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甲府宰相
徳川家光の次男 綱重は 甲府宰相といわれてますが、この甲府宰相とは、どういう立場だったのでしょうか? 現代で言えば総理大臣? 兄の4代将軍を補佐する立場で物を言えたのでしょうか?
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- tanuki4u
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どういう立場だったのでしょうか? ↓ 兄貴が子孫を残さないで死んだ時のスペア。それ以上でもそれ以下でもない。 綱重! とか、綱重殿 とか 本名を言わないのが基本です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1 諱ですので。 じゃぁ名字で呼ぶかというと、徳川さんはたくさんいる。 ちなみに、有力外様も松平さん。前田家は正式には松平 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%88%A9%E5%B8%B8 別名 松平筑前守 幕府の公式文章ではこの別名となります。 となると、たくさんいる徳川さんを区分けしないといけないので 地名+官職名の唐名 でやるというのが、豊臣時代からのはやりだった。 それ以上の意味は甲府宰相にはない。
- あずき なな(@azuki-7)
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別に… 徳川家の御曹司ですから 甲府の藩主であり将軍家の後継者の候補の一人だった ってだけです ちなみに館林宰相 ってのもいました 別に宰相に特別な意味はありません
お礼
回答ありがとうございます。 単なるニックネーム、、、なんですね。 ありがとうございました。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (816/3045)
参議のことを宰相と呼ぶだけで実際になんらかの職務ゆえに宰相と呼ばれたわけではありません。 唐名 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E5%90%8D 甲府侯であり参議であるのを合わせて敬意を込めて呼ぶ場合甲府宰相となるわけです。 朝廷になんの権威も無い時代ですので、参議に列せられたからといってなんらかの職務や権限があるわけでもありません。 ですので江戸に暮らしてるだけの一介の親藩大名の一人で、将軍の弟以上のものでは特にありません。
お礼
回答ありがとうございます。 律令制度からきた呼び名なんですね、、、。 甲府宰相というので、甲府に住んでいたのかと思ってましたが 甲府には殆ど行ったことがない、、とか。 単なる 呼び名なんですね。 ありがとうございました。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
kurikuricyanさん、こんにちわ。 彼は3代将軍家光の3男でした。7歳で甲府15万石の大名となり、9歳で従四位下左中将となり、さらに三位になります。 さらに17歳の時には10万石の加増を受け、さらに官位も参議に昇進します。ここから甲府宰相の異名が出ますが、彼自身は一度も領地に行っていないで江戸の屋敷に住んでいました。有名な浜離宮です。 立場的には御三家のような将軍家の分家です。ただ、御三家ほど格式があったわけではないですが、将軍家に一番近しい分家ということになります。 補佐するといっても、老中などがいますから、ほんの儀礼、形式的なことでしょう。 詳細は下記のURLを参照してください。 徳川綱重 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E7%B6%B1%E9%87%8D
お礼
回答ありがとうございます。 確かに、亀松が早世してますから三男でしたね。 お飾り役職なんですね。 弟、綱吉の館林宰相も、同様なのですね。 ありがとうございました。
- guess_manager
- ベストアンサー率33% (1175/3512)
正式な役職名は参議で、何人もいるはずですので総理大臣ほど上ではないでしょうが、高い官職の人の中でも優れた人に与えられた役職のようです。 太政官の長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん)のうち、次官に相当する官職とされています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%94%BF%E5%AE%98 現代の参議院もこれに由来します。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、、、。お飾り役職なんですかね? 立場的に偉い人なので、無冠では、格好がつかない、、、という ことだった、、のですかね? ありがとうございました。
お礼
回答 ありがとうございます。 確かに徳川さんは沢山いますものね。 現在でも、田舎のほうでは、屋号 で呼んでる処もありますものね。 伊豆守だの壱岐守だの、、、。 現代では、ちょっとわかりずらい、、、ですかね? ありがとうございました。