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色即是空空即是色、この世の全ては無であり空である
このように申したところ、この世は空であるが無ではないという者が現れました。 では訊ねたい。 無と空の違いが何か説明できる人がいましたら分かるように説明して頂きたい。
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3、4世紀頃、くらまじゅう(漢字が出ない?)が 諸行無常(すべては、変化してゆく過程のとして、今、という単位がある、今、は常に、在った、に替わり続ける)と 一切行苦、(人間の一切は、苦、である、と知恵によりて観る者、は自らの無苦悩を癒す) を一緒にしたかたちで、仏教の本質として。 すべては移ろい、変わりむゆく、はかなく、空しいものである。と言うような意味あいで・ 色即是空、と漢訳したのが。始まりのようで、日本人の無常観、や仏教観もそうだったようです。 平家物語の冒頭句 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者無必衰の理を現す、奢れる者も久しからずただ春の夜の夢のごとし、、、 この解釈は間違っているとも言えます。 仏教、ブッダの教えなら。祇園精舎の鐘の声、一切行苦、の響きあり、沙羅双樹の花の色、修行無常の理を あらわす。となるのでは? さて、ご質問の、色即是空 空即是色、は7世紀に、孫悟空、でおなじみの(いや、夏目雅子でおなじみの、かな?)玄奘三蔵が、苦難の旅を重ね、インドから漢訳し持ち帰ったとされる。般若心経の、色即是空ですよね。7世紀というと、インドで、仏教が滅亡した後です。昔、中学校の後ろの壁に張ってむあった、年表に、 5??年、ヒンズ-教の成立=仏教の滅亡、というのがありました。つまり、玄奘が持ち帰ったのは、ビンズ-経典か、ヒンズ-教の中の、ブッダの思想か、になります。 般若心経は、大般若経という、大乗経典の中から、抜粋して、漢訳で276文字に表した。内容は、考え方の違う人物の文章などが、繋ぎあわされたものですが、途中。色即是空の部分だけは、当て字もすくなく、理になっている。あとは、原典訳では、知恵の完成の章、と題しながら、自画自賛、我田引水的な、コマ-シャル文章、もしくは、密経的内容であり。最後はすべて当て字、で、世界で最も知恵のある、ではなかった。もっとも美しい旋律の詩、と言われるそうです。 ガテ-・ガテ-・ハ-ラ・ガテ-・ハ-ラ・バン・ガ-テ・ボ-デイン・ス・ハ-ハ 空とは、インドの思想である以上、多分に、零、ゼロ、意味なのです。原典訳には、空と無の併記はなかった。しかし玄奘訳の経典には、是諸法空相、無色無受相行識 無眼臭鼻舌身意、無・・無・・無・・ と空とは別の意味の如く、無、がつかわれている。仏教ニヒリズム、と言われる部分でもあろう。私が思った 、気づいた事は、玄奘は、老子を知っていた。仏教の基本的考え方は、老子の考え方と同じである、と気づいた。色即是空を 色=空 色×空=諸相=一定と置けば 有=無 有×無=1(いつ) 無を天地の父に名付け、有を大地の母に名付く。 もって無はその檄を現らわさんと欲し、無はその嬌を示めさんとす。 檄(げき)とは、実体としては存在しない、能力、方向性、であり、嬌(きょう)とは、色形、あるもの、 実体として現れルもの、となる。 玄奘は、仏教の空と老子の無が全く同じものである事を示すために、無、という言葉をあえて使った。 仏教と道教を結びつけようとした。 かって、日本人は道教民族であると言われていたが。その道教思想を伝えたのは、神のいない宗教としての、仏教、禅宗、であった。もちろんそれだけではないが、盆我1(いつ)如とか1(いつ)の悟り、 丸の悟り、など、禅宗の悟りは、みな老子の思想なのです。 色即是空 空即是色 とは、簡単には形有る、肉体、と実体としては存在しない、精神、は一体であり、分離は出来ないし、肉体+精神=人間ではなく 肉体×精神=人間として、両者が分離される事はない。 肉体+精神=生命と考えるから。肉体のない精神、として神や霊魂が存在するのではないか、と考えるのでは
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- kurinal
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>「たぶん分からん奴が無理して答えようとするから、ますます分からんことになるってゆう。 全くもって想定内の答えが返ってきたってゆう。」 信教の自由、だからね。
お礼
分からんことを分かったふりして答えるのも信教の自由なのかい。 そんなもん自由じゃねーよ。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
