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キリスト教における「Lady Poverty」
キリスト教における「Lady Poverty」の意味を教えてくださいませんか?フランシスコ修道会の説明のくだりにでてきたのですが、その実態がイメージできません。「清貧なる女性」でしょうか?よろしくお願いします。
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フランシスコ(フランチェスコ)修道会の説明で出てきた「Lady Poverty」なら、 それはアッシジのフランチェスコのエピソードに出てくる有名なものです。 フランシスコ修道会は、ご存知とは思いますが、アッシジのフランチェスコ によって始められたカトリック教会の修道会の総称で、彼の清貧の精神に 基づいています。 フランチェスコは裕福な毛織物商人の家に生まれ、青年の頃には他人の 世話を損得を考えずに行い、礼儀正しく親切で優しい性格ではあったもの の、大変な浪費家で見栄っ張りな散財を行う人間に成長していました。 彼は騎士となって手柄を立て、美しい貴婦人と結婚しようと考え、功名心 から戦争に何度か参加したのですが、ある時、夢の中で故郷に帰るように というお告げを聞いて故郷のアッシジに帰り、教会や町外れで祈るように なります。これを見た、かつての遊び仲間たちが、きっと誰かに恋している に違いないと噂をします。それに対して、フランチェスコは「私が娶ろうとし ている花嫁は、どんな婦人より気高く、裕福で、美しい貴婦人です」と答え ます。実は、彼の言っていた貴婦人(lady)というのは清貧(poverty)のことを 指していたのです。つまり、キリストに仕える騎士になり、清貧という名の 貴婦人と結婚しようと思い立ったわけです。 フランチェスコは、清貧の理想について、当時の騎士道と吟遊詩人の言葉 になぞらえて、「清貧の貴婦人」(Lady Poverty)という擬人法で表現します。 つまり、騎士が貴婦人に慇懃に奉仕し、吟遊詩人が賛美の歌を貴婦人に 捧げるように、フランチェスコも清貧のために献身することこそ理想と考えた のです。
お礼
素晴らしいです。どう感謝していいか分かりません。またお助け下さい。