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万が一(まんがいつ、まんがいち)という言葉ですが?
基本的に、この言葉は悪い方向に向かうことは0.01%の確率も無いというようなニュアンスで使うと思いますが。 実際のところは、その悪い方向に向かうことが圧倒的に多いと思いませんか? 私の経験上、特に負のイメージに”万が一”という言葉がでてきたら、ほぼ間違いなくその万が一の負の方向に向かうと思うのですがね。 まあ、”万が一”と”十中八九”は同義語と考えた方がよろしいと思うのですが?
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大多数にとっての「万が一」の現象が、ある個人にとって「十中八九」である可能性は大いにあると思います。 「確率的に万が一」の出来事が起こることを「運が悪い」と表現します。 仮に、そのような事が十中八九の確率で複数回、起きる場合「非常に運が悪い」と表現します。 万が一のことが続く可能性はあるが、それを(その当人にとって)「運が悪い」または「非常に運が悪い」と表現する。 しかし、同じような経験を多数の人がする確率は非常に低い。 この意味で、ある個人にとって「十中八九」の現象が、一般的には「万が一」の現象であることに特に矛盾はありません。 以下は余談です。 たとえば、サイコロを3回振ってすべて1が出る確率は216分の1です。 しかし、最初の挑戦で、すべて1が出ることはあり得ます。 単純に考えて、次からの215回は、すべてが1にならない可能性が高くなるだけです。 「万が一、1が3回続いたら1万円あげる」と約束していれば、216分の1の確率なのに、たった1回で現われたのですから非常に強烈な負の記憶となるでしょう。 似たようなことが続けば、『私の経験上、特に負のイメージに”万が一”という言葉がでてきたら、ほぼ間違いなくその万が一の負の方向に向かう』と感じても不思議ではありません。 ただ、2回目や3回目、あるいは11回目や12回目など、かなり早めに1が3回続くこともあり得ます。 非常に確率の低い事柄であっても、最終回(サイコロの例で言うと216回目)だけに、その現象が出現するとは限らない、ということです。 つまり、「万が一」のことであっても最終回(1万回目)に起こるとは限らず、実際に、高い確率で現われることはあります。 しかし、一度起きてしまえば、次の9999回は起こらないと単純計算できるような事柄、それを「万が一」と呼んでいるわけです。
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- fxq11011
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ゼンゼンと同様、全〃、と然〃さらには全然、いずれも、ぜんぜん、です。 暑くないですか?、ぜんぜん、寒いくらいです。 NHKで肯定に使われている例に挙げられていましてが、私は否定で、言葉の省略があるだけ。 気遣い無用を強調のため、ぜんぜん(暑くないです)、むしろ寒いくらいです。 とある文豪の使用例として、・・ぜんぜん・肯定語、然〃が適当な感じがしました。 万一も本来は字の通りだろうが、期待に反するケースを否定し得ないだけのときも使用されるようです。 確率1%にかける(期待する)ときはさすがにどうかと思いますが、確率よりも期待度によって使われているのでは・・・。
- keirimas
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「万一」は 文字どおり1万回に1度程度の確率(日本人の人口約1億のうち、1年に交通事故で亡くなる人約1万人 が1万分の1の確率です) というのが原義だったと思われます。 どころが「どっちに転ぶか分からない(五分五分)」の場合でも「万一」と使う人がいるように思います。 「もしも」を通りこしてしまっています。 さらに、五分五分どころか質問にあるような「十中八九」(ほとんど起こりうる)にまで幅を広げて考える人もいるようです。 >”万が一”と”十中八九”は同義語と考えた方がよろしいと思うのですが? 同義語ではありませんが、人によっては同義語になりうるでしょう。 でも、「万一飛行機が墜落して私が死んだら・・・」なんて思って飛行機に乗っても、ほとんど無事に帰ってきますよ。悪い方向に向かうことのほうが圧倒的に多い、ということはありません。
