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謎の世紀

神武天皇から応神天皇の出現までを謎の世紀と言われています。全部が神話だと言ってしまうと取り付く島がないが、現実を投影した姿があるはずです。その中に、崇神天皇、神功皇后、倭建命、吉備津彦命、倭姫命などが登場します。なかでも、神武東征、崇神出生、熊襲征伐、三韓征伐、応神出生などのミステリーもある。邪馬台国との関係も気になります。 この謎の世紀について、皆さんの持論や推論および学説などをお聞きしたい。

みんなの回答

  • chiha2525
  • ベストアンサー率10% (245/2384)
回答No.4

魏志倭人伝を読んだ以外はつまんだ程度ですが、おおよそ次のように思っています。 3世紀初め。神武が日向に居たころ、南九州の狗奴国が勢力拡大、日向を追われて北へ。北九州には例の邪馬台国連合、ここに保護される。邪馬台国連合は岡山あたりまで、数年(数ヶ月?)タダ飯を食った神武たちは疎まれて、その東に土地がまだあるから行けと追い出される。 大阪に上陸も先住者に追い返され、和歌山あたりで船が遭難、山賊のようなことをしていたら一緒に畿内の奴を殺らないかと誘われ、先住者の王を殺して土地をゲット。 3世紀半ば(240~)、南九州の狗奴国が北九州まで拡大、魏に助けを求めるも邪馬台国消滅。 3世紀終わり~4世紀半ば、崇神が畿内の権力者の代表にまでのし上がり、全国制覇へ。九州は狗奴国の子孫が熊襲と呼ばれ討たれる。 4世紀終わり、国内(今で言う西日本)がほぼまとまり、神功皇后が三韓征伐。実際には百済と新羅に勝つも高麗(高句麗)に負けて敗退。 日本書紀(古事記)のモチーフの1つは、繰り返しだと思っています。あまり私以外が言っているのを聞かないのですが、同じ事を2度づつ書いているのですね。おそらく多くの2度の記述は実際には1度しかなかったことで、実際に2度あったのは最後のほうのと、もしかしたら間の幾つか程度なのでしょう。 ただ、歴史は繰り返すみたいなことを伝えたかった可能性はあると思います。

titelist1
質問者

お礼

要約すると。古事記と日本書記に大嘘は無い。邪馬台国は北九州にあった。邪馬台国は大和国の元ではない。卑弥呼は天照ではない。ありがとうございました。

titelist1
質問者

補足

大和のような内陸地の豪族がどうして全国制覇できたのかが疑問なのです。

回答No.3

ヤマトってのはヘブライ語らしいですね って事は古代の日本人はヘブライ人だったのでしょうか? 崇神天皇をヤマトタケルだとすれば姉が卑弥呼だった事になります 魏志倭人伝では邪馬台国の女王の弟がヤマトの大王だと書かれていますし 私は初代の天皇は仁徳か継体かなと思っています それ以前は天皇の正当性を誇示するためにこの時代の人々が作った神話だと思ってます

回答No.2

まったくの素人ですが ヤマタイ国のあと戦乱が起こってその後の時期で 大陸ももめてる時期だったのかな 列島では複数の国があり、完全にはまとまっていない状態で 日本書紀の編纂段階で 正統性のこともあるし、1つの系譜にしちゃえ! という流れだと思います なので個々の事象に関しては誇張等はあれど基本的に事実からの話で 血縁等々は都合でいびつになっているのではないでしょうか 完全にめちゃくちゃと言うわけではなく、正統な大和朝廷の筋に その他のネタが肉付けされてるイメージです まったく論外だったらスルーしてくださいね 素人なので

noname#212854
noname#212854
回答No.1

宮内庁が管理している古墳群を、一日も早く開けましょう。 神話の嘘と誠の一部が明確になります。 明らかになるべきことが明らかになってから、議論を始めるべきかと思います。 古墳を開けることができないのは戦前の国内体制の名残りでしょう。 しかし、象徴天皇制は1942年の米国の東アジア戦略であることが分かっているのだから、時代錯誤だねー。

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