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旧日本陸軍の階級、序列について

 私の妻の父は4年前に84歳で亡くなりましたが、昭和14年から軍隊に入り、ビルマのインパローと言う所で終戦を迎えました。  生前、軍隊時代の事を色々尋ねると、雄弁に話していました。  その義父は陸軍曹長まで昇官したそうです。  その上は将校(少尉)になるので、それ以上は成れないと言っておりました。  下士官から将校になれないのは何故でしょうか?  義父から聞いたのですが、下から二等兵、一等兵、上等兵、兵長、伍長、軍曹、曹長、少、中、大尉、少、中、大佐、少、中、大将の階級があると聞いたのですが、これで間違いないのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

下記のアドレスを参考にしてください。私もじいちゃんからいろいろ聞いたことあります。話し出すと長ーくなりました。(^_^;) http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/class/japan.html

参考URL:
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/class/japan.html
superfighter823
質問者

お礼

詳しいサイトの解説を添えた回答、有難うございます。  義父は『中々、普通、一般入隊では曹長にはなれないんだ』『同時期入隊でも○等兵のままの人もいるんだ』ということを誇りに思っていました。  どうしたら階級が上がるんだ?と尋ねたら『武術、砲術に優れ、統率力があり、上官の受けが良いこと』と言っていました。(よく自慢するな、この爺さんと思いました)  年寄りの昔日の想い出として聞いてあげていたら、喜んでいたのが 思い出されます。  有難うございました。  

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その他の回答 (12)

  • k762
  • ベストアンサー率31% (42/133)
回答No.13

海軍が出てきたので.... 海軍は英国風の士官...貴族 下士官兵....平民の関係です。 一応士官の食費、被服は自費です。 但し海軍の場合陸軍と違い特務士官は将校ではありません。 将校ではありませんから指揮権はありません。 将校になる(現役に編入される)のは海軍少佐からです。(殆ど居ません) 終戦間際には甲飛1期生が海軍大尉として現役に編入されてますが.... 陸軍は将校ですが、本科将校との場面では一歩引いてしまう...(まぁ本 人の劣等感かも知れませんが)..場面が多かった様です。 試験を受けて合格すると士官学校に一年間在学して卒業すると陸軍少 尉になります。(期別は少尉候補者X期) この試験に合格するのは原隊の名誉だったそうで優秀な下士官には 競って受けさせたようです。 但し質問者のご祖父の所属からその様な事は不可能だったでしょう。

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  • eqw-102
  • ベストアンサー率24% (93/381)
回答No.12

海軍の場合、 下士官は普通の質素な食事です。 幹部は食堂が違います。 豪華な椅子と、 昼は洋風のオードブル。 夜はディナーと呼べるような食事内容でした。 警察官でも、キャリア、ノンキャリアの問題があるようです。 方や、初級公務員、方や1級公務員の違いです。 上級公務員ですと、大蔵省の上級管理職などは給与体制がまるで違うのはご存知だと思います。 (月給100万、ボーナスは1千万近い) 将校も、上級公務員に近かったようです。 士官学校→司令まで行けば、 毎朝、栄誉礼で吹奏付きで敬礼され、 朝夕の送迎。 移動は必ず運転手付きの公用車。 天下りはほぼ確定。 むしろ、XX省の幹部より気分の良い職業だったかもしれません。 初級公務員は、上級公務員にはなれません。 嫌な場合、若い内(大体25歳まで)に入隊試験を受け直し、士官学校に入るか、 軍隊内部の幹部試験を受けるかです。 これも年齢制限があり、かなの難関だったようです。

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  • phantom1
  • ベストアンサー率24% (184/748)
回答No.11

私の祖父は、鉄道工兵としてビルマに行っていたようですが、勤務態度が優秀であったとかで、士官学校への入学試験を受けるように上官から打診され(恐らく連隊の指示で)、受験の為に本土に帰還中に終戦を迎えたそうです(何でも、強制ではなかったが、受験勉強中は夜食に饅頭が貰えるから引き受けた、とか)。祖父の場合は後方勤務の工兵科でもあり、本国に帰還する余裕もあったので、最前線の歩兵部隊とは事情も違うのでしょうが、兵卒、下士官から士官への道が全く無かった、と言う事でもなさそうですね。ただ、最前線の戦闘部隊では、試験を受けに本土に戻る訳にも行かないでしょうから、実質的には曹長までしか昇進出来ない、と言う事でしょうか。野戦任官(前線で必要に応じて、指揮官が部下の階級を上げる事)の制度がどうなっていたのかは良く知りませんが、私の祖父の例等を見ると、日本の場合少なくとも、下士官→士官の野戦任官は無いようですね。

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  • k762
  • ベストアンサー率31% (42/133)
回答No.10

>ビルマのインパロー インパラでは無いでしょうか? インパラなら独昆百五旅団の集結地ですが.... >下士官から将校になれないのは何故でしょうか 試験に合格する必要があります。但しこの時期戦地では試験そのもの が有りません。 ちなみに独昆百五の砲兵隊長は少尉候補者12期の少佐です。

