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ワチカンや教会にいまもエクソシストがいる?のでしょうか?
- ワチカンや教会には現在もエクソシストが存在するのでしょうか?かつては聖職の一つとして存在し、専任者もいたとされます。しかし、現代ではその存在がどうなっているのか疑問視されています。
- カトリック教会はエクソシスムを主からの権能と職務として受け継いでいると述べています。厳密なエクソシスムは教会法に則って行われ、叙階された司祭が特別な認可を受けて行います。
- 現代の医学では、悪魔憑きといった状態を特定の症状として認めていないとされています。科学的な観点からは、悪魔憑きは精神医学的な診断としては有効ではないとされています。
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フランス、スイス、ドイツ、アメリカの例しか分かりませんが、悪魔祓いを願う需要がそこそこあるため、いくばくかの地域に1名以上の司祭によって提供されているようですね。 こんにちでは、カソリックの悪魔祓いは精神科医と仕事を分け合うまたは協力しあうような位置付けになっていて、見つめる先は悪霊の存在ではなく人の心の平穏を取り戻すことであると言えます。 教会参事会はどこも、悪魔祓いを習得した司祭をもっと増やすべきだ、と概ね考える傾向にあるようです。 精神科がはやるなら、悪魔祓いも必要なのですね。両輪という具合で。 ヨーロッパや北米よりも南米はおそらくあの気質から考えて、悪魔祓いは多いのだろうと推測します。 ローマカトリック教会のレジーナ・アポストロルム大学(Pontificio Ateneo Regina Apostolorum)神学科に、エクソシスト養成講座があるのは知っています。 これ面白いですよ。知らない人ですけれども、ノンフィクション作家さんのインタビューです。 http://gigazine.net/news/20110408_exorcist/
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- nyan_nyanko
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こんばんは > 記憶を消すというのは しようと思って容易にできるというものでもないと思うのですが それが出来てしまうのですね。 こういう場合というのは 内向性なのでしょうかね。 以下のサイトの「解離性障害とは」からまとめたものでした。”緊急避難的”になされるようです。 http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_dissociation.html 疫学上では、女性の方が5~9倍多いようです。また、日本は発症例では比較的少ないと言われています。 おそらく、内向性なのだと思います。 > ☆ ともかく《悪魔》と呼ばれる何ものかに寄り添おうとする。これは むつかしい。と感じたり考えたりする。 このため今度は そのつらい記憶を持つ自己に対する憎悪がつのる。 けれども この自己はおのれが守らねばならない。 よって 都合のわるい記憶を持つ部分としての自己を避け これを都合のよい部分の自己と分けようとする。 のかなぁ。 おそらく、そのような経緯ですすむものと推察しております。 > もしこうだとして この自己解離性なる状態から どうしてエクソシストに掛かりたい。直してもらいたい。と思うか? 《悪魔とそれを祓う》という捉え方のほうが よさそうに思える。のかなぁ。 カトリックというものが なおまだそれとして権威を持つという部分があってなのだろうか。 2つのケースが考えられます。 ・乖離したひと(患者さん)ではなく、ご家族の方が憑依したと訴える場合 ・患者さん自身が憑依したと疑ってやまない場合 これらに対処し得るのが、少なくともその当地では、カトリックだけなのかもしれません。 > 霊媒師とおなじことだという報告もあったわけですが それだとしたら きわめてふるいある種の《記憶》があって カトリックはカトリックの《伝統》を持っているというような――あまり 大したこととも思えない――ことなんですかねぇ。 特にイタリア等のカトリックの多いところでは、そうなってしまうのかもしれません。日本でしたら、祈祷師(神社など)などになるのかもしれません。 > あるいはぎゃくに見れば ひろくいくらかに分かれた精神分析学という医療が 必ずしも信用されていないのですかねぇ。 確かに、科学で理解しえないものがあるため(とはいえ、精神病の大半は実際そうなのですが)、精神分析学以外のところに頼ってしまうのかもしれません。 > しばらく開いていて 閉めようと思います。 どうもお疲れ様でした。
お礼
