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騎馬民族征服?三韓征伐の神功皇后が夫余の出身?

Korean Impact on Japanese Culture (Japan's Hidden History) http://www.hanbooks.com/korimonjapcu.html という本に影響を受けたというオーストラリア人から、天皇陛下は元々は朝鮮半島の出身者であると言われました。この本は読んで無いのですが、江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説がもとで書かれているようです。 騎馬民族征服王朝説に関しては私なりに調べ、弓の形状が違ったり、天皇陛下の行事に騎馬に関連する行事が一切無い事、また遺跡などからも支配者が大きく変わったという形跡が無いことなど例に挙げて否定していたのですが、納得させるまでには至っていません。 その本の主張としては「神功皇后は朝鮮半島北部の皇女であった。それを日本書紀は皇后を日本人だと思わせる為に三韓征伐の出発地点を九州であると歪曲した。」ということで、その根拠として下記の件を挙げています。 (1)神功皇后が誓いを立てた場所が最北部の鴨緑江という、日本人であれば誰も聞いたことも無いような河であること。 (2)三韓征伐の最初の地点がKoryong (Taegu)現在の大邱(?)という場所で、そこから南下して行くのだが、敵地である南部朝鮮半島をどうやって安全に渡って大邱まで来たのか? 日本の学者の間では江上氏の騎馬民族征服王朝説はほぼ否定されているとのことですが、上記の点についての反論はあるのでしょうか?それともこの点は未だに解明されていないのでしょうか? このような過去の事は完全に立証する事は難しいし、憶測や推察がどうしても含まれる以上はそれぞれの解釈で、誰もが信じたいように信じればいいとは思います。しかし韓国は韓国起源説を大々的に国家戦略として行っていて、英語圏には彼らの主張は山のようにありますが、日本側の見解は殆ど目にすることはありません。このようなことが延々続いて行けばいずれは韓国の見解が主流の世の中になってしまうのでは?と危惧しています。 もし上記の点で日本が反論できる要素があるのであれば、ぜひ教えて下さい。 以上よろしくお願いします。

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回答No.8

日本書紀、古事記を見れば簡単に反論できると思います 海外の人はこの本は難しくて読めないようです ですので、頓珍漢な説を出していますね 神功皇后の系図も出ていますが、母方の祖先の一人が朝鮮人だっただけで神功皇后は開化天皇の子孫です 鴨緑江は日清戦争などでなじみがありますが、そんなところまで行ったのですか? その外国人は日清戦争や日露戦争と三韓征伐を混同している可能性がありますね >敵地である南部朝鮮半島をどうやって安全に渡って大邱まで来たのか? 記紀どころか朝鮮の文献にすら目を通していないですね それより以前から朝鮮と日本には交流がありました 簡単にいうと話にすらならないですね 日本人なら記紀を見ればそれらの事には簡単に反論できるので、外国人ならではの妄想でしょう それと秦氏などの渡来人のことに関してもきちんと書かれています 応神天皇は朝鮮半島で窮地に陥っている秦氏を助けました だから応神天皇の墓の中には西洋産の献上物(ガスス製品など)もあります

  • 54721
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回答No.7

>>(2)  (2)への反論ですが、弁韓(伽耶、加羅、狗邪韓、任那とも)は倭の同盟国(一説に日本府)  だったんですよ?その知人はそんな初歩的な事も知らなかったのでしょうか?別に同盟国を  攻撃する理由なんて無いでしょうから、辰韓の支配域の「大邱」周辺までは単なる通路だった  のでは?、当時は半島に倭人も沢山住んでいましたから彼等が引き入れたのでしょうね?  中国の文献にも当時の朝鮮半島南部には刺青を入れた倭人が沢山住んで居たと書かれてます。  それに倭国の軍事力は相当強大でした、海を渡った倭軍は新羅の都を何度も攻め城を包囲  しています、朝鮮の文献にそう書かれています。  あと朝鮮の文献に、タバナ国出身者が辰韓(新羅)の王様に成ったという話が有ります。  タバナ国とは倭国の事では無いか?と一般には言われています、つまり邪馬台国、又は  但馬国辺りでしょうか?古代半島と倭が密接な関係にあったのは事実です。  これが違うならば朝鮮や中国の史書が誤っていたと言う事になりますね?そのタバナ国産まれ  の王の名は「脱解尼師今」と言います。    まあ、その知人に言わせれば、実際に新羅征伐をしたのは、その「弁韓」の人々で、それに協力  したか、目撃していた半島の倭人の伝承等が天皇家に受け継がれたと考える事も出来ると言う  主張なのでしょう。  オキナガタラシ姫(神功皇后)も弁韓か百済か新羅の豪族の出身だった可能性があると…それも  それで立派な一つの仮説です。 韓国人や中国人でも正しい歴史認識を持ってる人もいますし、歴史認識が 偏っていても馬鹿みたいな陰謀論で武装せず相手をちゃんと尊敬しながら 理路整然とした話し合いの出来る人だって居ます。 自国の歴史教育に疑問が有れば自国の文献だけでなく周辺各国の歴史を 公平に調べれば良いのです。 まあ、感情論ばかりで、事実を指摘したらすぐに馬鹿みたいに怒り狂う人も 日韓共に居ますがね…そういう人には「うんうん、そういう説もあるよね?」とか 言って話を適当に合わせときましょう。 でも、おそらく今の朝鮮のインテリ層だって朝鮮が「忍者」や「合気道」の 発祥地だと本気で考える人は少数でしょう、一般大衆が「義経ジンギスカン説」の 朝鮮版のトンデモ本を面白おかしくネット上で持上げて騒いでいるだけでしょう、 日本のネット上でも「ゲーム脳」とか「アポロ計画陰謀説」とかのトンデモ本の 主張を本気にしている人がたまに居ますからね。

