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慰めの言葉を一切かけないし、望まない性格
ぼくの場合、慰めの言葉を一切かけません。 かけたくありません。 かけられたくもありません。 カウンセラーをやれば、相談者を追い込み、自殺に追い込む可能性が高いです。 この心理は何なのでしょうか? 慰めを求める自殺願望者への苛立ち? (ぼくは死にたいと思いましたが、自分でしか自分を助けられない ことを知りました) 他人を攻撃することによる優越感、支配欲? その他、なにか思い当たる面があれば、遠慮なくどうぞ。
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答えという訳ではないですが、私も同じ様な傾向があります。 私の場合の原因は、恐らく人間嫌いがそれではないかな?と思います。 色んな意味で関わりたくないんですよね、人に。 人に認めてもらいたいくせにw 本当に我ながら困ったものです。 もし、私が本当の人間嫌いと言うか、関わりを拒否するなら、ネットだってやる必要は無いんですよ。 でもこうして関わろうとしている。 結局は自分の都合のいい関係が欲しいだけなんですね。 ぬくもりは欲しいくせに、ベタベタするのは嫌と言う感じ?でしょうか?私の場合。 ご参考にでもなれば・・・
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裏付けのある自信、があることを一つも持って いない人は、自分の心の中にある様々な欲望を 満足に充足させることが出来ない、というストレスを 溜め込む。 他人の成功に心の底で「嫉妬」・・・いや、それに分化さえ していない「焦燥」を感じ、それは勉強でも趣味でも恋愛でも 容姿も知能も、とにかくありとあらゆる点で、何も出来ない、 劣っている、と強い焦りを感じる。 何もできないというより、しようとしない自分に焦りを感じる。 そのうち、それが慢性化して他人の笑顔にも他愛ない 楽しそうな会話にも、その言葉一つにも、自分の心を ささくれ立たせるようになる。 無意識に反射的に、いつも自分と他人を比較しそうになって イラつき、他人の僅かな言葉尻に、自分を暗に批判して いるような匂いを嗅いだ気がしてイラつく。 自分をアップグレードするためのいずれの努力もしようとせず、 そんなことをすれば苦痛を伴う、と強く強く信じ込んでいる。 例えば、女の子に笑顔一つ向ける事さえ、相手が笑顔で返して くれないだろう、それは酷く自尊心が傷つくことだと恐れる。 自分が恐れたり怯えたりすることが、「無力で惨めな自分」を 思い出させられることなので、それで傷つくのも嫌で堪らない。 だから逆に他人を否定し憎悪することで、自分自身で自分を 軽蔑して痛めつける「自虐」に陥らぬ様にあがき、またイラつく。 そうしてますます自分の中に閉じこもり、それ故、ますます 他人の気持ちに疎くなり、それがさらに他人から気味の悪い奴と 避けられることになり・・・悪循環は深まるばかり。 惨めな気持ちになっても、蔑まれても、自分のグレードを 上げて行ける勇気が欲しくても、心のどの蛇口をひねれば 勇気の水が湧き出るのか判らない。 他人に傷つけられるのが怖くて、自分で自分を蔑んで傷つくのが 嫌で、ひたすらに自分の周囲に煉瓦を並べて壁を厚くし続ける。 やがてそうやって築いた煉瓦の壁、自分を守るために積み上げた 煉瓦の壁は、自分の放つ憎悪を跳ね返し、しかも自分をぐるりと 取り巻いているので、放った拒絶の心は全て、その中心にいる 自分に跳ね返ってくるようになる。 自分を正当化することで自分が傷つかぬ様にと、他人を蔑み、憎み、 その死を願う拒絶を重ねていくうちに、自家中毒を起こしてしまった。 余りにも弱い自分を絶望させないために造った煉瓦壁が、文字通り 障壁(バリア)になって自分を孤立させ、ガラパゴス化させる。 同じように悩み苦しむ人を見ても、自分が心を抉られる言葉を探して 投げつける疑似自傷行為が止められない。 似非人格者を気取って上から目線で蔑んで、厳かに説教しようにも、 苦しみを癒す言葉も持ち合わせが無く、人生のありとあらゆる経験が 乏しくて、満足に軽蔑さえもできない。 だから、救ってやれることも、救われることも無い、いわば同じ海の上で 共に溺れている者同士。 ならば苛立ちもするだろうし、捕まられることを拒否するはず。 自らの素顔を、実態を、自覚することから逃げ続け、他人を否定して 軽蔑することで溜飲を下げることが出来るほどの、悪人や偽善者にも なれない。 