こんにちは。
まずは、ごめんなさい。確かに3人とも赤い灯りでしたね。
>>友人に聞きますと、鉱山では酸欠病が問題になるので火をつけた松明のようなものを持っているのではないかというのですがどうでしょう?
う~ん・・・なるほど。考えられなくもないですね。
確かに、例えば、美作(みまさか・岡山県)の小童谷(おじや)銅山や吉岡銅山(岡山県)、長門銅山(山口県)などでは、
「異臭たなびき、巡(まわり)の人足死に至る」
などという記録も散見されますので、これは「有毒ガス」が噴出したことを意味していると思われます。
また、西洋の鉱山などでは、友人の言われるように「カナリヤ」や「インコ」、あるいは、「オーム」などを連れて鉱山に入った・・と言う記録も見られるようです。
佐渡や石見の金銀山なども入口が狭く、金山(やま)の中は空洞・・・酸欠が起きても不思議ではないですね。
しかし、少なくとも史料上では、酸欠によると思われる死亡例は出てきておらず、落盤での死亡例が数多く残っていますね。
また、廃坑になった理由としては、圧倒的に地下水脈にブチ当たっての「水没」が多くみられます。
そのため、佐渡金銀山へは、主に江戸で捕えられた「無宿者」が「水替人足」として送り込まれています。
私は鉱山の専門家ではありませんので分かりかねますが、金銀鉱脈と有毒ガス帯の地層が違うのではないでしょうか。
もっと危険なのは、それこそ、つい最近まで掘られていた炭鉱などでは「カンテラ」というカーバイドの火を灯りとして持って入っていましたよね。
>>昔の鉱山労働者は過酷だったでしょうね~。
佐渡金銀山の例をとると、
人足小屋は逃亡を防ぐため、窓などは一切無く、1日中梁に鈎棒(かぎぼう)を引っかけて魚油を灯していました。
従って、夏は蒸し風呂状態、冬は急場造りで壁板には隙間が空いており、そこから雪が積もるほどに吹き込んだ・・・とあります。
水替の作業は人足を二組に分けて一昼夜交代(明け六ツ~翌朝の明け六ツまで)で、作業日には米の支給が1升2合、休番の日は米5合の支給。その他としては、味噌や野菜、塩、醤油などが支給されました。
入り番の日は朝早く起きて、米を炊いて「にぎりめし」にすることから始まりました。
敷内(坑内)では、5~6人が一組となって、「かな樋(とい)」と呼ばれる井戸の釣瓶桶を大きくしたような道具で一段上の枡に水を汲み上げ、その上の者がさらに上の枡に水を汲み上げる、といった方法で、およそ一刻に一人ずつ交代で休憩を取り、その間ににぎりめしを食べたり、つかの間の仮眠をとったりした、とあります。
まあ、話せば長くなりますので、これらのことはまたの機会がありましたら、お答しましょう。
お礼
何度も回答ありがとうございます。 回答者さまは細かい記録などもチェックされておられるようで 尊敬します。 有毒ガスで立ち入り禁止になっている山とか、山で有毒ガスを吸って死亡したなんてニュースがいまでもありますものね。 いやー、鉱山の仕事ってほんとに大変~。 鳥をもって鉱山に入るのは西洋の記録にあるんですね。 日本はそのあたりは無頓着だったということかもしれないですね。 史料上では、酸欠によると思われる死亡例はないんですか。 そうではなく、落盤での死亡例が多いと。 水没ですか~。 日本は雨が多いですからね。 鉱山は水との戦いでもあったことでしょうね。 おっしゃるとおり金銀鉱脈と有毒ガス帯の地層が違うのかもしれないですね。 ではないでしょうか。 佐渡金銀山のお話しは 蟹工船を思い出させます~。 あ、でも今でもひどい職場ってありますよね。 こないだも外食産業で働く人が残業つづきでうつになって死亡したといっていました。 たくさん教えてくださってありがとうございました。 またよろしくお願いします。