大久保利通と江藤新平(佐賀の乱)
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佐賀の乱の顛末を参考書や小説で読むと、大久保利通と江藤新平との間には、解説されているような「江藤新平の反薩長」という構図だけでは説明できない特別の確執があったように感じます。特に、江藤新平の最期「斬首の上、さらし首」というのは、異常ですし、大久保利通の日記の「江藤醜態笑止なり」という記述は、二人の間の異常なまでの人間関係(特に、大久保利通が過剰なまでに意識していた感じがします。……これは、私の個人的な印象)を強く感じさせます。
(1) 上記の、私の「個人的な印象」を、賛否は別として、あなたは、どのように考えますか?その理由も含めて教えて下さい。
(私の個人的な見解)
「意気は豪邁なり。議論は精確にして、和漢上下古今に出入りす。抱負の大なること測る可からざる者有り。」三条実美の側近を務めた土方久元による江藤新平評だそうです。私は、大久保利通が、この江藤新平の才能を、卑近な表現をすると、『国家にとってではなく、「自分の立場にとって好ましくない」と、「恐れていた」のではないか』と思っているのですが、このことと合わせて、ご回答いただければありがたいです。
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また、「大久保利通は、江藤新平を罠にかけるため、佐賀の不平士族に対して挑発行為を行っていた」と解説している参考書があります。
(2) 大久保利通は、佐賀の不平士族に対して、「江藤新平を罠にはめる」ため、具体的に、どのような挑発行為を行っていたのでしょうか?
(3) 江藤新平の帰郷に際して、同じ佐賀出身の大隈重信は、帰郷を中止するよう説得していたようですが、江藤新平は、情勢が読めなかったのでしょうか?