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来る者拒まず、去る者追わず
「来る者拒まず、去る者追わず」の処世を実践されている方がいて、飄々とした人格者で非常にカッコいいというか、憧れてしまうのですが、外人にとっては、こういうのは何の価値もないようですね。 一生懸命説明して、何とかこの処世術のかっこよさを分かってもらおうと努力したのですが、最後まで、キョトンとした状態でした。日本人しかこれをカッコいいと感じないのでしょうか? 英語にすると何の味もない文章になってしまいますね。 They are free to come and go. 貴方の知り合いの外人は、どう反応するでしょうか?
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こんにちは。 丁寧なお返事ありがとうございました。(少し返事をつけるのに遅くなりました) >ご存知のように、仏教書というのは日本語で読むと難解なものが多いです。英語だともっと分からないだろうと思ったのですが、逆にストン、ストンと頭に入って来て驚きました。 その言葉は、宗教人のお言葉ですね。私は、高校生の頃から憧れていた有名な禅の先生に、数十年後についたこともあるのですが、よく分からなかったのです。まあ、私は、英語を勉強しようとしたきっかけ自体が、仏教学者の本からです。 私が一番分かりやすかった禅書は、原田雪渓さんという本で、海外で教えている人なのです。 しかし、私の教わった禅の先生のご友人とも言える、キリスト教学者のほうがもっと禅がわかりやすかったです。 ところで、日本の禅僧と、海外で活動している禅僧を比較して、気がつくのは、日本は、あまり細かいこと言い過ぎる傾向が強いです。形にこだわるとか、日々の生活について気にするというか、それから、日本の特に禅僧は、お金儲けに忙しいようです。日蓮さんや一休さんが、禅僧にこっぴどく批判したのですが、これは昔からのようです。 >英語に訳したものは結局浅い仏教書になってしまっているのではないのか、と思うようになりました。 私の知っている範囲では、そんなことはないように思うのですが、入門書と専門書では大幅に違います。何を基準にするのか、ということだと思います。若い外国人で、日本で「唯識」を勉強されている方もいるようですが、私などは到底手が出ません。素人が手を出すべきものでもないといいます。 >英語に訳す時に簡単な概念の言葉に置き換えているのではないか、だから理解しやすくなっているのではないか、 鈴木大拙さんの"The Introduction to Zen Buddhism" は、当時、アメリカでひじょうに人気があったそうです。邦訳は、ひろさちやさんが若い時に訳したものがあるようですが、これは仏教の基礎知識のようなものであって、理解しやすいことは間違いないのですが、結局、アメリカの若者たちは、神秘主義に結びつけてしまったので、「秘法」を教えてくれといってきた人が大勢いたとか聞きます。 禅の世界は、論理と非論理の狭間にあるものだから、論理的決着をつけようとすると、意味が違ってしまいます。 >小津監督の映画 この話にも触れようとしましたが、詳しくないので途中で辞めました。 外国人には、理解できないような気がするけれども、評価しているのですね。不思議だと思います。 >欧米人には無常観や厭世観はないようですから、これに根ざした概念や生き方は理解してもらえないのですね。 アメリカ人は、理解するかもしれません。 ただ、基本的には、私たち人類の向かう先というものをどう捉えているかによると思います。 仏教というものは、本来、釈迦や誰かを中心とはしないようするのが正しいわけです。だから、そうでないものは、カルト教団だと言っても過言ではありません。本来、キリスト教も思想も、ある特定の人間というものを奉らないようにされているはずですが、必ずしも、そうとは言い切れないようです。それが、問題を起こすようです。 >ところで『燃えよ! カンフ-』が何故アメリカ人に受けたか、答えが見つかりましたか? いいえ、これには、あまり興味がないのです。 概ね、古代から中国(一般民衆は別)は仏教に対して、多くの人は、正しい認識は持っていなかったのだと思います。中国は、当時も今も変わりないのは、侵略の繰り返しと中華思想だということです。仏教による国家安寧を考えただけだと思います。その証拠に、玄奘三蔵さんは、中国三大悪女の1人、有名な女帝・則天武后の庇護の元に翻訳を続けたわけです。また、玄奘さんの出身地・洛陽には、少林拳で有名な、崇山少林寺があります。 嵩山少林寺は、禅寺の創始とはいうものの、日本などでは、南禅といって、慧能を中心とした流れを組んだものが中心です。少林寺とは違う派に属するものだということと、嵩山少林寺では、僧は健康のために禅を組むと言われています。達磨大師が拳法を伝えたと言われますが、それは疑問に感じています。意見の異なる方もいるかもしれませんが、しょせん武術や格闘術は、仏教にはふさわしくありません。こうした格闘術に一定の価値を与えるということは、仏教を間違った理解に導かせはしないかと思うのです。だから、興味が薄いのです。 なお、自分の回答が空回りしているような気がし、答えになっていなかったら、申し訳ありません。
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- WindFaller
