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神功皇后は実在しましたか?

実在したと自信がある人は根拠を書いてください。 神話だったとかいう人も何がどう神話だったと考えるのか?書いてください。 注意 なお神功皇后を侮辱する発言は禁止します。

みんなの回答

  • 31192525
  • ベストアンサー率19% (705/3542)
回答No.6

vyhhimukoさん、こんにちは。  まだ締め切っていませんね。  福岡県や下関に来られたことはありますか? 有名な神社という神社は神功皇后(オキナガタラシヒメ)や応神天皇をお祀りしています。あるいは、その土地で言ったセリフや業績が地名になっているところは無数にあり、これほどの「証跡」が有るのだから、実在を疑うべきではないと思っています。  http://himeluna.exblog.jp/i8/  その名も綾杉るなサンのブログです。  http://kashiigu.com/publics/index/84/  橿日宮跡地です。  http://www.miyajidake.or.jp/  なお、現在神功実在の設定で小説を書いていまして、そのお許しを得に宮地嶽神社にお参りに行きました。おみくじの「御神託」は大吉(笑)。願いは叶うそうです。  もっとも、新羅王族の血を引く神功皇后が新羅遠征したとは考えにくいとは思いますけど。船のことを挙げている回答者さんもいますが、三世紀の倭人は半島南部へ鉄を獲りに行っていましたし、中国南部(呉越)とも交流があったらしく、問題ないと思います。(「倭人伝を読む」 森浩一編 より)

回答No.5

その実在が疑問視されている事はご承知の上でのご質問かと思います。 その前提で、僕の私見を述べたいと思いますが、実在した可能性はゼロではなく、むしろ戦後ですね。戦前までの古代史では、記紀の記述をそのまま信じて…という事だったのですが、先の戦争の後ですね。自由な研究が保障され、神功皇后の実在は、一気に疑問視される流れとなったのですが… ただ、どうなんでしょうね。 国家の正史たる『日本書紀』ですね。全30巻のうちで、独立した巻(巻9)で、天皇ではなく、皇后として独立した一巻に伝承がおさめられる神功皇后は、少なくとも書紀編纂時点では、神功皇后を伝える史料が、編纂室に豊富に存在していた事は確かなのでしょう。 そして、神功皇后の次世代ですね。巻10におさめられる応神天皇ということで、この時代から、加速度的に対外関係の記述が増えて行くんです。 そして、それを裏付けるかのように、応神朝の強固な対外姿勢は、徐々に裏付けられているといったところで、神功皇后あるいは応神天皇は実在の人物であるとするには、史料の絶対量が不足している部分は、率直に認めますが、それにしても、独立した巻をもつ、神功皇后の実在を、肯定的に見て行った方が、最近の歴史評価では有益な視点になりつつあることも確かなのかな?とは思っています。

回答No.4

神功皇后が生きていたのは3世紀後半とされますが、考古学的にみて神功皇后の事歴を裏付ける証拠はいまのところ確認されていません。 また、出産を石で押さえたとか、ありえそうもない事歴が記録されていることもあって邪馬台国の女王、台与や後世の女性天皇をモデルの創作されたと考えるのが一般的です。

  • hambe21
  • ベストアンサー率33% (5/15)
回答No.3

神功皇后は「仲哀天皇の皇后」で「応神天皇の母」ですが、両者は別人だと思います。 応神天皇は新王朝の始祖で、万世一系にするために両者を同一人物にしたと思います。 個人的には、神功皇后が仲哀天皇を殺し、後継者の応神天皇の代に旧王朝を滅ぼしたのかもしれません。 実質初代ですが、その功績は大っぴらに言えないので、三韓征伐という別の功績にすり替えたのではないでしょうか。 そうなると、女性ということも疑わしいかもしれませんね。 旧王朝と新王朝をつなげるには女性である必要があったのでは。 これって侮辱ですか?

  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1223/4397)
回答No.2

 奈良の大和西大寺駅から北におよそ15分歩けば神功皇后陵です。。 お墓があるということは実在の人物だと思います。 そうじゃないと、私は架空の人物のお墓参りをしたことになります(笑)  質問者さんは神功皇后に限らず陵墓を参拝したことがありますか? もしも参拝したことがなければ一度参拝してみてください。実在したと自信がつきますよ(笑)

vyhhimuko
質問者

お礼

そうですね。 私も存在したと思います。 いい回答ありがとうございます。

回答No.1

真実は神のみぞ知る です

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