- gldfish
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>0.01%の確率も無いというようなニュアンス そんなに低い意味だけに限って使われているイメージはありませんね。 どちらかと言うと、それを使った本人が「あり得ないと思う」とか「あり得ないでいて欲しい」とか「最悪でも」と言った意図を出したい時に使うものだと思います。 それが「実際は20%くらいは起こりそうなこと」でも「絶対あり得ないこと」でもいいのですが、とにかく言いたいのは、話し手の感覚的・感情的・願望的に・・ということです。 例: 「万が一にも太陽が西から昇れば・・・」 →絶対あり得ないこと 「私が負ける可能性は万が一にも無い」 →願望、自信 「万が一、彼に嫌われているのだとしても・・・」 →充分あり得ることで、最悪の想定 ですから、下の2つのような用法であれば、「実際のところ、起こる」ということもよくあるということだと思います。
- staratras
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>基本的に、この言葉は悪い方向に向かうことは0.01%の確率も無いというようなニュアンスで使うと思いますが この「万が一」「万一」という言葉は、数学の「起きる確率が1万分の1(0.01%)」と、単純に同じ意味ではないと思います。 国語辞典の説明に「ほとんどないがきわめてまれにあること」(広辞苑)、「そういう事の起こる可能性はきわめて少ないかもしれないが、なお、その場合を想定してかかることを表わす」(新明解国語辞典)とあるように、「確率は低いが無視できない」と認識していることを表わす言葉だと考えます。重要なことは「確率が低い」ことではなくて「無視できない」点です。 No.1の回答の補足に挙げられた例でいえば、谷川棋士は自分が負ける相手の指し手がたった一つでもあっても確かに存在していることを無視できなかったから、そのように考えたのでしょう。 この「無視できない」かどうかはその人の主観的な認識の問題で、客観的に計算可能な確率の大小の問題ではないと考えますので、「万一」の懸念が実際に起きた割合が具体的にどれだけあったかも、その人の主観的な認識の差によって異なるでしょう。 質問者様のように「万一」が「十中八九」と同義語だと考える人は少ないかもしれませんが、人により様々であることは確かです。回答者自身「万一○○になったらどうしよう」と考えたことがこれまでの人生で1万回あったとはとても思えないにもかかわらず、何回かは実際に○○となった苦い記憶がありますので、少なくとも1万分の1よりは大きいと考える人の方が多いと思います。
- qualheart
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言いたいことは何となくわかりますが、それは別に同意語という訳ではなくて、単純に万が一の使いどころを間違ってるだけだと思いますよ。 その悪い方向に向かうことが圧倒的に多いのであれば、それはもう確率的に「万が一」ではないわけですし、単純に「万が一」と言うべき状況ではないと結論づける方が、「万が一」と「十中八九」同意語だと考えるより自然だと思うのですが。 「万が一」は、あくまで「万が一」くらいの確率で起こる可能性がある場合に使う言葉だと思いますよ。 ご参考まで。
補足
将棋の羽生棋士と谷川棋士が名人戦を争ったときに、白熱の終盤戦で谷川棋士が優勢に駒を進めていて「私が負ける可能性は”万が一”にも無いと思うが、唯一つの手段で負ける可能性がある」と思ったそうです。 ところが、その途端羽生棋士は谷川棋士が恐れていたその”万が一”の駒を進めてきて、みごと逆転負けしてしまったことがあったそうです。 ですから私が思う”万が一”は可能性がある珠玉の一手だと思うのですよね。 羽生棋士にとっては起死回生の一手であり、谷川棋士にとっては奈落の底に突き落とされる一手だった訳です。
補足
私が思う”万が一”は将棋の例でも紹介しましたが、一番強い物だと思うのですよね。 99.99%勝っていても、本当にその”万が一”が万が一飛び出してきたら、負けてしまう恐ろしさを感じますね。 ある意味”十中八九”よりも恐ろしく強いのではないかと思うのですよね。 ですから人生の岐路においてその”万が一”という表現が出てきたら、最大限の警戒心でその”万が一”を迎える必要性があると思いますね。