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あの世 = この世 ー 自分
素朴集合論による関係式で表現するとこーなるとゆー。 ここで人は死ねば無になるので、自分 → Φ となる。 これを上の関係式に代入すると、 あの世 = この世 ー Φ = この世 が成り立つ。 つまり、いずれ人は死ぬのであるから、 あの世 = この世 と考えて間違いないのではないか。
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質問者が選んだベストアンサー
死ぬ前と死んだ後を一緒くたにしてはアカンだろ。 生きておるうちから、自分の価値 → Φ と評価されて居るなら、公式上では成立するがの。 哲学っちゅうのは数学と違って、価値判断が重要な役目を果たすと思うぞ。
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- 雪中庵(@psytex)
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回答No.6
無(量子的な不確定性無限)-自我仮説(時間の流れ=時間軸)=空間仮説(空間の広がり=空間軸) 無=空間仮説+自我仮説 ・・・(無からの相補分化)
noname#233330
回答No.4
考え過ぎです。 あの世、この世というワード自体に定義がありませんから。 後は水掛け論です。
- stmim
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回答No.3
あの世が存在すると信じている人は、人が死ぬと無になるということを否定するでしょう。 死んだら魂になってあの世へ行くという話なのですから。 ですから、まず人が死ぬと無になるということを確実に示さないといけないと思います。
- hk8854
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回答No.2
あの世も地獄 この世も地獄 起承転結なご質問 正直何からどう話せば良いか迷います つまりは 簡単に言うと 人間生まれて来る時は無 又死ぬ時も無 諸行無常です
noname#211084
回答No.1
人は死ねば無になるので」←誰もが本当の事を知らないのだから そうなると割り切る事は出来ない・・ そして それが解からない(死後)という事は 「死んでからで良い」という事・・ なので 生きてる人に「人の道」を伝える方が良いのでは? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「人の道」と名乗ってる訳だし あなたの考えでは「死=無」なら死後なんて不要なだけだし・・
お礼
わしはもともとは、あの世だとか、成仏するとかしないだとか、戒名が何だとか、そのよーなものはあってはならない、またそのよーなものに拘る必要はない、そのよーなものはどーでもいいって思っておるんです。 巷を歩く普通の人間とて本来は同じ思いに違いないとも思うております。 ところが世に坊主が出てきて、あの世がどうだの、成仏するとかしないとか、戒名がどうだのこうだのと持ち出してきて以来、人の心が荒れ始めたのである。 それ以前は人の心は皆平穏だったのである。 今に至るまで全て坊主のせいで人心は荒れ果ててしまったのである。 坊主があの世やら、成仏やら、戒名やらを持ちだしてきたおかげで人間は不幸になった。 世の諸悪は全て坊主のせいだと思うております。