お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ 2つのケースが考えられます。 ・乖離したひと(患者さん)ではなく、ご家族の方が憑依したと訴える場合 ・患者さん自身が憑依したと疑ってやまない場合 これらに対処し得るのが、少なくともその当地では、カトリックだけなのかもしれません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これにはちょっと物言いがつくと思います。 つまり単純に言って そういうクセ(エートス)がまだ残っていたとしても すでに医学は進んで来ているとは分かっているはずだと思われるからです。家族にしても本人にしてもです。 部屋の中で机が飛び回ったのを見たなら しようがないとは思いますが。 ううーん。何やかや言っても やはり ★ 確かに、科学で理解しえないものがあるため ☆ というところに行きつくのでしょうか。とは思いました。さきほどの物言いも 弱いものであるようです。 ありがとうございました。
- nyan_nyanko
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こんばんは 情報源の提示のみに終始してしまい、どうも失礼致しました。 その前に、少し触れさせていただきますと、 > ☆ 日本でなら どうするか? まづこのような現象が起きるとは信じられないでしょうね。 日本では、すくなくともカトリックによる悪魔払いは一度もなされたことがないようです(ただし、準備は整えられているようではございますが)。 まず、どうして、多重人格なるものが現れるのか? なのですが、一応次のように説明されております。 ・災害、事故、暴行、性的虐待、長期にわたる監禁状態や戦闘体験などを経験 ↓ ・そのようなつらい体験によるダメージを避けるため、自己防衛的に精神(能)が緊急避難的に機能の一部を停止させる ↓ ・過去の記憶の一部が抜け落ちたり、知覚の一部を感じなくなったりする。また、稀に異常行動や、新たな人格の形成(多重人格障害、シャーマニズムなど)が引き起こされたりする(自己の同一性・アイデンティティの障害・乖離が生じる) そこで、前述致しましたが、 「背景には、イタリアの青少年の間に、悪魔崇拝者が増加している(2005年現在で5000人おり、その75%が17歳から25歳の若者)という事実がある。」 このことについて少し考えてみました。以下は、あくまで憶測の域は出ておりませんが・・・ ひとは悪魔を真に崇拝できるのか? これは断定しかねますが、おそらく通常ならば、崇拝し続けることは不可能と思われます。 このため、自己に対する憎悪、嫌悪心、これらからの自己防衛として”乖離性自己障害”が生じたものと思われました。 これはあくまで憶測にすぎませんが、ふとそう思った次第であります。 それでは、どうも失礼致しました。
お礼
こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 日本では、すくなくともカトリックによる悪魔払いは一度もなされたことがないようです(ただし、準備は整えられているようではございますが)。 ☆ へえ。ということは カトリックあるところ エクソシズムあり と成り得るわけのようですね。 ★ つらい体験によるダメージを避けるため、自己防衛的に精神(能)が緊急避難的に機能の一部を停止させる ☆ ふむ。《つらい体験の記憶を消す》ことを こころみる。わけですか。 記憶を消すというのは しようと思って容易にできるというものでもないと思うのですが それが出来てしまうのですね。 こういう場合というのは 内向性なのでしょうかね。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ひとは悪魔を真に崇拝できるのか? これは断定しかねますが、おそらく通常ならば、崇拝し続けることは不可能と思われます。 このため、自己に対する憎悪、嫌悪心、これらからの自己防衛として”乖離性自己障害”が生じたものと思われました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ともかく《悪魔》と呼ばれる何ものかに寄り添おうとする。これは むつかしい。と感じたり考えたりする。 このため今度は そのつらい記憶を持つ自己に対する憎悪がつのる。 けれども この自己はおのれが守らねばならない。 よって 都合のわるい記憶を持つ部分としての自己を避け これを都合のよい部分の自己と分けようとする。 のかなぁ。 もしこうだとして この自己解離性なる状態から どうしてエクソシストに掛かりたい。直してもらいたい。と思うか? 《悪魔とそれを祓う》という捉え方のほうが よさそうに思える。のかなぁ。 カトリックというものが なおまだそれとして権威を持つという部分があってなのだろうか。 霊媒師とおなじことだという報告もあったわけですが それだとしたら きわめてふるいある種の《記憶》があって カトリックはカトリックの《伝統》を持っているというような――あまり 大したこととも思えない――ことなんですかねぇ。 いや まだ分かりません。だれを責めるとか だれが真相をつきとめよとかいうたぐいの問題ではないようなのですが。 あるいはぎゃくに見れば ひろくいくらかに分かれた精神分析学という医療が 必ずしも信用されていないのですかねぇ。 これ以上は しかるべき探究としての回答が寄せられないかも分かりませんねぇ。 ありがとうございました。 しばらく開いていて 閉めようと思います。
- nyan_nyanko
- ベストアンサー率54% (27/50)
