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比喩的表現は観念的なのですか?
教えてください。 たとえば、「豚のような鼻」 これは観念的なのですか? 観念的とは、「椅子がしゃべった」とかのことを言うのではないのでしょうか?
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比喩には直喩と隠喩(もしくは暗喩とも呼ぶ)があることは既に説明もされていますので省略しますが、典型的な「直喩」を示す表現は「~のような」のケースです。一方の「隠喩」これは殊の他に難しいともいえ、大雑把にいえば「別の表現で示す」との形になります。 さて、「豚のような鼻」この表記を少し詳細に観てみます。「豚のような」とありますから、形式からすれば直喩になりますが、このままでは解決できたともいえないでしょう。この表現をもっと具体的に書くならばどうなるかとの疑問がわきます。 「豚のようにみえる鼻」とのニュアンスならば、それは観た人の印象ですから、質問者様が仰るとおりに観念的な表現となります。 なぜ観念的かといえば、人によって印象は異なるとの部分を斟酌せねばいけないとの問題が一方にはあるからです。 ある人は豚のように見えると「感じて」も、別の人からすればそうではないかもしれません。感じてしまったならばそれ以上は突っ込みのできる問題ではなくなってしまいます。辞書どおりの解釈を行ってもそれだけで文章を読解できることにはなりません。
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- cxe28284
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観念的とは現実を無視して抽象的、空想的に考える様。「観念的な論文」対義語は実践的 よく使われるのは、物事に対する考え。見解。の意味 経済観念に欠ける。固定観念。責任観念 豚のような鼻がどうなのか解らないので観念とは言い難いと思います。 椅子がしゃべったのでどうなったのか分かりませんので、観念とは言わないでしょう。
- princelilac
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どちらも比喩だと思います。直喩と隠喩の差だと思います。 実験や観察、データなどの具体的な事例を示さずに、自分の意見だけで展開されるような意見です。つまり「何があったか」ではなく、「事実はさておいて、どう思うか」というのが「観念的」な意見です。 実例としては、歴史的な事実や経緯を無視して、それには基づかないで持論の歴史観を主張し、相手にもそれを強要するようなことを「観念的」と言います。中国や韓国の言葉は「認識」という言葉に訳されています。 「椅子がしゃべったことをどう思うか?」とすれば、観念的な質問ですね。この場合「実際に椅子がしゃったかどうか」は議論の中に入りません。
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