否定文末尾に、as-句があるときの解釈をアドバイスして下さい。
●米国人が書いた次のようなビジネス文の場合です。否定文の末尾にカンマ付きのas-句があります。そのas-句の解釈をアドバイス下さい。文意は、前後関係と矛盾しない意味に汲み取れますが、今後の応用も考えると、文法的にどうなのか気になりました。
●その文章(簡略化)は、「That reference Z does not mention that ABC is XYX, or that ABC reacts with EFG, or any other substance similar to ABC, as described in the reference W.」です。
●前後関係から、この文章の意味を、「文献Wに書いてあるような、ABCとは(化合物)XYZのことであるということも、ABCは(化合物)EFGと反応するということも、如何なる他のABC類似物質にも、その文献Zでは言及していない。」と解釈しています。
●この解釈は、「as described in the reference W」が、「that ABC is ~ similar to ABC」を修飾していると考えているものです。しかし、この文章単独で見たときは、このas-句は、文章全体にかかるとの見方も成り立つと思います。
●つまりこの文章単独では、このas-句の解釈によっては、
(1)文献Zには、文献Wが書いている・・・というようなことは、書かれていない。
(2)文献Zにも、文献Wと同様に、・・・というようなことは、書かれていない。
と、2つの意味が出てくるように思います。
●純粋に文法的に見たとき、どう解釈するのが正しいのでしょうか。アドバイスお願いします。もし、文法的に(1)になるのであれば、この文を応用することに大いに勇気付けられます。
お礼
おはようございます。 今ほど日課の散歩に出かける前にPCを開けて、あらッ! 散歩も最近は寒くて外もまだ暗いのですが、 どうも裏山を一回りしてこないことには落ち着きませんが、 散歩をよしにしてお礼を書かせていただきます。 別にCiaopolpoさんにお世辞を言うつもりもありませんが、 良くもまあと、感心しております・・・。 以前にどなたかへのお礼文に専攻が英文学!? なるほどそれで漱石先生を?そう思った記憶があります。 失礼な言いようで気に障るようでしたらお詫びしますが、 これほどの理解があれば私もお話し易いのです。 蕪村、近松、上田秋声はまたのことにしましょう・・・。 長くなりますしまたお話する機会もあるでしょう。 私が蕪村のこの句の解釈を何故質問したかと言いますとね 何故、鳥羽殿で何故、野分なのかな? これの疑問でした。 別に当時の緊迫感を表現するだけのことなら何も、 鳥羽殿の必要もないのでしょう。 まあ語呂がいいと言うことはあるでしょうけど。 保元と平治の乱のことも少し触れましょう。 良く御存知です・・・ ただ、摂関政治から院政ではなくこの二つが対立することで 平治の乱が起きるのでしょう。 崇徳と後白河、そして義朝の源氏が滅びる、面白いですねぇ もう何やら何を言ってるのか、分からなくなりましたが、 これは崇徳上皇の歌でしたか? 「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ」 どうも大天狗の歌とも思えませんね(笑) 私の解釈のようなものを言ってみましょう。 清盛は「鹿ヶ谷」の一件で後白河を鳥羽殿へ幽閉します。 これを一期にして平氏の凋落が始まりますね。 「野分」の季語は秋とのこと・・・ 蕪村が諸行無常まで考えたとは穿ちすぎでしょうか? 楽しいお話ができました。 望外のことでした。 幡隋院と水野の話もしたいと思いましたが早この長さです。 またにしたいと思います。 ありがとうございました。