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あなたの忘れられない傷ついた一言は・・・

タイトルにもありますが、「あなたの忘れられない傷ついた一言」は何でしょうか? ちなみに私の忘れられない傷ついた一言は、中学生の時にクラスの女番長から自分の顔に関して色々と酷い事を言われ、最終的に一言「あんたそんな顔してたらこれからの人生絶対うまくいかないよ。整形することをオススメするよ(笑)」と言われました。別にナルシストというわけではありませんが、自分の顔について悪く言われたのがこの時初めてだったので、強く印象に残っています。 私の例を参考にするかしないかどちらでもかまいません。皆様の傷ついた一言を教えて下さい。宜しくお願い致します。

みんなの回答

  • LOLIPON35
  • ベストアンサー率30% (861/2837)
回答No.7

高校生の時(1) 女子「あんじゃあね~ってどういう意味だろ?」 僕「案ずることはないって意味だと思う」 女子「○○って、実は頭いいんだ!?」 「実はって、どういう意味じゃ~!? 普段どんな風に見てたんじゃ~!?」( ゜Д゜)/ って思いました…orz。 ちなみに、「あんじゃあね~」って、 「大丈夫」って意味のグンマー方言です。 高校生の時(2) どこかから入って来た小学生が校庭で 騒いでいるのを見ていて、ちょっと不良っぽく…。 僕「チッ、うるせーガキどもが…」 女子「○○はそういうセリフは言っちゃダメだよ!」 「たしかにガラにもないセリフかもしれないけど! 僕って人畜無害!?男としてカウントされてない!?」( ゜Д゜)/ って思ってしまいました…orz。

  • 31192525
  • ベストアンサー率19% (709/3566)
回答No.6

tikimomさん、こんにちは。  今を去ること30年ほど前に言われた言葉です。 『○○くんは優しいけど・・・それだけね』

noname#204018
noname#204018
回答No.5

我が子の出産。誰しも喜ばしいその日、妻が口にした一言で、これほどまでに自分が傷つけられるとは思っていませんでした。 若くして結婚して、5年ほど二人だけの新婚生活を楽しんできて、30歳を機に子供を授かってもちろん、妻も私も人生の最大の幸福感を味わっていました。 妊娠中の労苦をねぎらう言葉をいくつも並べて「ありがとう。大変だったね」と いう私に妻が最初に言った言葉は 「私、生まれてはじめて人を愛することの意味がわかったわ」 一瞬、私はその言葉の意味が理解できませんでした。 少なくとも、私たち夫婦は愛し合ってきて、その愛した人の子を産んでうれしいというのが世の中の夫婦だと思っていました。 しかし、子供を産んではじめて、妻は「自分より大事な命」があることを知ったというのでしょう。 「俺のことを愛してくれていたのじゃないのか?」 私は、恋人と別れ傷心の妻を慰め、はずみで深い仲になって結婚まできてしまった過去を振り返りました。そして、何か大きな間違いを犯したのではないかと、そのときはじめて気が付きました。 夫を愛せない妻は、夫の愛を理解できない妻でもあり、妻に愛を与えられない夫は妻と幸福を分かち合えない夫でした。 妻は、「私を愛しているのなら、もっと私に尽くしてよ」と要求する女でした。私は妻が大好きだったから、妻のためにさまざまなことをした。けれど、人生の価値観や趣味や好みが大きく違っていて、私がよかれと思うことは、少しも彼女の心を満たさなかったのです。 子はかすがい。子供への愛の強さは、妻も私も変わらず、それだけでその後16年夫婦であり続けて振り返ると、妻は私の知らないところに立っていました。 「私、生まれてはじめて人を愛することの意味がわかったわ」 これは、まるでホラー映画の一言のように私の心の中でいつまでもこだましていました。過去の愛、そして将来の愛の不毛を暗示するような言葉に、私は絶望的なまでに傷つけられました。

