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自分を見つめなおしたい・・・。
20代半ばになる女です。 自分自身を見直したいと思っています。 何かアドバイスいただければと思います。 10代、20代前半の頃は、ものすごく劣等感の塊で「自分を変えたい」と常に思っていました。そのわりにマイナス思考で堂々巡りばかり繰り返していました。でも、それでも変わろうという努力はしていたし、自分を振り返って見つめなおしていたと思います。 でも、最近ふと気付いたら、社会人としてほんの少し自信もついて、以前より少しは成長した気はするのですが、昔と比べてなんだか嫌な人間になってしまった気がしました・・・。人間関係をうまくやり過ごすとか、ずる賢くなったというか。 昔の自分は、もっと小さなことでも一生懸命悩んでいたし、未熟なりに努力しようという姿勢があったと思います。今は、処世術?というものばかり身について、コツコツ頑張るとか、努力、持続という言葉が抜け落ちてしまったような気がします・・・。 うまく表現できないんですが。 自分自身をみつめなおせたらと思っているのですが、皆様の人生の経験談や、参考になる本などあったら教えてください。 人生において、仕事において、恋愛において、どんな視点からでもいいので、メンタル面向上にむけてのご意見お待ちしております。
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どうしたら今の自分を受け入れられるか。「見つめなおす」ということはそういった作業カモしれません。 ご自分を「なんだか嫌な人間になってしまった気がしました…」と表現されていますが、合理性がアップしたとはとれないでしょうか。周りがよく見える分、自分のことも相対的に分ってくるし、他人のことも見たくないものまで見えてくる為にそのように感じられるのだという考え方です。アダルト必須課目のようにわたしは思います。 「コツコツ頑張るとか、努力、持続という言葉が抜け落ちてしまったような気がします…」とも書かれていますね。この時は情熱的で良い時代だったと思いますが、逆に混乱もしていたと言えないでしょうか。流れゆく季節の中で、葉を落とし、幹を太くして成長する樹木のように、必要に応じてそれは落とさざるをえなかったのカモしれないですね。とても寂しいような気持ちにもなるのでしょうが、変わってしまったと悲しむより、その分強くなったのだという考え方をしてみては如何でしょう。そしてまた葉を繁らせていければよいではないですか。必要以上に先を急がないで。 経験談で言えば、旧い友人と再会した時などに友人に対してそんな印象を持つことがあります。なので、greenapple140さんがご自分のことをそこまで追求できるなんてド凄いと思いますよ^^ ちょっとしたことから…、本の紹介です。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4893469126/249-7608998-1643564
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- minaorange
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greenapple140さんは自分を見つめるとおっしゃっていますが、「こんな人間になってしまったような気がする」と善悪に分けてしまって捉えているので、なかなか本当の自分が見えないのだと思います。「こう感じる人、こう考える人」は「悪い人、嫌な人」とわくをつくらないで、ありのままの自分を見てみたらどうですか。 ありのままの自分を見て理解することが自分を受け入れることだと思います。 例えばですが、 ・実は私はあの人が嫌い ・実は私は仕事がしたいのではなくお金が欲しい ・実は私はあの事に興味がある ・実は私はあんな格好をしたい と正直になってしまったらどうですか?きっと楽になると思いますよ。そして自分の本音の赴くままに行動してみたら、きっと道も開けると思います。 もし人として間違いをしてしまっても、その時に「うん、これはまずかった」と気がついて成長するはずです。本音を隠して抑圧してしまうことが一番遠回りのような気がします。恋人を選ぶにしても、仕事をするにしても本音で選ぶことが大事だと、・・・約半分の人生を終えて実感しています。 f(^_^;)
お礼
お礼が大変遅くなり、申し訳ないです。 回答有難うございます。 >自分の本音の赴くままに行動してみたら、きっと道も開けると思います 確かにですね。最近は、本音を押し殺してばかりいた気がします。友達にも、恋人にも弱音を吐けない感じになっていました・・・。 >本音を隠して抑圧してしまうことが一番遠回りのような気がします いろいろ気付かされました。有難うございました。
- tadaj
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自我(エゴ)は歳を重ねるごとに変化し、仮面、鎧をつけてしまいました。そして、純粋で無垢な私(真我)を忘れてしまいました。あなたはそれを感じています。輝いていたころ、自由なころにもどりたいのです。これはとてもいい機会です。私は誰?と問いを持ち、瞑想し、純粋意識の真我を知るのです。そうすれば、不満、嫉妬、迷いは消えるでしょう。世界と自己との調和、一体性を得るのです。
お礼
お礼が大変遅くなり、申し訳ないです。 回答有難うございました。 参考にいたします!
