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斉藤道三と平手政秀
信長の守役であり最も傍に居ながら信長がうつけでは無い事を見抜けなかった平手政秀 信長の義父でありたった一度の会見で信長がうつけでは無いと見抜いた斉藤道三 この2人の決定的な違いは何でしょうか?
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azuki-7さん、こんばんわ。 平手は守役であるので、彼の平素のしつけを担当していました。だから、いつもうつけた格好をしている信長をみて、平素の信長がうつけであると思ってしまったのです。 しかし、道三は有名な会見の前に彼のうつけた格好を見てうつけだと思ったけれど、いざ、自分との会見に臨んで、それ相応の格好をして出てきたので、彼の臨機応変の才を感じ取り、自分の息子達より出来が良いと感じ入ったのです。 平素の信長を見て打つけと信じ込んでしまった正秀とうつけと思ったけれど、彼の行動を見て必ずしもうつけではないと思った道三、やはり武将としての性格と器量の差でしょうか?
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- DownTown77
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こんばんは。 平手政秀は信長がうつけ者だということは見抜いていたと思います。 なので、そのようなうつけの信長を諌めるため自刃したという美談を始め、うつけ者の傅役としての責任を感じて自刃したとか、きな臭い説としては信長と次第に不仲になったのが大元の原因と言われています。 一方、斎藤道三は、信長が会見するある寺に挨拶に来る途中で、どのような佇まいで来るか、一件のあばら家に潜んで様子を見ていた。 すると信長は、うつけ者丸出しの出で立ちで通り過ぎた。この時、道三はまだ信長のことを噂通りのうつけ者と思ったでしょう。 その後、初めて会見した道三の目に映った信長は、正装を身にまとい、鉄砲隊を従わせている姿だった。 道三はこの時、自分の娘を嫁がせた信長の器量を感じ取ったと言われています。 なので、信長のうつけを誰よりも知っていたのは平手政秀であり、後にただのうつけではないと知ったのが斎藤道三であり、少なくともこの件については決定的な違いはないでしょう。
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