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般若心経と南無妙法蓮華経

  教えて下さい。 どちらがより仏教的と言えますか。 どちらがより仏の教えに近いと言えますか。  

みんなの回答

  • 3355Teach
  • ベストアンサー率11% (12/101)
回答No.10

『大般若経』のエッセンスを凝縮した、本来は経でもない『般若心』と、佛教以外のものも取り入れて編纂された『妙法蓮華経』を比べても無意味です。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.9

まあ、ご自身がご自身の主観で判じて良いのだとおっしゃるのでしたらば、そう言うことになるのでしょう。私は慧能を仏だと思っておりますので、異なる判断となりますが。何を信じて、何を信じないかもそれぞれに異なることです。ですから、あなたの判断も、あなた自身で尊重されるのは当然といえば当然でしょう。

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.8

こんばんは 歌詠み様(^-^) 人間が自分の思うようにならないと苦しむ生病老死を克服するには お釈迦様はどう教えを説かれたのだろうということですね 般若心経にあるように知彗によって成すのか?妙法蓮華経にあるように法華経によって成すのか? たぶん 色々な状況で自分の思うようにならないと苦しむのですから 状況に応じて使い分けるのでしょう 例えると 病気により対処の仕方が違うというような事だと思います 遣り過ぎは 副作用に注意しなければいけません 病気でない人はいらないと思います 春になりましたね~ 鶯がホーホケキョと鳴いていました いいですね ん・・・ホーホケキョ ホー法・華・経 ホー法華経 閃きました 日蓮上人も鶯の鳴き声があまりにも心地良かったので 法華経と唱えて鶯のようになって欲しいと願ったのかもしれません ホー法・華・経 鶯さん春の訪れアリガト!(´▽`)

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.7

そうですね、私も正法を理解したわけではないのでなんとも言えないのですが、邪宗というのは早合点なきもしますね。六祖壇経にも書いてあることですし。

utayomi_2011
質問者

お礼

>六祖壇経にも書いてあることですし。 ある教えが正法であるか邪法であるかは、どこどこにそのことが記されているから正法である邪法であるなどと決めるべきではないでしょう。 私はあくまでも自分の正直な意思、思い、論理に基づいて判断します。  

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.6

諸仏世尊はただ一大事によってのみ世に出現したまう これが、法華経の正法と言われています。

utayomi_2011
質問者

お礼

>諸仏世尊はただ一大事によってのみ世に出現したまう その考え正法ではなく、明らかに邪宗である。 仏とは常にこの世の出来事を見計らってくれているものです。 そして一大事が起こらぬようにするのが仏の役目でしょう。   

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.5

どちらも理を伝えようと表したもの どちらも釈尊の以降の時代のもの 釈尊は書も像も何も残す事は無かった それは理はその外にあるから

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.4

般若心経と南無妙法蓮華経 >どちらがより仏教的と言えますか。 ○仏教には神秘性と合理性の2面があるのです。「般若心経」は神秘性の面が強く出ているように思います。(注:一般的な見方です。修行者から見れば般若心経の方がより合理的(科学的)に見えることもあります。) 一方、「法華経 」は割に合理的な面が多いように思います。(注:上記の注同様に逆の見方もあります。) この仏教の2面性は仏教的秘技の面を強く出している毘盧遮那仏(大日如来)と救世主的な救済仏的側面を強く出している阿弥陀如来として表現されています。 ということでどちらも仏教的ですね。 >どちらがより仏の教えに近いと言えますか。 ○仏教は誰にでもわかりやすい面と霊界の知識や秘密の面があります。このうち、霊界の知識や秘密の面を知り得ることがより仏に近くなるという意味では、神秘の面を論じた般若心経がより仏教の真髄に近いと言えるかもしれませんね。 でもね、実は、その詳しい歴史的な説明内容が法華経の本当の教えなんですよ。でも文章では説明が難しい内容なんですね。