こんばんは 最も有名なのは、映画「エクソシスト」のモデルとなった「メリーランド悪魔憑依事件」かと思います。 メリーランド悪魔憑依事件 http://en.wikipedia.org/wiki/Robbie_Mannheim これの和訳だそうです。 http://www.geocities.jp/occult20100508/robbie_mannheim.txt ご紹介されております、http://en.wikipedia.org/wiki/Exorcism#Scientific_view にも記述がみられますが、dissociative identity disorder(乖離性同一性障害;多重人格)と集団ヒステリーの両方が認められたように思えました。 「Those who profess a belief in demonic possession have sometimes ascribed to possession the symptoms associated with physical or mental illnesses, such as hysteria, mania, psychosis, Tourette's syndrome, ”epilepsy, schizophrenia or dissociative identity disorder”. In cases of ”dissociative identity disorder” in which the alter personality is questioned as to its identity, 29% are reported to identify themselves as demons.」 一方、社会現象としては、以下のように、エクソシスムは増加傾向にあるようです。 「背景には、イタリアの青少年の間に、悪魔崇拝者が増加している(2005年現在で5000人おり、その75%が17歳から25歳の若者)という事実がある。」 ソース:http://mediasabor.jp/2008/01/post_305.html これは私見ではございますが、「患者が治癒すれば、何でもいい」と思っております。 それでは、どうも失礼致しました。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ▼ エクソシスト(悪魔祓い師)が足りない━ イタリア青少年の間に、悪魔崇拝者が増加 ~~~~~~~~~~~~~ 2008/01/19 イタリア在住ジャーナリスト 小池 弘美 「ローマ教皇、悪魔に宣戦布告」 ローマ教皇ベネディクト16世は、各司教区にエクソシスト(悪魔祓い師)を必要なだけ、少なくとも1人は配置する、と明らかにした。・・・ ~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《「ローマ教皇、悪魔に宣戦布告」》なのですね。こっそりそうするのではないのですね。分かりました。 なんともはや。 ★ これは私見ではございますが、「患者が治癒すれば、何でもいい」と思っております。 ☆ ということなのでしょうか。 ▼ (メリーランド悪魔憑依事件)~~~~~~~~~~~ ・・・例えば、ロビーが学校に行った時、彼の机がグラグラ動き、すーっと廊下に向かって滑り出してクラスメートの机に衝突した。レポートによれば、計48人がこのような信じがたい出来事を目撃した。 ・・・少年が使っている重たい椅子が独りでに傾いてひっくり返り、毛布を敷いたベッドに寝かせた少年の体が説明のつかないような動きで部屋中を動きまわった。この観察を考慮し、シュルツ牧師は少年の中に悪魔がいると結論付け、ルーテル派の悪魔祓い儀式を行った。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 日本でなら どうするか? まづこのような現象が起きるとは信じられないでしょうね。 ということで わたしの理解を超えています。 質問者ですから 考えるに どのように問い求めて行けばよいのか。これをおしえてもらわねばならないように思います。 へんな応答で申し訳ないです。
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
スッキリというか、さほど問題視していなかったもので、あらためて問われると、まあひっかかりはない程度でしょうか。 信じる人は霊障などを信じて恐れているので。私はそういう体験がありませんが、神秘には興味を抱く方ですから、シャーマニズムが現代社会に生きていたとしても、許容はできます。ヨガや気功なども、否定はしないですし、そっち系の事柄については寛容な方だと思います。 これらが、一種の無知、思考の未開性から来るのか、それとも神秘をもとめる性癖を、ある種の人々が持っている事によるのか、その両方が関与していると思いますし、幻想の具現化という意味では、シャーマニズムに興味はあります。 また、精神病や霊障と言った事柄で人々が苦しんでいるという現状を鑑みて、哲学的なアプローチによりその解消に役立つ知恵を導き出すことは可能で有ると思います。 脳科学から、シャーマニズムから、哲学から、いろんな方面から、これらの問題に取り組むことがなされると思います。 哲学的、心理学的アプローチからすれば、それら精神錯乱、憑き物の類は、自己の喪失というものではないかと考えています。自己を喪失することによって、自己のある場所に自己ならざるものが居座ってしまった状態ではないかと。
