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古代や中世に鉱山であったことを知るてがかり
京都の鞍馬寺のケーブル乗り場にはムカデの茶碗などが展示してありました。 奈良県の朝護孫子寺の本堂にはムカデのレリーフがありました。 かつて坑道は百足穴といい、百足は鉱山の神であると信仰されていたと聞きました。 しかし鞍馬寺や朝護孫子寺に鉱山のあとは残っていないと思います。(残っていますか?) また、百足は毘沙門天の使いとされているので、単に毘沙門天を祀る寺なので百足をモチーフにしたものがあるとも考えられます。 (鞍馬寺や朝護孫子寺では毘沙門天を祀っています。) 水銀の鉱脈は地下の浅いところにあって、坑道をつくらずに露天掘することが多かったようですね? http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kouzan/sansouzu/l18.html ↑ これは「水銀を含める山相の図」ですが、左上に見えている丸いものは坑道でしょうか。 そして下の方には露天掘にしたあとのようなものが見えています。 採掘し尽くすと、露天掘した跡には、あっという間に草木が茂って鉱山だったのかどうなのか、わからなくなってしまいそうです。 坑道なども、長い年月の間に崩れたりしてわからなくなってしまいそうです。 古代や中世に鉱山があったことを知る方法や、てがかりのようなものはありますか?
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- Kon1701
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- TooManyBugs
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お礼
回答ありがとうございます。 お礼が遅くなって申し訳ありません。 >人為的に手を加えた場合、その規模が大きければ地形として判別できます。中世位ならわかることが多いです。 そういえば多田銀山などは遺構が残っていますね。 鞍馬山や朝護孫子寺はひょっとすると中世より前の時代かもしれないです。(すいません~) ただ、水銀は地表に近いところにあるのだそうで 露天掘することが多かったようです。 採掘しつくしたあと、広大な土地は、田んぼになったり、家になったりしそうですよね。 >中世の城郭は無数にあります。城郭といっても土を削って盛り上げただけのものですから、石垣等はありません。単なる地形の変化として残るだけです。ですが、自然にできた地形とは明確な違いがありますから、草木が茂っても判別は可能です。 そうなんですか~。 人為的に作られた土地というのはわかるんですね。 >実際は伝承等が残っていることも多いでしょうから、それでわかることも多いと思いますが。 毘沙門天を祀る寺に奈良県五條市の吉祥寺がありますが 地名が丹原です。 この地名はかつて丹が採れた土地であることを表していると思います。 鞍馬寺には雌蛇が閼伽水守護を誓ったという伝説があります。 閼伽水とはみずかね(水銀)のことじゃないか、と思ったりもしますが、いまいち確証がもてません。 鞍馬寺の竹伐会式では右座・左座に分かれて竹を伐りますが 座というのは鉱山と関係がありそうにも思えますが やはりよくわかりません。