  • nogul2n
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回答No.6

 『騎馬民族は来なかった』 という本も一時たいへん話題になりましたね。確かNHK出版から出てたと思います。  夫余(プヨ)という国は中国東北部にあった国です。朝鮮半島よりも北で、中国大陸であって朝鮮半島ではありません。高句麗国より北にあった国です。  神功皇后がプヨから来たとしたら、中国から来たことになります。  百済が国名を「南プヨ(南夫余)国」と変えたことがあります。それは6世紀の話です。神功皇后は2世紀から3世紀にかけての人です。  また、百済は朝鮮半島の北部、及び朝鮮半島より北に領土を持った事はありません。常に高句麗より南に位置していました。  位置でいうと北から南へ、プヨー高句麗ー百済 の位置関係です。  高句麗も百済も、プヨ族から出た人間が建てた国です。そのプヨ族は元は、わい族という民族だったともいわれますがよくわかっていません。  朝鮮半島に現存する最古の歴史書『三国史記』の百済史(百済本紀)のところに倭のことも何度も出て来ますが、倭の天皇がプヨから行ったとか百済から行ったとかいう話は書いてありません。  中国の歴史書も同じです。もしあったら、中国の古代歴史書のここに書いてある!と、黄門様の印籠でもかざすように大々的に主張するでしょう。  江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説に変形を加えて、韓国人のナショナリズムに合うように書いた本であろうと推測されます。韓国の一般人からは大支持をもらっている本でしょう。  韓国の百科事典を見てみます。 http://100.naver.com/100.nhn?docid=28674  「騎馬民族」の項目です。韓国wiki.のような一般人が作っていく百科辞典ではなく、紙の事典をネットに載せたものです。  後半に「江上波夫」の漢字が御覧になれます。  そのあたりの一部を引用すると、「彼によると、プヨまたは高句麗と関係のある東北アジアの騎馬民族が、新鋭武器と馬に乗り(ママ)東満州・朝鮮半島を経て北九州・畿内に侵入し、征服したという。」  最後のところは、「日本国家の起源を考えるとき、この「騎馬民族説」を無視することは出来ないのだ。」とあります。  騎馬民族征服が本当ですとは記述していません。本当ではないとも記述していません。「無視することは出来ない」です。  あくまで説として書いているとも言えるでしょうし、「騎馬民族」の説明に江上説をこれだけたくさん割いていることからして重要視しているとも言えるでしょう。    これは一つの辞典であって、他の辞典でどう書いているかはわかりません。  お友達の豪州人の人は韓国人の主張はそのまま本当だと思うようですね。一昨年だったと思いますが、韓国国営KBS放送がテレビ局を代表するドキュメント番組「KBSスペシャル」で、「青磁のルーツは我が国だった」というのを放送しました。この番組はDVD化してKBSで売っています。もし今度そのお友達が韓国にいらっしゃることがありましたら、KBS本館の売店で是非購入なさるといいですね。  陶磁器の青磁はもちろん中国で生まれたものです。  何でも関連付けて、「ルーツだ」「起源だ」と主張します。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.5

