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固定観念とは何で決まるか

固定観念とは何で決まるでしょうか? 野球の例でいうと、小さい頃から英才教育を受けて優秀な成績を修めてる選手ほど、固定観念で頭ガチガチで言う事を聞かせにくく、将来は伸び難い…かというとそうとも限りません。 そういう選手でも、凄く素直で監督の言う事をしっかりと聞き、間違っていそうな考えでも従う選手もいます。陸上の高橋尚子選手等がそうです。 ではそうでない選手はどうしてそうなるのでしょう。 今までの練習法で結果を出せたから固定観念が強くなるとも事もありますし、 色んな練習法を試しても全く結果が出なかったからこそ、固定観念ガチガチで新しい知識を吸収出来ないという事も当然あります。 また言う事をきかないからといって、その人は固定観念でガチガチで素直じゃないのかというとそうでもないかと思います。 前の監督を凄く信頼してるからこそ、言う事を聞かないのかも知れませんし、素直過ぎて色んな人間の言う事を信じてしまい、結局どれを信じてよいか分からなくなってしまい、言う事を聞かないというタイプもいます。 一般には、知識量=固定観念の強さ、となりますが、やはりそれ以外の要素もあります。何があるでしょうか?

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回答No.4

おはようございます。 少し前置き。 「固定観念」という言葉に対してわたしが持つイメージが あなたの定義する「固定観念」と どこまで一致しているのか分からないので、 ズレた回答になってしまうかもしれませんが、 「わたしのイメージする『固定観念』」について話してみたいと思います。 まず。 固定観念というのは、ものごと・現象を、ある側面からだけ眺め、 他の側面から見ることをしない状態、 とも言えるのではないかと思います。 思考を停止させた状態、とも言えそうです。 なぜ思考が停止するのかというと、 無数にあるはずの選択肢を見ないからではないかと思います。 なぜ無数にあるはずの選択肢を見ないのかというと、 それまで(多くの場合、大切な人から)受け取ってきた価値観を 大切にしたいから、壊されたくないから、ではないかと思います。 別の側面から眺め、新しい価値観を得る、ということは、 それまで大切にしてきた価値観が揺れる可能性があり、 そのことによって、自分の「生」に疑問を持ったり、 不安定になったりする可能性があり、これはかなりのリスクです。 大切なものを怖し、新しいものを作るのには、 かなりのパワーが必要です。 それよりも自分が大切にしてきたものに安住するほうがラクです。 このようにして視野が狭くなり、他の考え方ができなくなったときに 「固定観念」が生まれるのではないかと思います。 もうひとつ考えられるのは、 その人がそれまでに吸収したものを基に育てられた「固定観念」、 以外の、別の側面からものごと・現象を眺めたとき、 多くの選択肢の中から「自分で選択する」というのにも、 かなりのパワーが必要です。 自分で選択した結果、どうなるのか予測できないという不安もありますし、 自分で選択するのですから、責任もとらなくてはいけなくなります。 固定観念は、心地よい毛布にもなり、窮屈な檻にもなりそうです。 ご質問は「固定観念とは何で決まるか」ということでしたね。 どれだけ自由を持っているか、 どれだけ視野を持っているか、 どれだけ好奇心を持っているか、 どれだけ恐怖心を持っているか、あるいは どれだけ安心しているか、あるいは どれだけ受け入れられるか、 どのような生き方を好むか、 といったところだと思います。

noname#78932
質問者

お礼

有難う御座います。 >新しい価値観を得る、ということは、それまで大切にしてきた価値観が揺れる可能性があり、そのことによって、自分の「生」に疑問を持ったり、不安定になったりする可能性があり、これはかなりのリスクです。 つまり、固定観念の強い人とは優しいのかも知れないし、勇気がない人とも言えますね。 >固定観念は、心地よい毛布にもなり、窮屈な檻にもなりそうです こんな話を聞いた事があります。 目の前にリンゴがあるとします。 それはどこからどこまでがリンゴか? 腐っていてもリンゴなのか?  粉々に分解してもそれはリンゴというのか? どんな味がしてもリンゴなのか? …と、当然人間にそれはわかりません。 でも私達はそれをリンゴと認識しています。何故か? 人は何かしら意味(固定観念)をつけないと何も出来ないし、落ち着かないから。現実逃避と言えなくもありません。 とにかく人は安心感を得たいから固定観念を持ちます。そして、それを崩すには当然固定観念が強い程パワーが要りますね。 と、こんな風に考えている内に頭が整理されました。どうも。^^ 「どれだけ安心しているか」、これはあまり気付き難い視点ですよね。

その他の回答 (4)

  • doorakanai
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回答No.5

固定観念が強い=人の助言を聞かない、として 自分が世界一と思い込んでる (俺様に指図すんのかてめー) 情報処理が下手 (色々言われてわけわからん) 向学心に乏しい (小学校の先生に言われたから、もう知ってるの) 記憶力がない (そもそも聞いてない) 人の話を自分にのみ都合よく解釈する (「もっと筋トレしろ」「俺をシュワルツネッガーにする気なのね 顔もいいからしょうがないか♪少しはやったげるけど やっぱり走り込みを重視するよ 俳優とか知事とかならないし♪」) こんなもんですか

noname#78932
質問者

お礼

有難う御座います。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.3

知識は道具であってそれ以上でも以下でもないという事じゃないでしょうか。 知識という道具をどう使うかはその人次第であり、知識量や概念の内容自体は問題ではないと思います。

noname#78932
質問者

お礼

有難うございます。 知識があっても知恵が無いと無駄ってとこですか。

  • h1r0s13
  • ベストアンサー率12% (61/497)
回答No.2

固定観念とは、すなわち我「我執」です。 知識量=固定観念ではありません。むしろその逆です。 話はすっ飛びますが、あなたは八次元如来界に何名おられるか知っていますか。 それは500名たらずです。 ちなみにあなたはこの地球系霊団の総人口を知っていますか。 それはおよそ440億人です。当然あなたもその中の一人です。 あなたは知識量=唯物史観の狭い、三次元空間の中での固定観念ではないのですか。 どの人もそうですけれど、スピリチュアルな体験をなされたら、その唯物論は、一瞬にしてひっくり返ります。 これだけは経験なされた人にしか解りません。

noname#78932
質問者

お礼

有難う御座います。 やはり知識量の無さ=固定観念となりますか。 「八次元如来界」、「地球系霊団」、「唯物史観」、「三次元空間」… これらの意味がさっぱり分からないのですが、何か瞑想とか関係するのでしょうか? 今興味持ってるのですが。

  • pacman05
  • ベストアンサー率28% (15/52)
回答No.1

人がどれだけ説明してもどのような例をあげても自己の主張を変えないような状態が固定観念だと思います。 根拠も理由もないような、思い込み・先入観などから固定観念になることが多いので、 知識量=固定観念の強さ  ではなく 知識量のなさ=固定観念の強さ だと思うのですがどうでしょうか?

noname#78932
質問者

お礼

>思い込み・先入観などから固定観念になることが多い 確かにそうですね。知識の少ない人間に限って「あれはこれは駄目だ」とか否定ばっかりしてるのを見かけました。 有難う御座います。

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