お礼
お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ これらが、一種の無知、思考の未開性から来るのか、それとも神秘をもとめる性癖を、ある種の人々が持っている事によるのか、その両方が関与していると思いますし、幻想の具現化という意味では、シャーマニズムに興味はあります。 ☆ ひとつに 現代においても医学を超える部分があるといったことでしょうか。 ひとつに それが《一種の無知、思考の未開性から来るのか》? たぶんそのような要素にかかわるところは 捨てられていくのでしょう。 それでも残るとしたら 《神秘をもとめる性癖》ともかかわってかどうか なお未知の分野としてつづくのかも分かりません。エクソシズムなる治療方法をのぞみ求める人びとがいるという事態ですよね。 《シャーマニズム》については かなり研究されて来ていると思っているのですけれどねぇ。 と言いますか 意志決定に困ったときに その判断を(またはそのための助言を)あおぐとき シャーマンに頼る。シャーマンは 意識を突き抜けたようにトランス状態に落ち入り 通常の感覚や意識ではなくなる。そこからここに戻って来て 求める判断を決める。答えを出す。 こういうことだと思っていましたが 霊媒師などは 《治療》をもおこなうのでしょうか。――いや やっぱり簡単には理解できません。 ★ 哲学的、心理学的アプローチからすれば、それら精神錯乱、憑き物の類は、自己の喪失というものではないかと考えています。自己を喪失することによって、自己のある場所に自己ならざるものが居座ってしまった状態ではないかと。 ☆ としますと では それが何故起こるか? でしょうね。問題は。 ミラーニューロン現象は ひとつの答えであるとは思っています。 相手の心理における不安やさらには錯乱の状態を 受け留めてやるこちらの側が ある種の憑き物状態になる。 これは 相手がすでに死者である場合には 怨霊だと考えられて来ました。生きている人からの場合は まさに生霊(いきりょう)です。 では そのような心神錯乱になぜ落ち入るのか? わたしは 理不尽な事態にあってそのことに甘んじなければならないという経験からくるのではないかと思っています。 なぜ理不尽なことが起きるのか? それは 《広い意味でのお二階さん――マナザシを上からそそぐ者――が 横暴を極めたとき》であるのではないか? マナザシをそそがれこれを受けとめる側にいて その無理難題を押し付けられるといった経験です。 そういうとき 事態をそして問題を 公開し公表することが ひとつの答えをみちびくのではないかとも考えています。皆の知るところとするということ。です。 いろいろ書きつけてしまいました。・・・
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
たとえば、オーストラリアの原住民には精霊を信じ、シャーマンのいる部族もあります。行ってしまえばエクソシストはキリスト教のシャーマンのような存在かと。 無論、精神科医は儀式などしませんが、生活矯正などはします。 エクソシズムの儀式が、有る程度有効なので、或いは有効と信じられているので、今も有るということなのでは。
お礼
★ エクソシズムの儀式が、有る程度有効なので、或いは有効と信じられているので、今も有るということなのでは。 ☆ ええ。ここは おっしゃるとおりのようです。直前のあまがっぱさんからも 《需要がある》とのことのようです。 こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ たとえば、オーストラリアの原住民には精霊を信じ、シャーマンのいる部族もあります。行ってしまえばエクソシストはキリスト教のシャーマンのような存在かと。 ☆ ええ。同じく直前の回答でおしえられ じっさいにエクソシストがエクソシズムをおこなう場に立ち会うことがゆるされたその体験を報告している記事を読みました。 その取材記者(日本人女性)によれば 日本の霊媒師などと同じだと言います。 あるいはまた わたしは もしまだエクソシストがいたなら それは ワチカンのあるイタリアだけに多いのかと思っていましたが そうでもないらしい。 人びとは 何となくすっきりしないという心理におそわれているのかも分かりません。(経済では資本主義への・政治ではお二階さんへの不信からでしょうね。あとは 個人的な身の回りの理不尽な経験などからでしょうね)。 道理で 中身は ただモヤモヤ・ワールドでふわふわ浮いてみてくださいというだけの小説たるムラカミハルキが売れるわけです。 現代には もうエクソシストはいないと思っていたのが 見事はづれて その現代の病理といったところと接触したようなかたちです。 この主題は じつは あまがっぱさんのご専門です。 これから もし問うとすれば どう問うかを考えねばなりません。まぁ 気長にまいります。 あ_ほなさんは この問いについて すっきりしましたか? もとからすっきりしていますか?