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  • SSGB
  • ベストアンサー率27% (17/61)
回答No.9

私の祖父は終戦時に陸軍少佐(写真では大尉時代まで確認できる)でしたが、二等兵からのたたき上げでした。兵隊上がりが珍しい日本軍では、(キャリア組でない警察官が出世に限界があるように)数少ない例外だったようです。海軍でも水兵上がりだと「特務少尉」などと、普通の兵学校出の少尉とは区別されました。 あと、上等兵と伍長の間は以前は「伍長勤務上等兵」という役職でしたが、後に兵長が階級として設定されました。

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回答No.8

ソロモン諸島で戦った 日米のパイロットの階級を調べるとヒントが有るかも ニューギニアの戦いで、玉砕命令が出て 昇進したが、生き残った兵士も居るよ あの地区は昭和17年から20年まで地獄でした

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  • ys528
  • ベストアンサー率52% (58/111)
回答No.7

戦後、ポツダム進級というのがありましたから、本当は軍曹かもしれません。。。 とはいえ、ビルマといえばかなりの激戦地です。ビルマ戦線を行きぬいた下士官なんて相当な勇者だと思います。 お義父さまのことをもっと知りたければ、「インパール作戦」「白骨街道」について調べてみてはいかがでしょうか。

superfighter823
質問者

お礼

 回答有難うございます。終戦を聞き、捕虜となり、数年間抑留され、昭和22,23年ごろに復員したと聞きました。  当時、義父の家族は『死んだ』と思っていたそうです。帰還するなんて奇跡と言っていました。家族もビックリされたそうです。  何人もの戦友が目前で倒れていったとも言っていました。義父の弟さんは海軍で戦死されています。  戦後、C級戦犯扱いで公職に就けなかったとか。戦時の話になると、延々まくしたてていた義父の熱弁が思い出されます。  >ビルマ戦線を行きぬいた下士官なんて相当な勇者  そうだったのかも知れません。有難うございました。

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  • toro321
  • ベストアンサー率29% (1222/4138)
回答No.6

下士官が将校になれる場合はほとんどありません。 よほど何かに秀でると、少尉にはなれたようです。 ただし、その場合は特務少尉と言い、正規の少尉の一段下がった扱いになります。 それほど、旧陸海軍では、兵学校、士官学校出身者を優遇してました。 但し、実戦では、少尉の言うことより下士官の方が優秀だったようで、アメリカは、日本の将校は大したことはないが、下士官は凄いと後に言ってます。 お父さんはそれが言いたかったのでしょう。

superfighter823
質問者

お礼

 回答有難うございます。 義父は負けん気強く、研究熱心な人でした。眼光鋭く、戦時中は無法も働いたと言っていました。  曹長の襟章はどんな物かと尋ねると『金のラインに星が3つ』とか言っておりました。  長くその軍服を保管していたそうですが、地元の博物館に寄贈したそうです。  一度は見せて欲しかったのですが。少尉に上がれない理由が分かりました。有難うございました。

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  • buck
  • ベストアンサー率14% (97/678)
回答No.5

曹長と少尉の間に准士官である准尉という階級があります。 士官学校出身者以外が昇進できるのは、准尉までだったようです。 ただ、ごく少数ですが、少尉候補者となり少尉以上(士官/将校)に昇進した人もいました。 海軍の場合は、二等水兵、一等水兵、上等水兵、兵長、二等兵曹、一等兵曹、上等兵曹、兵曹長(陸軍の准尉に当たる階級、准士官) 海軍でも、兵学校を卒業していない人は、せいぜい、兵曹長までが昇進の限界でしたが、陸軍同様、ごく一部の人は少尉以上の階級に昇進しました。 陸海軍とも士官学校、兵学校を卒業していないと少尉以上の階級に昇進するのは難しかったのが実態です。 ただ、陸軍と海軍と異なる点は、陸軍の場合、少尉候補者を経て、少尉に任官すると士官学校出の少尉と同様に扱われ、陸軍大学校への入学も理屈の上では可能でした。(実際に陸大に入学した人はいませんでしたが) 海軍の場合は、水兵から叩き上げの士官が兵学校出の士官を指揮することはできませんでした。 叩き上げの士官は特務士官とされ、兵学校出の士官と区別されていました。 また、アメリカの場合、兵隊から叩き上げの将官も存在しました。

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  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.4

軍隊の制度は、西洋の騎士の制度に遡ることができます。 おおざっぱに言うと、貴族の子弟など支配階級が指揮し、庶民の子弟が兵卒として従軍するという仕組みです。 身分制度ですね。 日本でも源氏平氏の時代は、一族のトップが馬に乗って戦い、下っ端は槍を持って従うという形で、下っ端はいくら活躍しても源義経のようにはなれませんでした。 今の官僚制度もにたようなものです。 下士官は、兵卒を束ねる存在です。 もちろん例外もあります。 優秀な下士官は、士官への道が開けていました。 士官は消耗が激しいことも理由の一つでした。

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