 #2です。追加です。  「2011年5月27日、韓国・梨花女子大学の鄭在書教授は、中国のインターネット上で広まっている「韓国文化パクリ説」を根拠がないものと批判した。中国新聞社が伝えた。北京大学で開かれた中韓文化産業フォーラムで、鄭教授は講演会を開き、「中国の神話は韓国発祥」「曹操は韓国人だった」などの韓国人による「文化パクリ説」を取り上げた。いずれも誤解が生み出したもので、韓国でそうした説が信じられているわけではないと指摘した。」  オーストラリアでは、手に入らないかも知れないと思って、今日の新聞で見た記事を挙げます。中国と韓国の間でもいろいろある、いい例だと思います。  僕は、留学先のカリフォルニアの博物館に、オハイオ州出身のアメリカ人の看護婦さんを案内したことがありましたが、進化論の展示に「こんなことは信じない」と言われて、冗談じゃないよ21世紀だぜ、マジ看護婦?と思ったことがあります。  進化論については歴史的に有名なモンキートライアル(猿裁判)がありますが、オッソロしく頑固な人も居るんで(ブラジルには日本が戦勝国と信じる「勝ち組」がいるそうで)あまり真面目に回りを説得しようとなさらない方がいいかもしれません。何とかは死ななきゃ完治しないという説もございますので。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

http://4ki4.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-6e4e.html アメリカでは進化論は信じられていないが、進化論をもとにした研究は進んでいる。 一般の人間が信じることと、研究とはベツモノなのです。

lancelot10
質問者

お礼

これは知りませんでした。とても興味深い例ですね。 確かに現在判断できる物的資料から客観的に判断すること、これに限るということですね。 アメリカ人が現実的だったのは意外でした。ありがとうございます。

noname#177363
noname#177363
回答No.3

質問者さんは、韓国などの言い分が英文で世界中に広まることで、日本での研究などの信憑性が落ちることを心配されているわけですよね。 歴史というものは、一定の表層的なレベルであれば一般常識の範疇に含まれます。でも、それより込み入った話になると、学者と一部の歴史ファンしか知らないということはたくさんあると思います。 江波氏の騎馬民族説も、日本古代史ファンならたいがいの方はよく御存じでしょうし、神功皇后が実在性の薄い人物だということも知っていると思います。 でも歴史は学校で勉強しただけ、あるいは学校で習ったはずの歴史もおぼつかないという人はたくさんいて、そういう人は騎馬民族説も神功皇后のことも知らないと思います。 そして、それは日本国内だけでなく、外国でも同じことでしょう。 そうなると、今回の話はあくまで専門家や歴史ファンの間で議論される話であって、それが日本国内であろうと外国での話であろうと同じだと思います。 そうなると日本の歴史について、当の日本の言うことと、日本以外の国の言うことのどちらを信じるか、見る目が養われている人が多い中での話になり、日本で疑問視されていることが世界の常識になるとは思いにくいです。もちろん、わからずに信じてしまう人が出てくることはあるとは思いますが、それが多数を占めるということにはならないのではないでしょうか。 ちなみに個人的には、騎馬民族説も神功皇后も史実ではないと思っています。

lancelot10
質問者

お礼

そうなんです。日本では常識でも外国では全く知られていない事、ほんとにたくさんあります。この本では「天皇陛下が朝鮮半島出身だったとは日本人は信じたくないから隠している」と朝鮮側の主観的な意見がさも第三者の意見として書かれています。 日本での文献が英語でもたくさん出版されていれば、あえて私が反論する必要もないと思うんですが。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 歴史は、フランス語で histoire (イストワール)と言い同時に「(作り)話」という意味があります。これが英語に入って、history と story になりました。  昔から歴史は自己の存在の正当性を主張するために捏造されたもの、と考えるのがいいと思います。日本は日本の都合がいいように、韓国は韓国の都合がいいように、随時歴史の書き換えが行われています。  ですから日韓両国が同意出来る共同史、などが可能だと考える人は、日本と韓国が一つの国になると考える人だと思います。  以前も、海外で面白い風説に洗脳された人のお話があり、大変同情しています。僕も海外にいるので回りを相手に論争をする苦しみと言うか孤独感はよく分かります。  ただXは、Yである(例えばZ教は善で、W教は悪である)と信じる人には、いくら江上波夫がこう言ったとか、皇室がああだ、と言っても無駄だと思います。

lancelot10
質問者

補足

私も両国が共通の認識を持つなんて有り得ないことだと思います。 ただ、第三者である他国の人には双方の見方をもって判断して欲しいなと思います。

  • RURU-LALA
  • ベストアンサー率60% (100/164)
回答No.1

「騎馬民族征服王朝説」・「江上波夫」をWikipediaで検索するのが一番早いと思います。 ここに長文を記載するにも限度がありますし、下手に省略すると誤解を生む恐れもありますから。 参考文献と共に学説の展開から反論、現在の状況に至るまで詳細に記載されています。 Wikiということで内容に不安を感じるのなら、参考文献を検索・比較するのが良いのではないでしょうか? 『昭和に生まれた伝説』とは良く言ったものです。 でも、こういったロマン溢れるお話から歴史に興味を持つことってありますよね。偉人の逸話とか。

lancelot10
質問者

お礼

Wikipediaでも見たんですが、この部分に関する反論は見当たらなくて。 それぞれの主張する部分が違うので、なかなか判断が難しいですね。

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