- ssssan
- ベストアンサー率18% (132/730)
キリスト教の神父.司教法王等がたまに悪魔祓いしたとかのニュースが有りますが確かに取り付かれた信者に悪魔祓いと言う取りついた悪霊払いしてるんでしょうがー日本の霊能者と比較したら能力.人数では敵いませんからー。 日本では神道系の陰陽師から仏教系のイタコから土着系の沖縄の霊能者から山伏系.アイヌ系.シャーマン系等の霊能者が揃ってます日本は、バチカンのキリスト教系のエクソシスト一系統とは分けが違います。 西欧も全く日本と同じ状態でしたが古代はそれを強制的に改宗ユダヤ教徒.キリスト教徒に神道たのが一系統しか悪魔祓い.霊能者が居ない原因です。余りにもローマの力が強すぎた為に。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 西欧も全く日本と同じ状態でしたが古代はそれを強制的に改宗ユダヤ教徒.キリスト教徒に神道たのが一系統しか悪魔祓い.霊能者が居ない原因です。余りにもローマの力が強すぎた為に。 ☆ 西欧は クリスティアニティ一色の中での《悪魔祓い》である。 日本では シントウ系やブディズム系などに分かれる。 ただそういう違いが 世界の各地については あるだけで どこも悪魔祓いをしていることは 同じである。 ――こういうことでしょうか? つまり カトリックのエクソシストについて 特殊なものと捉える必要はない。ということでしょうか? そうですね。 まづ 日本におけるそれは シントウとブディズムは おおむね融合しているのではありませんか? 土着系も山伏系も そうではありませんか? 陰陽師と言うなら 中国の影響もありましょうし。 アイヌ系は 独自でしょう。沖縄のは 日本と同じ系統でありつつ独自に発達したものでしょう。 次に日本の霊能者は 故人の霊を導き出して話をするほかに 悪霊払いも そんなにあたかも主要な仕事としているのでしょうか? 結論関係としましては 要するにこのような悪魔祓い・悪霊払いというのは 要らないのではないかという見方からの問いではあります。 内容そのものは それほど明らかにされてはいないのでしょうかね。
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
おそらくは、精神病患者を悪魔憑きと称し、それに対して型のある儀式を執り行うことで、患者の精神を正常に戻そうとしたのではないでしょうか。神社のお祓いのようなものと思われます。
お礼
ご回答をありがとうございます。 もしそうなら 現代では 精神神経科などの医療が出来ていますから もうエクソシストとしては 要らないですね。 でも あるそうですね まだ。医者がおこなっているということでしょうか? でも 儀式でしょう? 医者は そういうことはしないのでは?
- NemurinekoNya
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カトリックの《悪魔祓い》は、 すでに《悪魔》に取り憑かれている(?)bragelonneさんには、 ───仏教的に言えば、天魔の所業を繰り返す─── 絶対、効かないんだろうな~(笑い)。 で、《異端信仰》を持っていますので、《火炙り》。 死してもなお、《ゲヘナの炎》に焼かれる!! もっとも、ジャンヌ・ダルクの例がありますので、その後、 《聖人》に列さられるかもしれませんが・・・。 ではでは。
お礼
そうですね。 つらつら考えてみるに どうも――意識はしていないのですが―― キツネ憑きならぬオンナ憑きみたいなことですかねぇ。初恋からのものですが。 この憑き物は むしろ 世の中のあれこれの問題を考えろという方向へみちびく要素でもあるようです。 修道院に入っているのですが このキツネがもっとおまえさんは考えろと言って聞きません。 この女狐によってすでにとっくにゲヘナの炎は体験済みでして 《火の中をくぐり抜けて来た者のように》復活して来ています。へっへ。(あぁ ww と書けばよいのですね)。
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
