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貴方が死んだら世界(宇宙?)は無くなるでしょうか?
私が死んだら私にとって世界も宇宙も無いも同然です。 人によっては 例えば唯心論でしょうか? 自分が死んだら世界もなくなると断言する人もいます。 でも他人が死んでも世界も宇宙も殆ど変わりなく存在します。 このことについてどう思われますか? 貴方の考えをお聞かせください。この認識は大きな問題だと思います。 人生観にも大きな影響を及ぼすでしょう。 当方病気のため長文が苦手なので できれば簡潔にお願いします。m(_ _)m
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自分が死んだら世界もなくなるというのは、実存主義者の考え方の一部だったと記憶しています。 自分が死んだら、死んだ自分は世界がなくなることを認識できません。自分が死のうが他者が死のうが、生者の生活は平常どおり続きます。我々は、この現実を家族や友人などの他者の死によって学ぶわけです。 自分が死んでも世界はなくなりません。自分が亡くなるだけです。
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- a_hona
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この問いに答えるためには、死とはなにか、世界とは何かについて考えてからではないと答えられないでしょう。 死して人は何も残らないだろうか?灰になるだけだろうか。私は、人が死した後は言葉が残ると考えています。 言葉となって、世界を漂い、また新たな現象として存在を顕す時が来るのではないかと。 世界は唯物的にできているのではなく、精神的にも、つまり言葉としての存在があると思っています。 宇宙に意識があるとはいいませんが、精神でも肉体でもないものがたくさん漂っているのではないかと。 我々も死して後は、そのように漂うものとなり、また何かの折に現象に宿るのではないでしょうか。 このような一種の転生観を私は持っているといえるでしょう。
お礼
精神でも肉体でもないもの と言うものが在るのでしょうか? 私は人間が死んだら言葉などの性質の影響が残ると思っています 体はタンパク質と骨などの塊になり 焼かれて炭になる。遺骨になります。 転生は人類の夢ですが 一度散ってしまったものがまた集まることはないのではないでしょうか? どうもありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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#6の者です。 「自分が死んでも宇宙で続く」という場合の 『自分』とは、肉体としてのものです。 「自分が死ねば宇宙も消える」という場合の 『自分』とは、宇宙(心+社会生命としての 自覚化+自我仮説の相補としての環境=博愛) です。 しかし人は、どれだけ言っても、すぐに肉体と しての自己に引き戻され、「自分が死んだら 宇宙が消えるなら自己中心的になる」などと 倒錯した感情を抱くのです。
お礼
>『自分』とは、宇宙(心+社会生命としての自覚化+自我仮説の相補としての環境=博愛) この宇宙というのは英語のなんでしょうか?英語もよく知りませんが 宇宙に心とか自覚かとか環境 と言うような=博愛があるのか? 宇宙って何の事を言っているのでしょうか? 人間の小宇宙の事でしょうか?でそれはものの喩えで 人間と宇宙は別物だと思います。いかに広く認識しようとも 実際の宇宙の一面を見ているだけでしょう? 先生の考えは分かります 私とは違うようですが どうも大変ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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まず、あなたが感じている「世界」が、脳の中のものに過ぎ ない事を理解して下さい。 次に、その「脳の中の世界」の外に、認識性とは独立した 存在性がある事を証明して下さい。 ちなみに物理学はそれができず、「認識される事で有限な 存在性は二次的に派生する」という結論に至っています。 電子を1個ずつ、2本のスリットを通してその向うのスクリーン に飛ばすと、その1個ずつの痕跡が描くのは、2本の線では なく干渉縞なのです=1個の電子が同時に2つのスリットを 通って、自分自身の確率性同士で干渉しているのです。 日常生活の与える「素朴唯物論」的な世界像は、物理の いたる所で破綻しており、量子論的世界像なしで、この世界 の正確な理解は不能になっています(相対論における絶対 時空の否定、量子論における人間原理)。
お礼
私は貴方 p兄貴先生を随分勉強もされ 持論を持たれ 何時も勉強させて頂いている事をありがたく思っています。 ただどんなに凄い思想家でもなかなか完全ではありえない 人間考え過ぎると限りなくバカな結論に到達すると言ったのは土田よしこだと思います。漫画家です。 理論的には私が死ねば無くなる筈のこの世界(宇宙)が貴方にとってはけして無くならないと言うことは貴方に判る筈です。 私が死んでも貴方が死んでもこの宇宙が無くならないという事が最も確からしいと私は思います。 飽くまでも確からしいですが。 私にとっては死ねば宇宙との関係も自分自身も無くなりますから、私にとっては宇宙もなくなったも同然ですが、私の両親も兄妹も友達も生き残って私が居た世界は続いていく事でしょう。 自分が死んだら宇宙もなくなるでは 自分の死後に向けての努力、未来に向けての努力が考えられなくなりはしませんか? 貴方の物理学や人間に関する認識には敬意を払います。しかし真実が一つならば 誰が死んでも宇宙は無くならないと私は思っています。 この質問はこう書く事が予想されて、そこを知りたくてした質問です。 どうもありがとうございます。今後とも宜しくお願いしますm(_ _)m
- 0fool0
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判っている事は、貴方の心は、「外界に支配」されています
お礼
