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海軍の軍艦乗りは、艦が停泊中はどこにいた?

昭和10~16年頃の日本海軍の軍艦乗りは、艦が停泊中はどこにいたのでしょうか? 飯食うのも、寝るのも自分の艦でやったのでしょうか? それとも、毎晩自宅に帰っていたのですかね?(母港の街に下宿借りてた人が多いみたいですが) 艦での訓練が無いときは陸(おか)にいたとか? 実際に艦が航行していたのは、年に1000時間ちょいらしいです。(燃料が貴重だったから) 艦が航行してない大方の時間に、兵達がどう行動していたのか知りたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.2

下士官兵は、非番でも、 住所が艦内で、船で寝泊まりしました。 休日には外泊許可もらい、 軍人対象の下宿で、くつろぐこともありました。 士官は、当直でないときは母港の官舎・借家から通勤してました。

tettua
質問者

お礼

軍艦乗りの下士官兵は、非番も船で寝て起きてたのですか。下士官クラスになると女房持ちも多かったでしょう。 陸上勤務になるまで、だいたいがハンモックで寝てたわけですな。 士官のことも回答してくれたので、ベストアンサーとさせていただきます。

その他の回答 (3)

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.4

半舷上陸(はんげんじょうりく)のさだめが あります。 乗組員を交替で、半数を当直として、他の 半数を自由に上陸させるのです。 外泊も自由です。 ただし戦地で停泊の艦船では艦内休憩で しょう。

noname#224207
noname#224207
回答No.3

軍艦乗りにとっては艦が自宅です。生活の場です。住所も艦です。 商船乗りと軍艦乗りは根本的に違います。 陸は娑婆で息抜きの場です。旅館代が高いので下宿屋を使っていただけです。 旧陸海軍では、娑婆と隊とは峻別していました。 軍隊用語というのは、娑婆と縁を切らせる意味もありました。 燃料がどうのなどという話とは次元が違います。 質問者さんと同じような発想をしているのが、中国海軍のようです。 下記サイトをご参照ください。 中国海軍は日本を震撼せしめたか? - WEDGE Infinity(ウェッジ) - isMedia wedge.ismedia.jp/articles/-/3064

回答No.1

海軍の兵舎でしょう 基本的に長期休暇か許可がないと自宅には帰れませんでした

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