何故なら、外の世界で通用する、どんな経験にも、 現実の智慧にも乏しいから。 卑しい人間としての経験さえ、乏しいから。 これ程までに、弱い。 弱さ故に、全く余裕が無い。 だから、カンダタのように、他の亡者に冷たくする。 余りにも弱くて閉じこもって怯えている自尊心は、 他人に関わることも関わられることからも、必死で 逃げようとする。 その「惨めに拒絶する弱さ」がその心理の正体である。 ------------------------------------------ ・・・なんていう解釈は、いかがでしょうか? 何となく思いつくまま書きなぐってみましたが。 ゆわれたとうり、えんりょなくかきました。
お礼
表現がおもしろいですね。 詩を読んでいるようです。 内容は、完全にぼくにあてはまります。 レンガの中で爆発する自分の情景が思い浮かびましたよ。 ありがとうございます。
- beest002
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あなたにはあなたの考え 私には私の考え・・・ もし意見が違ったとしても、どちらも間違ってない あなたの考えも 私の考えも サイトにいる方の考えも いつか 変わるかもしれないし 変わらないかもしれない 何も問題ない・・気がします。
お礼
諸行無常みたいな考え方ですね。 ただ事は起こるだけみたいな。
わたしも死にたいと思ったことがありましたし、質問者さんと似ている部分があるので回答します。 経験上、相手が良かれと思ってかけてくれる言葉でも、鋭い刃となって心に突き刺さることも少なくありません。 黙って頭を下げ、素通りしてくれる人の存在が、かえって有難いときもあります。 そっとしておくことが相手への思いやりだったり優しさだったりする場合も多いです。 ですから、「慰めを求める自殺願望者への苛立ち」ではなく、自分のことは自分でしか解決できないことを知っているからこそ、慰めは余計なことだと思える。質問者様は、カウンセリング等は補助的手段にしか過ぎないことを理解しているのではないでしょうか。 経験上、もっと端的に言うと、「自分はひとりで立ち上がったんだから、お前もひとりで立ち上がれ」ということかもしれません。 以下、そのほかに考えられること。 他人に甘えたくないし、他人からも甘えられたくない性格ではありませんか。 わたしはそうです。 甘え=他人への依存に思えるので、甘えるのも甘えられるのも嫌い。集団行動が嫌いだし、仲間と群れることも嫌いで、いわゆる「おひとり様」の方が気楽で自分らしく振る舞える。「一人で寂しい」という感情よりも、「ひとりで気楽」という感情の方が上回るので、一人でいる方が好き。 だから何か問題があったら、他人に頼らず自分一人で解決したいと思うし、他人にも同じことを求めるので慰めの言葉は一切かけない。このように考えます。 もしも質問者様に該当しない部分があったらすみませんでした。 ご参考までに。
お礼
いえ。 合ってます。 自分のことは自分でしか解決できないだろうと思っているし、 依存に対する嫌悪感も大きいです。 ひとりでいるのが好きな感情のほうが上回っているのもそうです。 ひとつ違うとしたら、正論という刃で他人を貫くこともありますよってことかな。
- KoalaGold
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全ての質問の答えが「自己責任」になっているだけ。 Q、いじめられて辛い A、自己責任です Q、義理母とうまくいかないんですが A、自己責任です Q、夫が浮気しました A、そんな人と結婚した自己責任です Q、どちらの大学にしたらいいか迷ってます A、自己責任で決めて下さい 慰められるのも嫌いなのは、自己責任ってわかっているからでしょう。
お礼
あぁ、なるほど。 キーワードは「自己責任」ですか。 たしかにそうですね。 ぼくは、 何でも自分が動けば解決する→動かない自分が悪い と考えてしまうのですね。
お礼
いやぁ。 メチャクチャ共感しました。 人間嫌いだが、寂しさもある。 自分に都合のいい人間としか関わりたくない。 まさにぼくです。 要は自分が世界中心で、他人は自分の思い通りに動けって考えですよね。 でも、そういう発想だからこそ、開拓者になって他人を動かしていく気がします。 困った部分もありますが、使いようによっては、人生を楽しくします。 お互い、うまく自己中を使いこなしましょう。