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貴方が変わった出来事(一言?)は何ですか?
人生は短いようで長いと思います 長い人生の中では挫折の時もあれば、この世の春もあるかもしれません そのどちらにも自分を変えた出来事や一言 或いは人がいたのではないでしょうか。 今のあなたに至るまでに 普通の時でも構いませんが 自分が変わったその記憶に残る 出来事 一言 人を教えてくれませんか? 私なら高校時代に尊敬していた生徒会長に 立候補してくれと口説き落とされたことかもしれません。 どうかよろしくお願いします。
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>今のあなたに至るまでに 普通の時でも構いませんが 自分が変わったその記憶に残る 出来事 一言 人を教えてくれませんか? ⇒もう「化石人間」と言われるかもしれないほどのロートルです。長い間にいろいろありました。ですから、簡単には語り尽せませんが、その中からあえて1つだけを申します。 終戦後の大食料難の時代に育ち盛りを過ごしました。中学3年の頃は、1日3食満足に食べられませんでした。毎日お腹を空かせていました。食べられそうなものは何でも「試食」しました。桑の実や野いちごは最高級のご馳走でした。ツツジの花をまとめて頬張ると、口の中がピンクに染まったものです。 植物だけではありません。イナゴやタニシは一大珍味です。ドジョウやヘビは飛びきりの滋養食です。ハチの子やイモムシの類だって、こんがり炙れば香ばしい味がします。燻製仕立てなら、もうほとんどグルメの世界です! パールバックの『大地』を読んで感動したのはこの頃です。その大地(中国)が飢饉に襲われると、「草1本も」生えなくなる。農民は、食べるものが何もなくなり、ついには、「な、何とドロを食べる」のです。そのくだりを読んで、いかに勇気づけられたことか! 「オレはまだ、ドロは食ってない。ドロを食うまでには間がある。当分の間、餓死することはあるまい」、と…。 おかげで、少々の空腹には動じなくなりました。そして、現在、まあまあ人並みの暮しをしております。 以上、恥さらしのような、「自分を変えた出来事」でしたが、ご回答まで。
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- urigadai2013
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18歳の時にショーペンハウワーの主著「意志と表象としての世界」を読んで世界が180度ひっくり返ったことです。 通勤電車の中でかれの本を毎日読んでいて、ある個所を読んでホームに降りた時に目の前にせん光が走り、世界がそれまでと全く別のように見えてきました。 ちなみにその箇所を引用します、 「無限の空間に無数の光る球があり、その一つ一つの周りを、およそ1ダースほどの照らし出された小さい球がグルグル回っているが、その内部は熱く、堅くて、冷たい皮におおわれており、その皮の上でこれを覆っているカビが、認識する生命体を生み出した・・・これが経験的真理、実在であり、世界である。けれどもこの生命体は無限の空間で思いのままに漂うあの無数の球の上に存在して、どこから来て、どこへ行くかを知らず、休む間もなく迅速に生成消滅をくりかえしつつ、初めも終わりもない時間の中で押し合いへし合い苦しむ数えきれない似たような存在の一つに過ぎない」 実に壮大なヴィジョンです。 人間など太陽系の小さな惑星の上のカビに過ぎないと言っています。 そのカビに過ぎない人間が、押し合いへし合いしながら、自分がどこから来たかも知らず、どこへ行くかも知らず、生成消滅を繰り返している。 それが世界であり、真理だと言っています。 それを読んでショックを受けました。 人間として生きるって何だろう、と思いました。 私が哲学書を読むようになったのは、そのショーペンハウワーの本を読んだのがきっかけです。 なぜ、この世界は存在しているのだろう、という疑問を解き明かすのが私の生涯の課題になりました。 アリストテレスは哲学はこの世界が存在していることへの驚きから始まると言っています。 たしかにその通りで、世界が存在しているという以上の謎はありません。 形而上学の問いとして「なぜ何もないのではなく、何かが在るのか?」という問題があります。 世界は存在しなくたって良かった、にもかかわらず世界は存在しています。 これほどの不思議なことがあるでしょうか? この問題は私だけでなく、誰でも考えるらしく、最近ジム・ホルトという人が「世界はなぜあるのか?」という本で、いろいろな哲学者・科学者の説を動員して探究しています。 科学的には今から137億年前にたった1個の素粒子から世界が存在するようになったとされています。 それ以前は何もなかったことになります。 だったら、何もなくたって良かったはずです。 どうして1個の素粒子が誕生したのか? その素粒子がなかったら、私もあなたも存在しなかったはずです。 そんなことを考えるにつけ、この世界が存在していることは限りなく不可解な、不思議なことです。 私が存在していることも謎ですが、世界が存在していることはもっと謎です。 そう思いませんか?