- kaitaradou
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他人からの評価を入れないで自分を評価するというのは難しいことです。しかもsのとき自分と世でいるのは自分の所有物(有形無形の)です。自分自身を見つめなおしたくなったのは、おそらく社会の中で、自分の所有物を自分と思うこと(これは一種の錯覚ですが)がうまくできるようになると同時に本当の自分が確かに存在するという実感が薄くなってきたからなのではないでしょうか。私は思い切り孤独な趣味を持ったらどうかと思います。つまり他人からの評価を入れないであなた自身で自分の作品のできばえなどをきちんと決められるような趣味です。少なくとも他人との競争が含まれない趣味が良いと思います。このような孤独の世界で自分の作品(有形無形の)を鏡として映っているのが貴方の本当の姿ではないでしょうか。
お礼
お礼、大変遅くなり申し訳ないです。 回答有難うございました。 >他人からの評価を入れないであなた自身で自分の作品のできばえなどをきちんと決められるような趣味 趣味と言えるようなもの、あまりないなーと思いました。人の評価を気にしないで何かをつくる作業は、本来の自分をみつめるための良い作業になりそうですね。 検討します。有難うございました。
- Reiher
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とりあえず一言だけ置いておきますね。 「分からない、理解できないという事を大切にしなければならない」 これを無理に理解する必要はありません。忘れなければ唐突に気付く時が来ますから。
お礼
お礼、大変遅くなり申し訳ないです。 回答有難うございます。 参考にいたします。
- Syo-ya
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ちょっと変わった角度から説明したいと想います。 脳細胞というのは興奮性の細胞なので、興奮(ON)か、鎮静(OFF)しかないんです。 悩むというのはONの状態です。 人が悩むのは、悩んで答えを出せば、OFFになる(楽になる)と想うから、みんな一生懸命悩むんです。 が、ONであり続ける限り、OFFにはならないんです。 基本的に矛盾しているんです。 一番、賢いのは「考えて、考えて、考え抜いて、考えないことにした」という境地なんです。 でも、これも実際にやるのは難しいんです。 で、これを実際にやってしまおう!というのが「座禅」「ヴィパッサナー瞑想」という仏教の修行法なんです。 やり方は簡単です。 悩んでいる、<そんな自分を> 客観的に観察する、ただそれだけです。 自分を感じる。 自分自身を洞察する。 自分自身を実況中継する・・・んです。 そうすると、「悩んでいる」とは、”反対の性質”の心が育ってくるんです。 悩みの原因が(煩悩)だとしたら、その反対の性質(平常心)が養われてくるんです。 武道で考えてください。 彼らは骨折したって、なんとか平常心を保ちながら戦います。 「こんな怪我は、たいしたことはないんだ・・」と自分に言い聞かせながら、心を乱さないようにしているんです。 そうすると心頭滅却状態になって、痛みが痛みでなくなってしまうんです。 痛みを超えてしまうことが出来るんです。 痛みにとらわれることが無くなってくるんです。 逆に、痛みにとらわれると、痛みに関して想い悩んでしまい、心も乱れてしまうんです。 平常心でセルフコントロールさえ出来るようになれば、意識して、ONをOFFに出来るようになるんです。 そうして、これこそが「自分を見つめなおす」ことなんです。 痛みの中にあって、痛みにとらわれて、痛みに振り回されているようでは自分を客観的に観察出来ているとは言えないんです。 痛みの中にあって、痛みにとらわれず、痛みから離れることで、自分を客観的に観察できるようになるんです。 「ただ、淡々と自分を観察する」ことにより、平常心も鍛えられるし、自分を見つめなおすことも出来る(気づくことができる)ので、いろいろな心の問題がクリアされていくんです。 そうしてこれが発展すると無一物無尽蔵という境地になって、人生もさらに好転していくんです。 図書館に関連図書が多数あると思いますので、是非、勉強・実践してみてください。 座禅の本ならば井上希道さんの本がお勧めです。
お礼
お礼が大変遅くなりすいません。 回答有難うございました。 >逆に、痛みにとらわれると、痛みに関して想い悩んでしまい、心も乱れてしまうんです。 平常心でセルフコントロールさえ出来るようになれば、意識して、ONをOFFに出来るようになるんです。 そうして、これこそが「自分を見つめなおす」ことなんです 昔、そういうの本で少し読んだことがあります! 参考になりました。有難うございました。
