>船を作って海を渡ったのでしょうか?
船は日本の歴史とは切っても切れない重要な交通手段です。
縄文時代や古墳時代の土器に船を模った土器が出土しています。
秀吉の時代にも呂宋 助左衛門という人が現在の東南アジア貿易で莫大な利益を上げていました。
呂宋はルソンと読みます。現在のフィリピンのルソンを拠点としていたので、それを苗字として呼ばれていました。
助左衛門が秀吉にルソンの壺を献上したときに、秀吉がその壺を家臣に値段を付けさせたところ、何百両という値段がついた話は有名です。
タイのアユタヤには14世紀~18世紀の間日本人町があり、盛んに貿易を行っていました。
鉄砲がポルトガルから伝来したことは御存知の通りです。
この鉄砲を伝えたポルトガル人は、海賊映画などに良く出てくる大型の洋式帆船を使っていました。
秀吉の時代には、外洋を航海できるだけの造船技術は充分にあり、既に沢山の大型和船が就航していました。
同時に、大型の洋式帆船についての知識も、中国のジャンクと呼ばれる大型船の知識も持っていました。
当時の大型和船のイメージとしては、
菱垣廻船と樽廻船
www.geocities.jp/shimizuke1955/371bezai1.html
を御覧下さい、写真と図面が掲載されています。
説明は江戸時代のものに関してですが、船の構造は秀吉の時代と同じです。
小型の和船については
五和歴史民俗資料館の展示に見る和船 - 串木野の小型和船(帆船)
nantenbo.la.coocan.jp/satsuma-hansen/shiryo7.html
復元模型の写真が掲載されています。
>何人ぐらいの日本人が挑戦へ行ったのですか?
20万人~30万人とされています。
詳しくは、回答者No1さんが指摘されておられるサイトを御覧下さい。
迎え撃つ朝鮮側も相当な数の戦闘用の船を用意していました。
特に亀甲船と呼ばれる船は秀吉軍を悩ませました。
お礼
回答ありがとうございました。