おはようございます。 ☆かつて それとして聖職のひとつであったし その専任者がいたと言います。いまでもいるような いないような。 ◇います。 たまに、カトリックの《悪魔祓い》が行われた、というニュースを見聞きしますので。 たしか、慈悲深いカトリックの司教・司祭さまたちが《悪魔祓い》をしてくださるためには、本人───本人は悪魔ツキの状態なので、アレですが───と家族がカトリックに改宗する必要がある。 でないと、情深いカトリックの司教や司祭さまたちは、《悪魔祓い》をなさってくださらない。 お・そ・ら・く、最近何かと話題の moral and spiritual rebirth のためではなかろうかと・・・。 キリスト教は、悪魔や悪霊は存在する、としていますので・・・。 ───福音書の中で、イエスが悪魔や悪霊を追い出している!! この存在は否定できない。 これを否定することは、福音書の記述を否定することになる!!─── 実際、悪魔に取り憑かれている方に、カトリックの《悪魔祓い》が有効かどうかは不明ですけれど、 「自分は悪魔に取り憑かれている」という強い強迫観念に取り憑かれている人には、結構、その治療法として、カトリックの《悪魔祓い》の儀式───儀式、アレですね~───は有効らしいですよ。 心理療法の一つとして注目されている、という話を本などで読んだことがあります。 まっ、日本にも《狐憑き》があって、現代においても、なお、怪しげな儀式が行われていますので、カトリックのexorcismを笑ったりできないのですが・・・。 超高齢化社会を迎える日本では、痴呆症の方の増加にともない、《狐憑き》を訴える方も増え、怪しげな霊媒師や拝み屋サンたちなどにお金や財産を巻き上げられることも増加するのでしょう。 初期の段階だと思うのですけれど、痴呆症の方には、《狐憑き》を訴える方が実際にいらっしゃったりするらしい。そして、その被害にあわれたりする・・・。財産のほとんどを巻き上げられたりする。 結構、深刻な問題だと思いますよ、これは。 bragelonneさんだって、いつ《狐憑き》状態になるか、わからない。 実は、もう既に《悪魔》や《狐》が憑いているのかもわかりませんが(笑い)。 ではでは。
お礼
◇ 超高齢化社会を迎える日本では、痴呆症の方の増加にともない、《狐憑き》を訴える方も増え、怪しげな霊媒師や拝み屋サンたちなどにお金や財産を巻き上げられることも増加するのでしょう。 ☆ いかに世の中に疎いと言えども こんなことは情報が入っているかと思ったら――アルツハイマーしか――知らないですね。 風薫る佳き皐月の朝 お早うございます。ご回答をありがとうございます。 いるんですか。いまも エクソシストが。正式に。 わたしは そうは言っても やがて将来に社会の《ドンデン返し》が来るだろうと言って そのときには たとえば――あたかも聖書に描かれているようなかたちで――脚の不自由な人が その半分の人たちが すっくと立って歩くようになると思っています。とすれば わたしも 或る種のエクソシストか!? なるほど。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~ bragelonneさんだって、いつ《狐憑き》状態になるか、わからない。 実は、もう既に《悪魔》や《狐》が憑いているのかもわかりませんが(笑い)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ですからね。 まぁ わたしの場合は 世音を観ることに憑かれていますが。へっへ。 ◇ 福音書の中で、イエスが悪魔や悪霊を追い出している!! この存在は否定できない。 ☆ この記事について解説します。――何かと話題は出て来るものですね。 すなわち イエスの場合は むしろ向こう(その悪霊に取り憑かれたという人たち)から 何らかのかたちでイエスがイエスであるとさとられて 来ないでくれ 近寄らないでくれと言われたことが 象徴的だと考えられます。ことの本質を語っていると思われます。 すなわち どういうことか? すなわち すでにそのキツネ憑きの人たちが 自分たちのことを知っている。自分たちが 悪霊に憑かれているとそれぞれよく知っている。これが すべてです。 すなわち このキツネ憑きの人びとが すでに《われに還る》ことを知っている。せいぜい まだ憑き物の中に浸っていたいとでも思っていたというくらいのことでしょう。問題は。 わづかにイエスは その人びとの背中を押してやっただけだという意味です。 例のミラーニューロン現象でしょう。キツネ憑きの人は その憑き物のことを イエスという鏡の中に見た。しかもその男が 鏡になっているということを知った。鏡になれる存在だと知った。そういう人間がいると知った。 あとは キツネ憑きが自分たちでその状態にある自己了解を得た。われに還る寸前にまで来た。イエスが背中を押した。 もっともすぐさま即身成仏するとも限らない。まだなおあとへと尾を引く場合もある。それは 自己了解だけでは済まないという場合であり 言わば世界認識を果たさないと まだ自己の位置関係がさだまらない。 