お礼
確かに青年の日にその文章を読めば目が開けたような気持ちになると思います。 私はもう青年ではないので私なりの感想は この宇宙や世界が存在することに理由などないのではないでしょうか? 存在の定義も難しいですが 存在しているという事実があるだけです そしてこの世は存在したもん勝ちのせめぎ合いをやって、存在をせめぎ合ってる。 小さな球の表面に生えたカビも存在をせめぎ合い アイデンティティを持って存続しようとするものが多いです。 しかしこの問のテーマである「貴方が変わった出来事」という意味では 僕も同じような気持ちはあります 高校で倫理社会を習い 先生から参考書を何冊ももらって読んだ驚き。 世界とは人間とはこの様に存在するのか という驚きはありました 私が持論に行き着いた時にも在りました。 哲学的光で目が眩むような思いをしたという経験は大切だと思います どうも貴重な体験を大変ありがとうございます☆
- Mokuzo100nenn
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「酒は飲むべし飲まれるべからず。」 この言葉を聞いて、納得して、実践して、楽しい人生が送れるようになりました。 若い時は飲まれちゃってたからねぇ。
お礼
気を晴らしたい時に酒 失望した時に酒 酒は人生にはつきものですねえ 元旦は屠蘇から始まります 今日は久々に飲もうかなあ 酒は飲むべし 飲まれるべからず。 成る程 人生の極意かもしれませんねえ どうも大変ありがとうございます。
ご質問を読んでから、一日ほど考えてみました。 複雑な家庭で育ったので、自分のことは自分で考える、常に”万人に認められる”正しい行動をしてゆくことを心がける、この二点が、生活信条でした。保身のためですね。 独身のときは、これでよかったんですが、結婚して、夫と一緒にパートナーを育ててゆく課程で、どうしても無理が出てきまして、最終的には、結婚カウンセラーにかかって、そこで言われた一言で、ずいぶん、気が楽になりました。 ”これからは、自分のやってみたいことだけ、してゆきなさい。やりたくないことは、しなくて、よろしい”というお言葉で、それまでは、”そんな自分勝手な。。。”と否定的になりがちな価値観でしたが、結婚生活に役に立つなら。。。と、現在でも実行しています。 それまでしたことのなかった朝寝坊もできるようになりました。
お礼
成る程 僕もそう言う所があります 僕の場合やりたくてやってるのか やるべきと思ってやってるのか よく分からなくなってしまいましたが しかし確かに ここまで来たら悔いを残さないように やりたようにやりたいと思います。 どうも大変ありがとうございます。
- kurinal
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yuniko99様、こんばんは。 ちょっと趣旨が違うかもしれませんが、 「人権の主張は、異なる他者の人権を侵害しない限りにおいて可能である」 ・・・まあ、他にもいろいろありますけれど、 後は、「確からしさ」ということについて、でしょうか。 「この世に100%正しいというのは、数学的な証明くらいで、 後は、「どれくらい正しいかな?」といったことに過ぎない」 「純金」と呼ばれるものだって、「フォー・ナイン」と言われる、 99.9999%が「最高級」であって、100%ではない。 いずれも、本で仕入れた知識(言葉)です。 「ただ1人、犀の角のように歩め」というのも、そうですね。
お礼
「人権の主張は・・・」はなるほど納得ですねえ 確かに。 人間が完全な真理を見いだせるとは僕も思わなくなりました。 心理を追求することが出来るのみです ただ1人、犀の角のように歩みたいものです ども大変ありがとうございます。
- ino_tazi
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自分が不幸だとか、どうして私だけ…なんてネガティブになった時期がありました。 そんなときにある人から「勘違いする生き方」を学びました。どんな辛いことでも見方を変えればどうってことなくなるという超絶ポジティブな考え方です笑 たとえば「これやっといて」なんて苦手な人に言われたら「どうして私が」じゃなくて「頼られている!」と勘違いするのです。 その考えで、人の悪いところよりいいところを見るようになりましたし、ポジティブな生き方ができるようになりました
お礼
いい話ですねえ。 勘違いでも役に立てばポジティブな生き方になる。 勘違いでもしないとやってられない事もありますよね 病気をしてるとよく「神様は耐えられる人にしか試練を与えない」と言われますが そう思って頑張れば 堪えられるのかも知れませんねえ。 成る程ガッテン合点です。 どうも大変ありがとうございます☆
お礼
恐れ入りました。ひもじい思いをした人と 空腹を知らない 飽食の世代とは芯が違うのかもしれません。 パールバックの「大地」ですか。読んでません。 父が言うには 農家の女性がお産を終えたらそのまま畑に出て農作業をしたと聞いております。 これは恥さらしどころか、現代への教えではないでしょうか 僕もこの質問をしてよかったと感謝しております どうも大変ありがとうございます☆