noname#195588
noname#195588
回答No.3

般若心経はスマナサーラの 『般若心経は間違い?』 という本を読んでみるといいかもです。 それでどう思うか。 法華経のほうは 法華経 勧持品第十三 手持ちの現代語訳を引用するのは面倒なので漢文だけ。 『こいつらはブッダになるんだってよ』は T0262_.09.0036c12: 爲斯所輕言 汝等皆是佛 このあたりだろうか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ T0262_.09.0036b21: 唯願不爲慮 於佛滅度後 T0262_.09.0036b22: 恐怖惡世中 我等當廣説 T0262_.09.0036b23: 有諸無智人 惡口罵詈等 T0262_.09.0036b24: 及11加刀杖者 我等皆當忍 T0262_.09.0036b25: 惡世中比丘 邪智心諂曲 T0262_.09.0036b26: 未得謂爲得 我慢心充滿 T0262_.09.0036b27: 或有12阿練若 納衣在空閑 T0262_.09.0036b28: 自謂行眞道 輕賤人間者 T0262_.09.0036b29: 貪著利養故 與白衣説法 T0262_.09.0036b30: 爲世所恭敬 如六通羅漢 T0262_.09.0036c01: 是人懷惡心 常念世俗事 T0262_.09.0036c02: 假名阿練若 好出我等過 T0262_.09.0036c03: 而作如是言 此諸比丘等 T0262_.09.0036c04: 爲貪利養故 説外道論13議 T0262_.09.0036c05: 自作此經典 誑惑世間人 T0262_.09.0036c06: 爲求名聞故 分別於是經 T0262_.09.0036c07: 常在大衆中 欲毀我等故 T0262_.09.0036c08: 向國王大臣 婆羅門居士 T0262_.09.0036c09: 及餘比丘衆 誹謗説我惡 T0262_.09.0036c10: 14謂是邪見人 説外道論*議 T0262_.09.0036c11: 我等敬佛故 悉忍是諸惡 T0262_.09.0036c12: 爲斯所輕言 汝等皆是佛 T0262_.09.0036c13: 如此輕慢言 皆當忍受之 T0262_.09.0036c14: 濁劫惡世中 多有諸恐怖 T0262_.09.0036c15: 惡鬼入其身 罵詈毀辱我 T0262_.09.0036c16: 我等敬信佛 當著忍辱鎧 T0262_.09.0036c17: 爲説是經故 忍此諸難事 T0262_.09.0036c18: 我不愛身命 但惜無上道 T0262_.09.0036c19: 我等於來世 護持佛所囑 T0262_.09.0036c20: 世尊自當知 濁世惡比丘 T0262_.09.0036c21: 不知佛方便 隨宜所説法 T0262_.09.0036c22: 惡口而15顰蹙 數數見擯出 T0262_.09.0036c23: 遠離於塔寺 如是等衆惡 T0262_.09.0036c24: 念佛告勅故 皆當忍是事 T0262_.09.0036c25: 諸聚落城邑 其有求法者 T0262_.09.0036c26: 我皆到其所 説佛所囑法 T0262_.09.0036c27: 我是世尊使 處衆無所畏 T0262_.09.0036c28: 我當善説法 願佛安隱住 T0262_.09.0036c29: 我於世尊前 諸來十方佛 T0262_.09.0037a01: 發如是誓言 佛自知我心 T0262_.09.0037a02: 1妙法蓮華經卷第四 http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=0262_,09,0036&nonum=&kaeri= ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

utayomi_2011
質問者

お礼

  >『こいつらはブッダになるんだってよ』は T0262_.09.0036c12: 爲斯所輕言 汝等皆是佛 このあたりだろうか。 何やら修羅の世界を感じて参りました。 畜生の匂いが漂って参りました。 仏が遠ざかって行くのを感じております。 南妙法蓮華経、やっぱ邪教なのかな。  

  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.2

この場合の仏の教えというのは、釈迦の教えを意味するのでしょうか? いずれも大乗仏教の経典です。成立時期を比較してみると。 釈迦の生誕(紀元前500年頃) 法華経の成立(紀元前後くらい)(南無妙法蓮華経は鳩摩羅什が翻訳した版の法華経のこと) 般若心教(現存しているのは7世紀の経典) いずれも釈迦の死後だいぶ時間を経過してから「釈迦はこんなこと考えていたんじゃないかな?」という感じで成立したものです。仏陀の考えに近いことを知りたければパーリ語経典ではないでしょうか。例えばスッタニパータ、ダンマパダとか。 役にたたない回答になってしまいました。 二つの経典でどちらが?という質問ですよね。 般若心経は短い経典ですし、よく読まれているのは日本だけですよね。偽経説もあるし。成立状況がよくわかっていない経典です。 南無妙法蓮華経のほうは大乗仏教の本格的な経典です。

utayomi_2011
質問者

お礼

>この場合の仏の教えというのは、釈迦の教えを意味するのでしょうか? 神仏という言葉があります。 その中の仏を指します。   >南無妙法蓮華経のほうは大乗仏教の本格的な経典です。 大乗と小乗にあっては、南無妙法蓮華経は小乗であると一般には考えられているようです。  

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.1

私の聴いたところでは、般若心経は補助経典であるということ、法華経は、経典の中の経典と言われるということ、です。 経典には、正法と呼ばれる、十数文字から数十文字よりなる記述部分があり、それを理解すると覚ることができると言われています。釈尊の原始経典や、大乗の勝鬘経、維摩経、他には金剛般若経、六祖壇経などにも正法の記述があるとされます。 一方般若心経は、空の理解を助けるための経典で、そこに正法の記述はありません。それで補助経典と呼ばれます。 従って、これらの事実からすれば、法華経の方が、大事な経典ということになるでしょうか。

utayomi_2011
質問者

お礼

ありがとうございました。   >経典には、正法と呼ばれる、十数文字から数十文字よりなる記述部分があり、それを理解すると覚ることができると言われています。 その記述部分は何と書かれていますか。  

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