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こんにちは。 何日間か、この質問を考えてみました。 ですが、力不足のせいか、何度も書きなおしてみましたが、言葉がうまくまとまりません。思うままの文章でお許しください。 もともとは、「来るもの拒まず、去るもの追わず」は、禅宗の言葉で、無常観("Nothing is Permanent in this World") や執着(attachment)を捨てる考え方なのですが、"They are free to come and go."は、斎藤秀三郎氏が、取り上げたフレーズのようで、英米でも使われているようです。しかし、私は、そのまま言っても通じるとは思えません。 今どきは、禅に詳しい人もいないというか、日本にいるのは、ロクでもない禅のお坊さんばかりのような気がします。私が批判的な書き方をすれば、「何様のつもり」と思われるでしょうが、偽らざるところなのです。さすがに、海外に出ている日本のお坊さんの書く内容は、違うなって思うのですが、どうやって説明するのか伝えるのか、私は分かりません。かろうじて、鈴木大拙さんの英文を読んだ程度ですから。でも、誤解を受けやすい内容で、事実、アメリカの若者たちは、違う求め方をしたようです。 >飄々とした人格者で非常にカッコいいというか、憧れてしまうのです 日本語でも、こう言われたら、私でも理解不能になってしまいます。 ただ、そこには、日本人特有の美的観念というものが潜んでいることは間違いなさそうです。 Girls が来たり去ったりする世界は不謹慎で、まったく異なるものだと思いますが、要するに、未練(regrets)をのこさない生き方です。 日本人の捉え方には、この言葉を無常観に含めますので、英語では、"See things as they really are. They are free to ..."」と繋げたほうが良いかもしれません。もしくは、日本人の死生観(the view of life and death)を意味しているような気がします。 アメリカには、東洋的な生き方を示すドラマや映画も多いように思います。私個人は、何か不気味に思うこともありますが……。『千の風になって』の原題『Do not stand at my grave and weep』も、不思議な歌だと思います。なぜなら、仏教のオリジナルな思想と似ているからです。 ただ、映画などで、私たち現代人に分かる日本的なものというのには、私には思い当たるものはありません。「サムライ」が必ずしも、日本人の代表的な死生観を表しているとは思いません。三船敏郎、渡辺謙にしても、海外向けの映画で、どの人も役の上では、アメリカ人が理解できる範囲の人物像しか描かれていないように思います。 ところで、邦題『燃えよ! カンフー(原題Kung Fu)』というドラマは、時々見ていましたが、なぜアメリカで、みすぼらしい主人公なのに、何年間も連続ドラマとして放映されていたのか、おまけにエミー賞監督賞・撮影賞まで取ったそうです。明らかにアメリカ人とは共有感などはないはずだと思いました。 こうしたものは、強い中国思想のアピールがありますが、それに対して、日本人は、厭世観に似た、人間のはかなさを受け入れていく覚悟のようなものを感じます。清浄・汚濁の世界で、汚れることを嫌い、清いもの、潔さを求めることが、「来る者拒まず、去る者追わず」ではないでしょうか・・・。 >貴方の知り合いの外人は、どう反応するでしょうか? 私の付き合いは、ドイツを中心としたヨーロッパ人がほとんどでしたが、意外に、あちらの人との関係は淡々としていますね。しかし、ある意味では、情よりも知が働くのかもしれません。東欧に行けば、もっと違うはずですが。「来る者拒まず、去る者追わず」は、アメリカ人よりも理解する確率は低くなりそうです。
補足
私の質問の背景まで感じ取って下さり、ありがとうございます。 ええ、私がカッコいいと感じた方は実は日本国外に住んでおられた日本の坊さんです。 やはり、その生き方に”執着”を離れるという仏教的な概念があったのですね。執着を断ち切るということは、悟りを得ることですから、この人の中に「悟り」を見て感じたのでしょう。憧れと畏敬を感じましたね。 ところで、外人と意見交換していて、最初伝わらないことでも、私が説明したい半分も喋ると、大概のことはピ~ンと感じて分かってくれますが、この言葉の意味は最後まで説明しても分かってくれませんでした。彼らが持っていない概念だったからということですね。 私は全くの素人なんですが、以前仏教書を英語に翻訳したものを読んだことがあります。ご存知のように、仏教書というのは日本語で読むと難解なものが多いです。英語だともっと分からないだろうと思ったのですが、逆にストン、ストンと頭に入って来て驚きました。 その時は理解した気になっていたのですが、今考えてみると、仏教の概念ではもっと深かったり別の概念であるのに、英語に訳す時に簡単な概念の言葉に置き換えているのではないか、だから理解しやすくなっているのではないか、更に言うと、英語に訳したものは結局浅い仏教書になってしまっているのではないのか、と思うようになりました。 それから、別の話ですが、小津監督の映画は現代の日本人が見ると、スローでほとんどインパクトを感じない人が多いようですが、現在でも世界中に根強いファンが多いようです。 先日もカナダのメル友が小津監督の「秋刀魚の味」という映画(私が薦めたわけではありません)を観て、色々コメントして来ました。家族間の問題や心理描写に敏感に反応しています。現代日本人が反応しなくなったのに、欧米人はまだ反応する心を持っているのが興味深いですね。勿論全ての日本人と全ての欧米人が、こうこうであるという話ではありません。 欧米人には無常観や厭世観はないようですから、これに根ざした概念や生き方は理解してもらえないのですね。 ところで『燃えよ! カンフ-』が何故アメリカ人に受けたか、答えが見つかりましたか?
- Oubli
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「「来る者拒まず、去る者追わず」の処世」ってどういう生き方を指すのでしょうか。この表現の原典は知らないのですが、私の知っている限り、このように評価されるのは、女たらしでしかもモテる男性です。たしかにある意味カッコイイのかもしれませんが。 Any girl is free to come to or go away from me. これだったらアメリカ人(男性に限る)も評価すると思いますよ。
補足
たとえ、自分を利用すようとして近づいて来る人であっても、利用するだけ利用して裏切って自分から去ってゆく人であろうと、 その人に対して恨むことも執着することもせず、たんたんとあるがままに振舞う、こころ在り方を表現しています。 東洋的な思想が元になってるのかも知れません。英語カテの人には馴染みが薄いかも知れません。
お礼
回答ありがとうございます。 色々参考になることを述べていただきありがとうございます。 色々と疑問が出て来ても、それに答えを推量できるだけの知識もありませんので、この辺りで閉じた方が良さそうです。 アメリカ人は神秘主義が好きな人が多そうだし、これも何故だか全く推量できませんし・・・