こんばんは。 色なんて、空だ。 無は、無だ(おそらく、「色」より最も遠い存在だろう) 無は、無だ。空は、空だ。 では、色と無の関係は?「空」が必要ですか。
お礼
>では、色と無の関係は?「空」が必要ですか。 それって回答してくれてるの、それとも質問者に質問してるの? どっちじゃ。 たぶん分からん奴が無理して答えようとするから、ますます分からんことになるってゆう。 全くもって想定内の答えが返ってきたってゆう。
- 2014japan
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私は空という理論が間違っていると思います。 無とは完全な無です、時間も空間も何もないことを私たちは無と定義しています。 ですが、空と言ったのは、釈迦ではなく、仏典から想像した、化石時代のお坊さんでしょう。 現実の時間宇宙のことを空と言っています、これは現実に物質があることを無と取り違えしているだけです。 宇宙空間は現実に存在しているのですから、完全な無ではありません。 科学的に無とは空間も時間も電子もエネルギーもないことを無と私は理解しています。 例えば宇宙空間は拡張しているという説があります、その宇宙空間の外のことは完全な無だと思います、そこには何もありません。 ですから、無と空は全く違うものです。
お礼
>現実の時間宇宙のことを空と言っています、これは現実に物質があることを無と取り違えしているだけです。 つまり仏教においては最初は無で始まったが、後から空が作られた訳です。 では何故、無では都合が悪かったのか、空を作る必要は何だったのでしょうか。
- DESTROY11
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「無」は何もなし。空っぽ。空虚 「空」はエネルギーに満ちている。
お礼
「色即是空空即是色、この世の全ては物質でありエネルギーである」って解釈なのですね。 ところで仏教がそんな当たり前のこと説いたとして何が楽しいんだろうね。
- バグース(@bagus3)
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私の解釈では、すべては幻想だということです。 空に虹がでていれば、人間にも犬にも確かに見えます。 でも、そこに飛行機を飛ばして行っても何もありません。 虹は幻として存在しています。 説明はしませんが、虹だけでなく机も山も同じです。 何もないのが無、幻として存在する(実在しない)のが空。 色即是空 すべては幻だが 空即是色 その幻こそ尊い
お礼
>虹だけでなく机も山も同じです。 虹の橋は幻であり実在ではないので渡ることは出来ないが、机は実在するから使うことが出来るのである。 なぜ虹と机が等しく幻になるのか。 我々自身も幻なのか? 我々は腹が減れば飯を食うが、すると幻が幻を食ってるってことになるのか? そんなことを考えて一体何の意味があるのかな。
- DESTROY11
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この場合の「空」は目には見えず触ることも出来ないが、確かにそこにあるもの。 風、音、光、熱などですね。エネルギーと言えば、分かりやすいでしょうか。 色とはそこにあり、目に見えて触ることも出来るもの。物質ですね。 色即是空 物質はエネルギーであり 空即是色 エネルギーは物質である。 エネルギーと物質は等価であるという意味と、ワタシは捕らえています。 特殊相対性理論での「E = mc2」をはるか昔に看破していたんですな。
お礼
色即是空空即是色=特殊相対性理論(E = mc2)ってことですか。 ところで質問内容である、無と空の違いはわかったのですか?
お礼
私はもとより無と空は同じものであると確信していました。 しかし多方の人は無と空は全くの別物であると主張します。 ところが、では無と空は何がどう違うのかと訊いても答えられる者は殆どいないのであった。 実のところ無と空の違いが何かも分からず、ただ無と空は別物であると信じていた訳です。 私は無と空は結局のところ同じものであると考えたので、色即是空空即是色について、この世の全ては無であり空であるとする以外に解釈の方法が無かった訳です。 >玄奘は、仏教の空と老子の無が全く同じものである事を示すために、無、という言葉をあえて使った。 仏教と道教を結びつけようとした。 仏教 → 空、道教 → 無。 結局、無と空は同じものであった訳です。 やはり「色即是空空即是色、この世の全ては無であり空である」、これで正しかったってことで安心しております。 ありがとうございます。