラドックスとして生き残ってきたんですよ、それを日本人はみんなほとんど、矛盾なんてない、アホか、で片付けちゃうって、なんか違うんじゃないのか、って思わないでいられないです。

  • Water_5
  • ベストアンサー率17% (56/314)
回答No.6

貴方は ゼノンのパラドックスの矛盾をまだ理解していないと思う。 そのものズバリの質問ではなくて、当回しの質問なのは 直接の質問をする事が恥ずかしかったのだろうか?

kireinahanabi
質問者

お礼

興味深いご指摘ですね。 ありがとうございました。

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