あるいは 世界における自己の立ち位置はさだまったと思うのだが その位置関係の相手側に対するいろんな意味での過去のいきさつを総括するようなごあいさつをまだ果たしていない。という思いが残っているなら――あたかもたましいの生まれ変わりにあたって 痣やほくろやシミソバカスなどの母斑がくっついて来ていて―― その解きほぐしがなお残っていた。という場合である。 このとき イエスは 触媒です。自分は何もしていない。変わりない。周りが化学反応を起こす。だけ。というふうにたとえられます。 これは イエスの人徳であり 非思考の庭におけるアートマンの電磁場の作用によるものだと言えましょう。 とすれば・こうだとすれば イエスは 別に《悪魔祓い》をしたわけではない。それを目的としていたわけではない。それを 仕事としているのではない。 けっきょく自浄作用という問題でしょう。自性清浄心ゆえ。 という哲学をなぜローマ教会は展開しないのか? 何が サクラメントの儀式だい? 何が《霊的に生まれ変われ》だ? バカも休み休み言いたまえと誰か しっかりはっきりと言ってやらないのかなぁ。 これは 無神論者のつとめ。ではないだろうか。 思わぬ展開になりました。
お礼
あまがっぱさん こんにちは。お久しぶりです。ご回答をありがとうございます。 そうですよね。あまがっぱさんに――なぜ 忘れていたのか?――お尋ねすればよかったんです。 ううーん。たぶん 精神疾患から――つまりこれは 半分は 世の中のクウキによって〔圧倒されて〕そうなってしまっている(なぜなら むしろそのクウキを引き受けることのほうが 相手との関係で 良心的な対応になると考えられる場合があるから)とわたしは勝手に思っているのですが これから――《悪魔憑き》への距離は わたしにとっては大きかった。からでしょうか。 というより 悪霊が憑いたといった状態が どういうものかが分からなかったということでしょうか。そういう表現をするだけだと見なしていた でしょうか。 ★ こんにちでは、カソリックの悪魔祓いは精神科医と仕事を分け合うまたは協力しあうような位置付けになっていて、見つめる先は悪霊の存在ではなく人の心の平穏を取り戻すことであると言えます。 ☆ ということは 病院での診察・治療のあたかも外に出されてしまったかたちなのでしょうか。 ただし 参考資料に紹介してもらったサイトの記事では その取材者は ▼ (島村菜津さん):シャーマニズムの日本におけるお祓いとか、コックリさんとか、狐憑きとか、狗神憑きとかっていうものとも、共通するものだと思うんです、・・・ ☆ とも見ているようですね。おまけに キリスト・イエスこそが エクソシストであったとも言っています。 《ノンフィクション作家さんのインタビュー》から抜き書きしておきます。 ▼ (現代の悪魔祓いの知られざる実態・・・) ~~~~~~ 【現代の悪魔祓いの知られざる実態、「エクソシスト急募」「エクソシストとの対話」の著者・島村菜津さんにインタビュー】 2011年04月08日 ・ 「悪魔は存在する。戦いに備えよ」ということで、バチカンにはエクソシスト養成講座が実在しており、 ★ ローマカトリック教会のレジーナ・アポストロルム大学(Pontificio Ateneo Regina Apostolorum)神学科に、エクソシスト養成講座があるのは知っています。 ・ 実際にイタリアでは悪魔祓いを必要とする人々が急増、エクソシストが不足したために、広く募集した時期もあったほど ★ 教会参事会はどこも、悪魔祓いを習得した司祭をもっと増やすべきだ、と概ね考える傾向にあるようです。 ・ 〔映画「ザ・ライト-エクソシストの真実-」には〕 キリスト教の宗教観に基づいて葬儀や悪魔の概念などがきっちりと作り込まれている ・=《ちゃんと初めて、カトリックの教理みたいなものに触れた初めての映画だと思います。(島村菜津さん)》 ・ 《〔悪魔なる〕対象は目に見えない存在なんですよ。(島村氏)》 ・ 《たとえば、赤い目で牙があって、馬にしろラバにしろ、とにかく獣染みた、人間の獣性みたいなところを悪魔の方に追いやることになるわけです。でもそれは、魂が動物にも生まれ変わるかもしれない東洋においては奇異に見えるかと思います。(同上)》 § 実際のエクソシストについて ・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 問い:《「お急ぎの方は、教区内の別のエクソシストをお探しください」(ある有名エクソシストの留守電メッセージ)とあるのですが、あれは本当なのでしょうか? 