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想像句について
「をりとりてはらりとおもきすすきかな」は有名な俳句ですが、”すすき”を”をりとる”ことは無理です。特殊な機械を使えば可能でしょうが・・。つまり、この句は全くの想像句です。一方で、想像句は良くないというのが、俳句の心得として教えられていますが、この句の場合は例外なのでしょうか。例外だとすれば、どのような理由によるのでしょうか?
「をりとりてはらりとおもきすすきかな」は有名な俳句ですが、”すすき”を”をりとる”ことは無理です。特殊な機械を使えば可能でしょうが・・。つまり、この句は全くの想像句です。一方で、想像句は良くないというのが、俳句の心得として教えられていますが、この句の場合は例外なのでしょうか。例外だとすれば、どのような理由によるのでしょうか?
補足
再度の回答ありがとうございます。 小林某(漫画家)の真似をしてゴーマンかまします。 私の解釈では、作者はすすきがポキリと折れるものではないことは知っているのですが、ポキリと折れるほど頼りなく、一束抱えたところで軽かろう。そう見える、という実感(実感も想像のひとつの表れなのですが詳細は略)に基づき、フィクションを構築し、「はらり」という姿形に命の儚さを「重き」に時の移ろいを表現しているのだと思います。暗喩の技法です。俳句では「直喩」は多くありますが、名句といわれるものは現代詩よりも「隠喩」「フィクション」を巧みに使用しています。西脇順三郎の芭蕉論の我流解釈の受け売りですが。 たんぽぽの句なら 「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」 のほうが、好きかな・・・。