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豊臣秀吉は何故キムチを日本に広めなかったの?

キムチってのは元々 秀吉が朝鮮出兵の時に白菜を保存させて現地で食べるために唐辛子に漬けたのが始まりとされていますが、何故それが日本ではなく朝鮮に広まったのでしょうか?

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  • kagakusuki
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回答No.1

 唐辛子は南米原産の植物で元々日本には存在しておらず、日本に伝来したのは1552年にポルトガル人宣教師バルタザール・ガゴが大友義鎮に種を献上したのが最初とされています。  秀吉が朝鮮出兵が終結したのはそのわずか46年後の1598年の事であり、しかも唐辛子が日本に伝来した当初は観賞用や毒薬、足袋のつま先に入れて霜焼け止めとして用いられたのみで、食用にはされていなかったのですから、伝来からわずか46年後の1598年に終結した秀吉の朝鮮出兵の頃に食料の保存剤としての用途に使われていたとは考え難いと思います。  秀吉の朝鮮出兵の際に日本から朝鮮半島に唐辛子が持ち込まれた理由は、食用や食料の保存用ではなく、目潰しや毒薬などの武器としての用途や、血流増進作用による凍傷予防薬として用いるために加藤清正等が持ち込んだものとされている様です。  その上、日本において白菜が継続して栽培する事が"可能となった"のは20世紀になってからの事であり、秀吉が生きていた時代の日本では、まだ白菜が栽培されていなかったのですから、 >白菜を保存させて現地で食べるために唐辛子に漬けた という様な用途に使われたとは考えられません。 【参考URL】  唐辛子 - Wikipedia > 6 伝来史   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E8%BE%9B%E5%AD%90#.E4.BC.9D.E6.9D.A5.E5.8F.B2  文禄・慶長の役 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9  ハクサイ - Wikipedia > 1.1 日本での栽培   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%A4#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.A7.E3.81.AE.E6.A0.BD.E5.9F.B9

azuki-7
質問者

お礼

そうなんですか… 信長が白菜を食べてたのでてっきり秀吉の時代にも存在してたのかと思いました では信長が食べていた白菜とは一体?