- ベストアンサー
『昭和17年戦死 陸軍伍長』戦死時は上等兵?
先の大戦初期に戦死した大叔父の墓標に、『昭和17年戦死 陸軍伍長』とあったのですが、2階級特進を考えると戦死したときには上等兵ということなんでしょうか? 20代なかばで会社員だった大叔父が、日華事変後に徴兵されて(おそらく)、わざわざ上等兵まで昇進したのだろうか?とも思います。しかし、大叔父は大卒で頭が良く、隊長に気に入られていたせいで撤退に遅れたのが戦死の原因とも聞くので、当時上等兵であったのは不自然でもないといえば、そうです。 実際はどうなんでしょう?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 当時の軍服姿の写真が残ってれば階級章を一目見れば判断出来るのですが、一般的に戦死は二階級特進ですから、上等兵⇒兵長⇒伍長の階級順から考えれば戦死時は上等兵の階級だったと思います。 また、徴兵された時期が戦死された昭和17年より数年前なら、兵クラスの階級は直ぐに上がったようですので、短期間で上等兵ぐらいの階級になっても不思議ではないと思います。 実際、陸上自衛隊に入隊経験のある友人の話を聞いても二等陸士で入隊後、二年後の除隊時には陸士長と二階級昇進してるようですから、徴兵された年度に戦死してないなら上等兵に昇進していても不思議ではないです。
その他の回答 (3)
- mm058114
- ベストアンサー率30% (102/337)
兵は、戦死=2階級特進が普通です。 また、徴兵期間で除隊時に上等兵というのは、普通の昇進です。 ただ20代なかばで大卒で、日華事変後に徴兵ということはかんがえられないので、召集でしょう。 日華事変後というのが、召集時期を曖昧にしています。 もしかしたら、中国戦線では無く、関特演だったり、南方戦線の可能性もあります。 撤退から考えると、中国戦線でしょう。 兵種、どこの戦線が分かると、もっと大叔父様の経歴をしぼれますよ。 隊長に気に入られていれていたとの事で、従兵、庶務担当だったかもしれませんね。
お礼
質問文に書くべきだったのでしょうが、墓には他に『ニューギニアで戦死 昭和17年7月』みたいなことが彫ってありました。 大学生が徴兵免除だったとか、漠然な知識があったもので、二十歳では徴兵検査は受けていない・・と思う(テキトー)。 徴兵と召集は同じ意味くらいに思ってました。 召集時期が日華事変以降というのも、いい歳のサラリーマンを引っ張ったのだから、その時期だろうという自分の推測です。 大叔父がもらったのがいわゆる赤紙(臨時召集令状)だったのか? とか色々疑問があるのですが。この質問に併せるべきではないかなと、省きました。 回答ありがとうございました。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
no.2です。 補足すると大叔父様は5年間も陸軍に在籍していたことになりますから、戦時のこともあり、また隊長に気に入られていたので、そのあたりまで昇進するのは当然だと思います。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
tettuaさん、こんばんわ。 日中戦争ということですから、戦争中になります。戦時になれば、戦死する人もいっぱい出ますし、戦時編成といって部隊を増強しますので、責任者を決めていかないといけないので、古参の兵から昇進していきます。そうしないと部隊の統率がとれないからです。隊長に気に入られていたとされる大叔父様が上等兵になったというのもその辺の事情があったと思います。
お礼
戦時編成で昇進したということも考えられますか。 隊長に気に入られていて、逃げ遅れた。隊長(30人規模の小隊長?)もおそらく戦死した? と、考えると犠牲の多い前線にいたのかも。 回答ありがとうございました。
お礼
軍服姿の写真はあります。というか、座敷にあるその姿でしか大叔父を知りません。思い至らなかったのが不思議です。じっくり見ることにします。 徴兵されたのは、やはり根こそぎ動員が始まってから、そして日米開戦前なのだろうと思います。 wikipediaなどで、選抜されるので上等兵になるのは難しかった、と書いてあったので、やや疑問でした。前線の兵士不足という裏事情もありますよね。 回答ありがとうございました。