- kuroiso
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人間関係上手くやり過ごしたり、ずる賢くなったりというのは大人になったというだけではないでしょうか?個人的によく言えば向上心の賜物だと解釈しています。私の周りの人も似た様なものです。 私は最近ここを知って、全く違うジャンルの掲示板に書き込みはしてましたが、私は本来うつ病者なので、無理の無い程度アドバイス出来そうな質問だけ、アドバイスしていますが、質問者の方の少しでもお役にたてればというのが目的であっても、なぜか毎度結果的に自分の見直し作業になってます。他者は自分を映す鏡である。といいますから・・・。なのでメンタルのアドバイスは質問内容によりますが、上記にある様にデリケートな悩みが多いので、当事者や知識が豊富な方以外の方の書き込みはどうかと思いますが、拝見する分はいいと思うし、他のジャンルならアドバイザーとして書き込みされるとご自身を見つめなおせ、結果的にメンタル面も向上出来るのではないかと思います。友達に全部本音を言える訳でないし、アドバイスしてもお金が貰える訳でもないので。お試し下さい。
お礼
回答有難うございます。 お礼が大変遅くなり申し訳ありません。 私も教えてGOOはよく見させてもらっています。 回答参考に致します。
こんにちは。 私も同じような事を感じています。 未成年(特に義務教育あたり)の頃は些細な事でも何かと気にかけて行動していたのに、歳を負う毎に立ち回り方などがいつの間にか身について、考え方まで劣等を覚えるほど変わってしまいました。 ただ思うのは、小さい頃は年齢や体だけでなく、世界自体が狭く小さかったのではないでしょうか。 または学校、勉強、友達、と完全に小さい世界ごとに区別して集中しないと取り組めなかったのではないかと。 小さいからこそ必死だった、とも言えます。 まだ親を始めとする大人を頼りにしなければならないほど。 その頼りになっていた大人は、今の自分のような処世術や計算、知識、経験を持ち合わせた上で、子供の頼りになっていた。 それが必要なくなったといえばそれまでです。 また視野が広がり、いろいろな事柄の結果を導き出せるようになったがゆえに、「1つのことだけに」とらわれなくなったのでは?と思います。 私もまだうまく言葉が出てきませんが、質問の文章をみて思ったのが 失礼ながら、特に趣味や関心のあることは現在おありでしょうか? これだけは譲れない、というくらいの物や人が。 処世術だけでなく他の術も増えている筈。 現に幼いままなら自分に欠けているのでは?ということを自覚できても直視できないと思います。 それと同じように好きなことに対してもただ純粋に好き、というだけでなく子供の頃とは違う努力の仕方、探求の仕方など方法、やり方、術もきちんと増えているのではないでしょうか。 私に言えるのはそれでもきちんと考えてらして、コツコツ少しずつ確実にあなたは今も考えることを放棄せずに、直視する勇気を持って、前に進もうと努力されているということ。 多分本質はちゃんと残っていると思います。
お礼
回答有難うございます。 お礼が大変遅くなり申し訳ありません。 回答者様のおっしゃるような考え方をしたことがありませんでした。 読んでいて、確かに・・・と思えるところがいっぱいありました。 回答参考にいたします。昔とは違って、身につけているものも確かになにかしらあるはずなので、そういう部分もひっくるめて考えて、今一度、過去から今までを振り返る作業をしてみます。
- true-1
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人生において、仕事において、恋愛において、という事ですが、人生の目的はお持ちでしょうか。何事においても明確な目的は必要です。会社で言えば、目的は明確であり、それは利益です。バスに乗ることがあれば、必ず目的地があります。どこに行くのか、知らない、分からない、としたならば、これほど不安なことはないと思います。つまり、不安とか劣等感を抱くという事は、ある種人生に対する目的が明確でない事が起因であると考えられます。 最近嫌な人間になったと言われてますが、これは世間の道徳・倫理的な考え方が身に付き、善人様的な生き方になっているのではないかと思います。