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西田幾多郎の喫煙について、ご存じの方お教え下さい

西田幾多郎に関してお詳しい方、お教え下さい。 西田幾多郎が禁煙に苦しんだという事実を最近知りました。 「西田幾多郎の書」によると、昭和4年頃まで、 日記に喫煙についての苦悩が書き綴られていたとのことです。 西田幾多郎はこの後禁煙に成功したのでしょうか? 或いは成し得なかったのか? その辺りの消息についてご存じの方、宜しくお願い致します。

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  • o-totyo
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回答No.2

『新編西田幾多郎全集』の日記の部分を読むと、禁煙の言葉が登場したのが大正10年頃のことです。 それから氏の煙草との格闘が始まり、禁煙と喫煙の記録が交互に日記に登場しています。 昭和5年頃の喫煙の記録までを、全集の日記の部分で読むことができます。 最初の回答に霧島と書いたのは敷島の間違いです、訂正いたします。 それにしても、1日に敷島十二本チエリ四本は吸いすぎのような気がします…。

youchan37
質問者

お礼

再びご回答いただきましてありがとうございます。 まぁ当時は、煙草が物理的に脳内物質の欠乏を引き起こす麻薬の一種であるとか、 煙草の健康被害が医学的に確定した事実ではなかったことなどあり、 現代の我々とは煙草に対する捉え方が違っていたということもあるのでしょうね。 ソースをお示し下さったので本当に助かりました。重ねてお礼申し上げます。

その他の回答 (1)

  • o-totyo
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回答No.1

西田幾多郎氏は昭和4年頃まで禁煙について書かれていますが、昭和5年頃からその日の喫煙状況を細かく書き記すようになったようです。 「チェリー」「霧島」を吸ったといったような記録を残しています。 ただ、晩年には禁煙に成功したと書かれています。 ですが、「西田幾多郎先生の追憶: 西田幾多郎没後50周年記念」には、『晩年先生はすっかり煙草を廃されたが、時に、しばらく廃されて、また再び吸われているようなこともあった。』『奥様が書斎に入って行くと、火のついた煙草をもみ消して、煙草を隠されたこともあったとか。』と書かれています。 禁煙に成功したとは言いながら、すっかり煙草から手を切ることはできなかったようです。

youchan37
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 氏が内心完全に禁煙すること自体を止め、時折の喫煙を自らに許すことにしたのか、 或いはやはり止められなかったのか。その辺りまでは分かりませんが、 事実としてはそういった状況であったことを知ることができました。感謝致します。 重ねての質問恐縮ですが、昭和5年頃から喫煙状況を細かく書き記したという辺りについての ソース(書籍名等)お分かりになればお教えいただけると助かります。 以上宜しくお願い致します。