? 私の心が ですか? 外界に支配されている。 他の人もですか? それとも僕がですか? よく分からないですねえ。支配されてるというか大いに影響されてるでしょうねえ 支配するというと擬人的になるのでしょうか? 外界に支配されてるから 僕が死んでも外界は残る ですかね ありがとうございます。
- stmim
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地球上にはたくさん生き物がいますよね。 例えばネズミとか。ネズミのどれか1個体が死ぬと世界が消えると思いますか?消えないですよね。 地球には人間という生物が50億個体ほどいます。この個体のどれかが消えると世界は消えると思いますか? 私は多くの人間の死というものを見たり聞いたりしました。でも世界が消えたという話は聞きません。 ですから、人間の1個体であるあなたが死んでも世界は消えないと思います。 そもそも世界はあなたが作ったのですか?自分が作ったものでもない世界がなんであなたが死ぬと消えるのですか? あなたが死ぬことによってあなたが世界を認識できなくなるだけです。
お礼
成る程共感できるお話です。 私もそのように思います 哲学的というよりは実に当たり前の話ですね 当たり前の話しか世の中には通らない という言葉が浮かびます どうも大変ありがとうございます。
- urigadai2013
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認識論上の対立が観念論と実在論、存在論上の対立が唯心論と唯物論。 自分が死んだら、認識論上の観念論に立つ考えの人にとっては自分が死ぬとともに世界も、宇宙も消滅する。 認識論上の実在論に立つ考えにとっては自分が死んでも、単に認識できなくなるということで、それとは無関係に世界も、宇宙も存在し続ける。 それに対して、存在論上の唯心論に立つ考えの人にとって、世界や宇宙は心によって成り立っているのだから、自分が死んで心もなくなると考えると、世界も宇宙も存在しなくなる。 しかし、唯心論にとって死というのはあり得ないと考える人にとっては心だけは自分の死とは関係なく存続し、世界や宇宙も存在し続ける。 存在論上の唯物論の立場に立つ人にとって、世界や宇宙は物質からできており、心なんて存在しないから、自分が死んだとしても物質は他の物質に変化して存続するから、同じように世界も宇宙も存在し続ける。 唯物論にとって死という概念は誤解であって、エネルギー保存の法則と同様、物質そのものは減ったり、増加することはなく、一定だ。 あなたがどの立場を選択するかによって、自分が死んだら世界や宇宙が消滅すると考えることもできるし、逆に、自分が死んでもそれとは無関係に世界や宇宙は存在し続けると考えることもできる。 そして、認識論上の観念論と存在論上の唯心論を組み合わせて、自分が死ぬということを否定してもよいし、また認識論上の実在論と存在論上の唯物論を組み合わせて、心なんてないし、心がなければ自分が死ぬこともないし、ただ他の物質に変化すると思えば、世界や宇宙は物質だけが存在し、物質は永遠に存続すると考えることもできる。 どの立場をとるかはあなたの選択次第だ。 ちなみに、現代の科学・物理学は認識論的には実在論、存在論的には唯物論に立っている。
お礼
成る程 観念論、実在論と唯心論、唯物論ですね 僕も哲学科に行けてたらそう言う勉強をしたかったですねえ しかし真実は一つなのではないでしょうか? 科学の立場に立つか 自分なりの思想信条を持って真実を見極めたいものです。 どうも大変ありがとうございます。
- nantamann
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鴨長明 方丈記 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/975_15935.html 幸若舞、敦盛 人間五十年 下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか 一生懸命生きたのが自分の証。他人に求めることではありません。 豊臣秀吉 露と落ち露と消えにし我が身かな浪花の事は夢のまた夢 どうにもならないことがある。 無常でありもののあわれです。儚いながらも何かを残さん。残照も日が暮れればそれも消える。何も残さないは悪ではない。徳があれば人々の心に残るが人類の滅亡と共に消える。すべてが宇宙の気ままの一瞬の現象にすぎません。人の思いに対し宇宙の摂理は厳然。なお、宇宙にも寿命があり消滅すると考えられています。
お礼
人生はうたかたの様に儚いものですねえ 露と落ちたならば消え去るのでしょう 人も微かに消え去り 人の心に残ればそれだけ残る 人が死んでも宇宙は消えないという立場ですね どうもありがとうございます。
- togakushi
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>貴方の考えをお聞かせください。 自分の周りには小宇宙があるという認識ですかね。 小宇宙という言葉の定義としては自分が認識できる範囲の世界の事とします。 僕は人が集まり人それぞれ持ちあわせる小宇宙の集合体として宇宙(この場合は宇宙全体ですかね)が構成されると考えると非常にすんなり納得できます。 小さな泡が一つ一つ集まって巨大な泡を作っているイメージ。 仮に僕が死んだら小宇宙としての僕の存在は消えます。大きな変化だし、僕の周囲に接している身近な小宇宙を持つ他人にも影響を与えます。 でも自分から遠く離れた赤の他人には全く影響を与えません。10000が9999になったのと同じくらいで宇宙に対して変化をもたらさないでしょう。 そんな感じかな
お礼
物質世界と精神世界と別なのでしょうね 回答者様は精神世界のことを語られてあるのでしょうね 泡のようなものが集まって巨大な泡になってるイメージというのは成る程ですね。 つまり自分が消えても後の泡が残るということですね どうもありがとうございます。
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お礼
模範解答を書きましたねえ 詰まる所その通りだと思います 果たしてベストアンサーになるか 否か? どうも大変ありがとうございます。