  • catra
  • ベストアンサー率23% (67/291)
回答No.4

私が小学校2年生の時です。 私の家の庭に、割と珍しいらしい「きず(木酢)」という木があって、小ぶりのカボスに似た実を毎年つけてました。 うちでは「きず」が生ると「きず湯」にして蜂蜜を入れて飲んだり、料理の調味料にしたりして昔から使ってました。 なので私は「きず」というのは誰でも知ってると思ったんですが、友達に話していたら誰も知らなかったので、ちょうど生っていたきずの実を3つ、学校に持って行ったんです。 でも友達は「こんなの知らない。熟れてないみかんじゃないか」と言って信用しなかったので、担任の先生に見せました。 すると先生は 「先生もこんなの知りません。『きず』というのはとても貴重なものなのであなたの家になど生えているわけがありません。知ったかぶりをして友達を騙してはいけない」 と言って私をクラス全員の前で叱りました。 クラスの中から「『ゆず』ならお店で売ってるの見たことあるー!」という声がすると先生は 「〇〇さんはよく知ってますね。ゆずなら先生も知ってますよ。でも『きず』が生ってるなんていう嘘つきは初めてです」 と言いました。 私は本当に「きず」を持って行ったのに「騙した」「嘘つき」と呼ばれたのが悲しくて悲しくて… 学校が大嫌いになって登校拒否気味になりました。 その後進級・進学して教師が変わっても、教師を信用する気になれなくなりました。 あの時の「嘘つき」の一言が今も心に刺さっています。

回答No.3

小学校3年生のときです 2年生・3年生と同じ先生が担任でした ある日、ちょっとしたミスをしてくよくよしていたら先生が「失敗は成功のもと」と言って励ましてくれました それを家に帰っておかんに話すと「アホか?失敗は失敗のもとじゃ」って こういう大人にはなりたくないと決心しました

回答No.2

そうですね。 まぁ、「傷ついた」というより「ムカついた」程度かも知れませんが 忘れられない一言を。 昔、9年程、働いていた大阪支店が閉鎖になり 東京本店に行くか辞めるかという状況になりました。 しかし、私の母親が病気であり、嫁さんの親も年老いており 私自身も東京行きは、あまり気乗りしなかったので退社しました。 そして、仕方無く、他社へ何とかもぐり込みましたが それまでは、小さな部署とはいえ責任者であったのが ペーペースタートになり、給与、労働時間、休日等の条件がかなり悪くなりました。 それはまぁ、仕方無いにしても ある日、上司になった人と世間話をしていた時に 「あんたのしょうもない嫁さんとしょうもない子供」と言われました。 この世で最も大事に思っている対象の事を 例え軽口とはいえ、そう言われて 内心「こいつ殺してやろうか」と思いましたが 転職そうそうケンカする訳にも行かず我慢しました。 でもまぁ、その後、一生懸命働いてから転勤になった時に その上司の音頭で送別会を開いて貰ったのは皮肉でした。

  • haiji1996
  • ベストアンサー率14% (232/1633)
回答No.1

母に『ハイジなんて一生幸せになれない』って何度も言われました。 当時はずいぶん傷つきましたが、なんで母がそんな事言うのか、今はわかりました。 母は、自分が幸せじゃなかったんです。父に愛されていなかったから。 だから同じ女の私に対抗意識を持ち、自分が幸せじゃないから、私にも幸せになって欲しくなかったんです。だから、今は母の事、哀れにしか思いません。だって、私は愛を知り幸せになれたから。まあ、哀れに思えるのと、許せるかどうかは、別問題ですが。 母親でさえ、私に対抗意識持つんだから、他人の多くの女性が私に対抗意識を持つ理由がよくわかります。幸せじゃないんですね、そういう人は。だから、他人の不幸を願う。だから、今もそういう人に嫌がらせを受けても、傷つかず、怒らず、哀れな人なのね、って冷静に流せるのは、ある意味メリットでしょうか。。とポジティブに考えています。その、クラスの女番長も、絶対、幸せじゃなかったんですよ。幸せな人はそんな事人に言いませんから。