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The Evidence of Choice as the Criterion of Mind
- This article discusses the concept of choice as a criterion of mind and the distinction between mental and non-mental agents.
- The author argues that while it may be difficult to determine whether a particular being belongs to the category of choosing or non-choosing agents, the distinction between the two is valid.
- The article also highlights the gradual manner in which choice arises and emphasizes that it is not possible to draw a clear line of demarcation between choosing and non-choosing agents.
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以下のとおりお答えします。 「心」に関する客体(あるいは表出体)の基準として「選択」の証拠(物件)を立てる際に、私は、この証拠の構成素の精巧な分析に取りかかる必要があるとは思いません。後続の章では、選択の生理機能もしくは客体的実相と私が呼ぶものを、完全に扱うこととします。その章で、選択(または精神的要素)が段階的な仕方で生起することを理解されることでしょう。選ぶか選ばないかの作用因の間に限定的な境界線を引くことは、実際には、まず不可能です。 したがってこの段階の探求では、常に、常識というものが精神的作用因と非精神的作用因とのどちらかを引き出してきたり、また引き出すであろうような区別を示唆するものとしておいて、私自身は通常の術語の語義の中に安んじて留まっていたいと思います。川の流れがどのコースを選ぶかとか、地球が太陽のまわりを回るのにどの点で楕円を選ぶかなどは正確に言うことができません。 それと同様に、例えば計算機の操作のように―非精神的と認識される作用因については、操作がいかに複雑であっても、―あるいはその行為の結果を予言することがいかに不可能であっても、私たちはそのような操作または行為が、選択性に基づくとは言いません。私たちは操作や行為のためにこの用語を保存しておきましょう。いかに単純であろうと、またいかに容易であろうと、これらの行為の非機械的な性質によって精神的であると証明される作用因によって実行されても、すでに精神的なものとして認識されている作用因―例えば非機械的な、または選択の性質しかないと感じられるような予知不能の性質をもった他の行為を行なうことですでに精神的であると証明されている作用因―によって実行されたのならば、結果は予知され得るのです。 また、選択と非選択からいずれかを選ぶこの常識的な区別が有効なものであることに合理的な疑いはあり得ません。たとえ、特殊な場合で、2つの範疇のうちのどちらが割り当てられるべきかを決定することが困難または不可能であっても、この難しさは分類の有効性には影響しません。―それは例えば、カブトガニが、カニに分類されるべきか、あるいはサソリに分類されるかどうか決定する難しさが、クモ綱類から甲殻類を区別する分類の有効性に影響しないのと大同小異です。 以上、ご回答まで。(Arachnidaは、Arachnidと見て訳しました。)