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日本史 日明貿易の実権を握った者について

こんにちは。 高校生で日本史を選択しているものです。 室町時代に堺の商人は細川氏と結び、日明貿易の実権を握った。 という文章は、模試の問題にあったものですが、正誤は正となっていました。 しかし教科書には、細川氏と大内氏は1523年には寧波で衝突を引き起こし、争いに勝利した大内氏が貿易を独占した。と記述されています。 1523年は室町時代のはずなので、教科書の記述に従って考え、実権を握ったのは大内氏であると思い、この文章は誤だと思いました。 なぜ上記の問題の答えが正となるのでしょうか。 ご回答よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • izuhara
  • ベストアンサー率31% (97/310)
回答No.4

室町時代に堺の商人は細川氏と結び、日明貿易の実権を握った。 この文章自体に誤りはありません。 仰るとおり、寧波の乱の結果大内氏が貿易の実権を握っていたことは事実です。 しかし、それ以前に細川氏が堺の商人と結んで貿易の実権を握っていたことも事実です。 仮に「寧波の乱によって、堺の商人は細川氏と結び、日明貿易の実権を握った。」という文章であれば明確に誤りとなります。 日本史の問題で正誤を問われる場合、誤った記述にはもっと明確な誤りがあります。 「室町時代に博多の商人は細川氏と結び、日明貿易の実権を握った。」とか。 もし、質問の問題文が、4択であれば他の選択肢により明確な誤りの文章があるはずです。

noname#224207
noname#224207
回答No.3

模試特有というか、入試によくあるひっかけ問題の類です。 >室町時代に堺の商人は細川氏と結び、日明貿易の実権を握った。 >教科書には、細川氏と大内氏は1523年には寧波で衝突を引き起こし、争いに勝利した大内氏が貿易を独占した。と記述されています。 上記の二つの文章を比較して下さい。 上段の文章は「堺の商人は」となっています。 下段は日明貿易全体の中での細川氏と大内氏との関係を言っています。 つまり、問題の文章では、堺商人は細川氏と組み、博多商人は大内氏と組んでいたことを聞いています。 更に「日明貿易の実権を握った」という表現が紛らわしい表現です。 日明貿易は前半は室町幕府が主導権を持っていましたが、後半は、堺商人と博多商人が主導権を握っていました。 このことを「実験を握った」と表現しています。 実にまぁ~難問奇問の類です。(愚問です) 日明貿易全体の動向と細川氏と大内氏の関係は、御理解されておられる通りです。

  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.2

こんにちは 日明貿易について、「細川氏と大内氏は1523年には寧波で衝突を引き起こし、争いに勝利した大内氏が貿易を独占した。」と教科書に記述があるとのことですが、他の教科書の中には大内氏の貿易独占の記述の前に、次のように記載した教科書があります。 15世紀後半、幕府の衰退とともに、貿易の実権はしだいに堺商人と結んだ細川氏や博多商人と結んだ大内氏の手に移った。細川氏と大内氏は激しく争って、1523(大永3)年には寧波で衝突を引きおこした(寧波の乱)。そしてこの争いに勝った大内氏が貿易を独占したが、16世紀半ばに大内氏の滅亡とともに勘合貿易も断絶した。(山川出版社『詳説 日本史B』より。高校1年生用のの教科書の記述ですが、2,3年用の教科書の記述も同内容です。) 以上のような記述になっています。日本史に限らないことですが、正誤問題の文章には、間違いではないけれども、正確かと言われると疑問符が付く文章があります。この「室町時代に堺の商人は細川氏と結び、日明貿易の実権を握った。」という文章も、取りようによっては日明貿易の全ての時期にわたって堺商人が実権を握ったように思われる文章ではあります。例えば、「室町時代に堺の商人は細川氏と結び、日明貿易の実権を握った時期がある。」とすれば正確性が増すようには思いますが、正誤問題としての文章としては、間違いとまでは言えないと思います。逆に言えば、間違いとまでは言えないので正であるともいえます。(めんどうくさい表現で申し訳ありません) さて、この堺商人の貿易の実権掌握は、抽分銭という輸入税と、請負形式に関連するもので、もともと日明貿易船は帰国時に輸入額(売値総額)の一割を抽分銭という輸入税として徴収する制度があったのですが、堺商人は応仁の乱後、貿易船が出航する前に、帰港時の利益額を想定して抽分銭を先行納付する形式をとることにより、堺商人の息のかかった商人以外を排除し、実権を掌握したことを指しています。このような形式をとることができたのも、堺の立地する和泉・摂津の守護を長く独占した(一時大内氏が和泉守護となるなどの例外はあります)細川氏と結びついてきたことによるとされています。なお、抽分銭の請負や、貿易船の請負については応仁の乱以前にも行われていたのではないかとの説もあります。 抽分銭 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BD%E5%88%86%E9%8A%AD 以上、参考まで。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.1

yoshi-tomoさん、こんばんわ。 確かに1523年に大内氏が貿易を独占しました。しかし、応仁の乱以降は細川氏が将軍家に代わって堺の商人と結託して 日明貿易を行っていました。大内氏も兵庫を得て日明貿易を始めたようです。 詳細は下記のURLを参照してください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%98%8E%E8%B2%BF%E6%98%93