本当は間違いな事だけど、敢えて大人になって指摘しない、みんながしているから自分もする、ウソな話でも調子を合わせて話を続ける、いわゆる己を隠し、上辺を厚くして世間に迎合している生き方になっていると推察されます。(善人様とは、善人でもないのに善人面している人のこと) これは、ある種怖いことだと思います。恐らく、自分の感覚が鈍感になってしまい、悪いことを悪いと判断できなくなったり、悪いことにすら気づかなくなってしまっているものと思います。こうなると、果ては無気力・無関心のやる気なし、の状態になりかねない訳で、世間迎合から脱却し、本当の自分をしっかりと見つめながらの生活に変えていかないといけないでしょう。 よく性善説、とか、性悪説とかの言葉が言われたりします。人間は、よく観察すれば分かりますが、悪人そのものだと言えます。小さい子供などは、残酷にも昆虫をバラバラに分解したりしますが、本人には罪悪観などありません。元々の本性として罪悪観しか持ち合わせていないのです。後に成長に従い、理性がつくので、その部分の修正はされますが、心の奥底をじっくり観察すれば、悪性そのものの己の心が見えるはずです。 政治家、評論家、著名人の方々のコメントを聞いて心から、そうだ、と思える事がどれだけあるでしょうか。表向きのコメントばかりが並んでいると思います。当たり障りのない、批判、非難が来ないような内容ばかりで、説得力が全然感じられないものばかりです。そういう人々が作り上げている、であろう社会の考え方、風潮に合わせて、自分の考え方を調整しているとするならば、自分の感覚が鈍感になっていくのは仕方ないわけで、それを回避するためにも、世間に合わせることなく、自分を見つめる事が肝要です。 悪性である自分を見るのは構わないことです。ただ、それを実行せよ、という短絡的な事ではありません。なるほど人間って奴は、悪い本性を持っているのだな、と享受し、悪い自分であるなら、悪い結果を出さないように、行動や言動も注意しながら、生活しなければいけない、に繋がるわけです。 世の中にはなかなか真実がありませんが、真実を見ることができる目を養うことが大切です。それには、他人や世間ばかりを追うのではなく、まずは、己自身を見つめ、その己を通して世間を見て欲しいと思います。己自身を見つめるのは難しいですが、部屋であれこれ思索するのではなく、人と接する中で等の機会に、しっかりと己を見つめて下さい。
お礼
回答有難うございます。 >不安とか劣等感を抱くという事は、ある種人生に対する目的が明確でない事が起因であると考えられます 確かに、今自分はどこに向って行けばいいのか、悩んでいます。 >上辺を厚くして世間に迎合している生き方になっていると推察されます 人に合わせたりしていくうちに、自分の意見というものがよくわからなくなってしまっているように思います・・・。 ふとそういう現状に気付いただけでも良かったと思っていますが・・。 >世間迎合から脱却し、本当の自分をしっかりと見つめながらの生活に変えていかないといけないでしょう まったくその通りです・・・。 いまさら遅いかもしれないけど、自分を見つめなおす努力をしようと思います。 参考にします。
- adobaru-n
- ベストアンサー率0% (0/1)
こんにちは。はじめまして。 自分もまだ精神的に未熟なのでうまいアドバイスはできませんが、悩みを読んでいて、とても気になったので書きます。 >人生において、仕事において、恋愛において、どんな視点からでもいいので、メンタル面向上にむけてのご意見お待ちしております。 愛する人に愛される方法 http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/index.html ↑のサイトを一度覗いてみることをオススメします。日常で誰もが感じる不安や人間関係への悩みを取り上げて、 エッセイ(?)風に書いてある「バックナンバー」のとこがオススメです。(多少厳しめの口調もありますが) 「人は自分の喜びのために生きていい」など心が少し前向きになれる言葉に自分も励まされました。では
お礼
回答有難うございます! 恋愛面についても、最近悩むことが多かったのでサイトを参考にさせていただきます。
お礼
お礼が大変おそくなりすいません。 回答有難うございます。 >変わってしまったと悲しむより、その分強くなったのだという考え方をしてみては如何でしょう すごく前向きで素敵な考え方だなと思いました。 こういう風にも考えることができるんだと気付かされて、とても励みになります。 本も参考にいたします!
補足
お礼の欄に書こうと思った文、書き忘れたので(><) 紹介してくださった本、すごく読んでみたいと思いました!探して読んでみます!!