答え(島村):本当ですね(笑) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・ 《基本的に「無料」がモットーなので・・・実際にはもう、精神的に不安定な人も含めて、現代の医学では受け入れられない境界線の人たちがそこに押しかけているので、もうあたふたしてる感じです。》 ・ 《教理にも厳しく書いてあるのは、「利益を追求するようなことはあってはいけない」ということと、「その人(=エクソシスト)が人格的にいかに優れた人であるか」ということ。》 ☆(ぶらじゅろんぬ) あとは 興味のある人は このサイトを読んでもらいたいと思います。 ・ 《儀式という点でキリスト教の「悪魔祓い」は凄く良くできてる形だと思いました。太古から続くだけのものがあるんだろう、と。これはカトリック信仰の中では言えないことなのですけど、シャーマニズムの日本におけるお祓いとか、コックリさんとか、狐憑きとか、狗神憑きとかっていうものとも、共通するものだと思うんです、・・・》 ☆ といったような具体的な内容が明らかにされています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ううーん。 ちなみに まづ ▼ イエス・キリストは最強のエクソシストなのではないか? ☆ という見解については わたしは回答No.1でのやり取りで 悪魔祓いは自浄作用である・イエスは触媒であるといった見方を提出しています。 そうですね。ひとつには 次のような説明を聞いて思ったのは エクソシズムが続いているのは 単純に《こころが何らかの要因によって何らかのかたちで閉じられている》ことが 原因であり問題であるのではないかと感じました。 ▼ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (問い):・・・第9章「精神医療とエクソシズム」の中で、「心理学の場合、相談者のベクトルは個人の内的体験へ向かうけれど、『悪魔憑き』に分類された場合、ベクトルは外に向かう。相談者にも責任の一端はあるけど、すべて自分のせいってわけじゃない、という解釈じゃないかな」というローマ大学の心理学者アレッサンドロ・タミーノ教授が言っているというので、「なるほど、外向きに向かっているからっていうのがあるんだ」っていう解釈をしたんですが、これを聞いたときどうでしたか? (島村):それはあると思います。・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ぎゃくに言えば 何らかのかたちでとにかく心が開かれていればよいのではないか。自分の努力もあるでしょうし――そしてそれは むしろ目に見えない場への心の明けのようなこととしてだと思うのですが―― もっと簡単に互いに話し相手がいれば ずいぶん違うのではないかと思ったりします。 あるいはつまり マレーシャあたりでは――この情報は もう二十年ほども前だったと思いますが―― 例の《アモック》という出来事が起こると言います。人生のある時期 もうじゅうぶん大人になっているとき ある日突然 どこへともなく旅に出る。のだそうです。 あるいはけっきょく無造作にその言葉を使うなら ある日突然《発狂》するのだと聞きます。何の前触れもなくです。《アモック》と呼んだと思います。 つまり 特別に心や気持ちを抑制したから 抑制しつづけたから 精神の状態がはっきりしなくなるというのではなく そうではなく 人生の中で一度くらいは 日常性から解き放たれるときがあるといった単純な見方を 持ちました。そういう話が 思い出されました。 もうひとつ思ったことがあります。 《獣》とのかかわりがあるというインタビュー記事に出て来て思ったのですが それは 動物の屠殺や牛馬の死骸の処理などにかかわっていて その死のイメージが 心の中でうまく処理できなかった場合に あとになって心理の不安をうったえるのではないかです。 それは日本では 例の差別されるべき下等身分として制度に組み込まれるかたちで扱われた。一般の人びとは そのエタ・ヒニンなる身分の人びととの隔たりにおいて自分を位置させることに 気持ちの処理の仕方はゆだねられた。 もっともマレーシャでは どうなのか。知らないで言っているだけなのですが。 いづれにしましても エクソシズムの実態が ワチカンのあるイタリアだけではないというお話を聞いて どうも現代にあっても・あるいは現代においてこそとさえ思われるようなかたちで この一般的に言えば《精神における心理的な不安等の扱いと処理》の問題が 地面を這う霧のように迫り寄って来ているような感じをも受けました。 ううーん。どうなんですかねぇ。